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第四章 地下鉄の夜 2

 

   2


 次の瞬間、突然、車内のディスプレイが全部ノイズで真っ白になった。

 美緒のポケットの端末が熱を持ち、ノアたちの動きがほんのわずかに鈍る。


 少年が笑う。


「こんばんは、由羅さん」


 声は普通だ。

 普通すぎて、逆に不気味だった。


「君たちがたててる秘密の音、すごくうるさい。

 追いかけるの、ちょっと楽しかったよ」


「……誰」


「鳴瀬トワ。帝国実験局、感応工作員」


 少年は首を傾げる。


「でも、名前なんて、どうでもいいか。

 君が持ってる箱、それだけ渡してくれたら、痛くしないで済む」


「信用できるわけないでしょ」


「だよね」


 にこっと笑った、その瞬間。


 耳の奥で、金属を引っかくみたいな高音が鳴った。


「っ……!」


 美緒が思わず膝を折る。

 視界が揺れる。

 ノアたちも一瞬だけ動きを止めた。


 玲子が舌打ちした。


「あなたたち、外部通信回線を切ってローカルモードに落として!」


 「NOAH:了解」

 「REVI:切るよ」

 「BUCHA:最初からそれがよかった」


 三匹の目の光が、一瞬だけ変わる。

 外部同期を切って、内部自律へ移行した合図だ。


 玲子は車内非常ボタンのカバーを叩き割った。


「前の車両へ移動して! トラブルよ! 早く!」


 急に強い口調になった玲子に、乗客たちは反射的に動いた。

 文句を言いながらも、人は"指示する声"には案外従う。


「子ども優先! 足元を見て!」


 美緒も、近くの女性客の肩を支えた。

 小さな男の子を連れた母親が、怯えた顔で前の車両へ移る。


 鳴瀬は相変わらず、笑っていた。


「やさしいんだね。

 でも、その間にも音は漏れてる」


「黙れ」


 玲子が低く言う。


「美緒、こっち!」


 車掌用の非常扉。

 玲子は保守用キーでそれを開け、地下鉄の車両からトンネル側の通路へ飛び出した。


「え、外!?」


「列車の中は狭い。感応屋の独壇場になる!」


 美緒は迷う暇もなく、そのあとを追った。

 ノア、レビ、ブチャが続く。

 背後で、鳴瀬の足音も動いた。


 トンネルの中は、思ったよりずっと寒くて暗い。


 非常灯が一定間隔で薄く光っている。

 壁際の保守通路は狭、線路側へ落ちたらしゃれにならない。


「この先に旧式換気室がある!」


 玲子が走りながら言う。


「ファンを手動で回せば、あいつの位相感応を乱せる!」


「手動って、どうやるんですか!」


「壊れてるから、叩き起こすの!」


「説明が雑!」


「謙三の知り合いだもの!」


 その言い方が、ちょっとだけ悔しいくらい父っぽかった。


 背後で、鼻歌が近づく。


「逃げても無駄だよ。

 地下はね、閉鎖空間だから、地上よりも音がよく響くんだ」


 次の瞬間、見えない圧が背中を撫でた。

 美緒の端末がまた熱を持つ。


 「REVI:来る!」


 ノアが振り返りざまに跳んだ。

 黒い影が鳴瀬の顔を狙う。


 けれど鳴瀬は半歩ずれるだけでそれをかわし、手に持った細い金属棒――音叉様のものを弾いた。


 キィン。


 嫌な音。


 ノアの動きが一瞬だけぶれる。

 そこへレビが横から飛び込み、鳴瀬の手首へ噛みつくようにクランプを打ち込んだ。


「うわぁ、ほんとに猫なんだ」


 鳴瀬は楽しそうに笑ったまま、腕を振る。

 レビが壁にぶつかる。


「レビ!」


 「REVI:平気! ちょっとムカついた!」


「換気室、あそこよ!」


 玲子が指した先に、古い鋼鉄扉が見えた。

 赤いペンキで換気設備室と書かれている。


 玲子が蹴りを入れる。

 開かない。


「ブチャ!」


「ぶしゃっ!」


 丸い体が、ありえない勢いで扉へ突っ込んだ。


 どんっ!!


 重い音。

 錆びた扉がひしゃげ、ロックが吹き飛ぶ。


「よし!」


 中は狭い機械室だった。

 壁際に古い制御盤。

 巨大なファンが二基、長く止まっていたせいか、埃をかぶっている。


 玲子が盤面を開く。


「くっそ、やっぱり死んでる……。

 美緒、ドライバー持ってる!?」


「ある!」


 父の古いドライバーを投げる。

 玲子が受け取って、端子を確認しようとした、その瞬間。


「それ、由羅さんのだ」


 鳴瀬が扉の前に立っていた。


 白いイヤホンの線が、薄暗い中でやけに白い。


「お父さんの匂いがする」


 ぞわっとした。


 玲子が吐き捨てる。


「気色悪いわね、あんた」


「よく言われるよ」


 鳴瀬が一歩踏み出す。

 金属棒が小さく鳴った。


 玲子が叫ぶ。


「美緒! 右下のリレーを、手で繋いで直結して! 私はこっち回す!」


「はい!」


 制御盤の右下。

 焦げたリレー。

 二本の接点が、あと少し届かない。


 父の工房でやったのと同じだ。


 美緒は膝をつき、ドライバーを差し込んだ。

 指先が震える。


「頼む……!」


 バチッ!


 火花。

 痺れる。

 でも、離さない。


 玲子が反対側の手動スイッチを力任せに押し込む。


「回れっ!」


 最初は、何も起きなかった。


 次の瞬間。


 ごうっ、と低い唸りが立ち上がる。


 巨大ファンの羽根が、ぎこちなく、でも確かに回り始めた。

 続いて二基目。

 三基目。


 換気室いっぱいに、暴風みたいな音が満ちた。


 鳴瀬の顔色が変わった。


「っ、それ、……うるさ……」


「それ、地下鉄の古い換気音。

 デジタルじゃない。音波の癖が読めないでしょ」


 玲子がにやりと笑う。


 風が、音をかき混ぜる。

 非常灯が揺れる。

 鳴瀬の鼻歌が、はじめて乱れた。


「ノア!」


 美緒が叫ぶ。


 その声で十分だった。


 ノアが闇みたいに低く走る。

 風にまぎれ、鳴瀬の死角へ潜り込む。

 次の瞬間、前脚が白いイヤホンのコードを断ち切った。


「……っ!」


 レビが今度は正面から飛び、音叉の根元へ電撃ニードルを叩きこむ。

 火花が散った。


 ブチャが最後に、真正面から体当たりを叩き込んだ。


「ぶしゃああッ!」


「ぐっ……!」


 鳴瀬は壁へ吹き飛び、保守扉の枠に肩を打ちつけた。

 それでも完全には倒れない。

 細いくせに、妙にしぶとい。


「あはは……やっぱり、面白いね」


 口元に血をにじませたまま、鳴瀬は笑う。


「でも、もう覚えた。

 由羅美緒。

 君の音も、猫の音も」


 玲子が眉をひそめる。


「二度と聞かせない」


「そうかな」


 鳴瀬は後ろの非常ハッチを蹴り開け、そのまま闇へ滑り込むように消えた。

 追うには危険すぎる速度だった。


 換気音だけが、ごうごうと残る。


 しばらく、誰も動けなかった。


 最初に息を吐いたのは、美緒だった。


「……逃げた?」


 「REVI:逃げた」

 「BUCHA:むかつく」

 「NOAH:次は仕留める」


「物騒」


 でも、その一言で少しだけ力が抜けた。


 玲子は壁にもたれ、腕の擦り傷を押さえながら言う。


「追わないで。今はこっちの離脱が最優先」


「玲子さん、怪我は――」


「こんなのかすり傷。あんたの方が顔色悪い」


 たしかに、手はまだ少し震えていた。

 でも、さっきみたいな恐怖だけじゃない。


 自分で繋いだ。

 自分で回した。

 あの場で、何もしないで守られていたわけじゃない。


 その実感が、胸の奥に小さく残っていた。


 換気室のさらに奥には、使われていない保守連絡路があった。


 そこを抜けた先は、閉鎖された地下鉄のホームだった。

 照明の大半は死んでいる。

 広告は色褪せ、ベンチには埃が積もっていた。

 もう誰も降りることのない、地図からも消えたみたいな場所。


「ここなら、しばらくは平気」


 玲子が古いシャッターを閉める。

 金属音が、ホームの空気に長く響いた。


 美緒はベンチに腰を下ろした。

 足がやっと、自分のものに戻ってくる。


 ノアがホーム端へ行き、警戒につく。

 レビは自分の体をぺたぺた確認し、ブチャは当然みたいな顔で美緒の足元に座った。


「……みんな無事?」


 「NOAH:問題なし」

 「REVI:ちょっと耳がキンキンする」

 「BUCHA:腹減った」


「ブレないなあ、ほんと……」


 玲子がふっと笑った。


「そのへん、謙三の設計思想そのもの。

 極限時でも基本機能を失わない」


「食欲が基本機能なんですか」


「大事でしょ」


 そう返してから、玲子は黒匣を起動した。

 光の筋が浮かび、いくつかの追跡ログが流れる。


「鳴瀬に、情報を完全に拾われたわけじゃない。

 換気音から出た音波で妨害はした。

 でも、学校の線はもう危ない」


 美緒の顔が上がる。


「学校?」


 玲子が別の画面を開いた。

 そこには帝国の監督記録らしい、簡易な照会データが並んでいる。


 監視聴取対象追加

 朝比奈夏希


「……夏希」


 玲子が淡々と言う。


「今日、あなたと話した子ね。

 校内監視の映像で拾われてる。

 帝国は本人より先に、周囲から削る」


 胸の奥が、冷たく沈んだ。


「巻き込みたくなかったのに……」


「巻き込まないなんてのは、もう無理」


 玲子の言い方は厳しかった。

 でも、責めてはいなかった。


「だから選ばなきゃいけない。

 逃げ続けるか。

 繋がってる相手や仲間を守る側に回るか」


 美緒は黒匣を見る。


 その中には、まだ無数の"たすけて"が残っている。

 そして今、自分のすぐ近くの誰かまで、檻の中へ引っぱられようとしていた。


「……助けたい」


 口に出した瞬間、自分の声が少しだけ変わった気がした。


 玲子はゆっくりうなずく。


「なら、次は学校が戦場になる」


 ホームの向こうで、ノアが静かに振り返った。

 レビは尻尾を立て、ブチャは無言で立ち上がる。


 美緒も、ベンチから立ち上がった。


 地下鉄の夜は、まだ終わっていない。

 でも、ただ追われるだけの夜でもなかった。


 由羅美緒は、深く息を吸う。


「夏希を放っておけない。

 それに……たぶん、学校にはまだ取られてないものがある」


「何が?」


「"普通"のふりをしてる場所ほど、帝国は油断する。

 父さんなら、そういう場所に何か隠す」


 玲子が少しだけ目を細めた。


「やっと由羅謙三の娘らしくなってきた」


「それ、褒めてます?」


「半分だけ」


 美緒は小さく笑った。


 怖い。

 正直、まだずっと怖い。

 でも、それでも行くしかない。


 足元には三匹の猫。

 隣には、父を知る大人がいる。

 そして、自分の手の中には、まだ切れていない回線がある。


 だったら、次へ進める。


 閉ざされたホームの奥で、遠い列車の振動がわずかに響いた。

 地上ではきっと、朝へ向かって時間が動いている。


 その朝が、檻になる前に。


 美緒は黒匣を抱え直し、前を向いた。


次回は、6月30日更新予定です。

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