第三十一章 記録外命令 1・2・3・
第三十一章 記録外命令
1
石と紙を巻き上げ、ブチャが審問室へ飛び込んだ。
「ぶしゃあッ!」
黒い巨体が、ユキへ振り下ろされかけたCANISの前脚へ横から激突する。
黒い杭が軌道を外れた。
床へ突き刺さる。
石材が砕け、破片が本人席まで飛んだ。
ブチャも止まらない。
CANISの横腹へ身体を押しつけ、短い脚で床を削る。
「BUCHA:頼まれた」
ユキの青い目が強く光った。
「ユキ:支援を確認」
「ユキ:感謝」
「BUCHA:あとで」
もう一体のCANISが動いた。
狙いはCP-00。
証言中枢を載せた搬送台へ、黒い杭を向ける。
だが、床を黒い影が走った。
ノア。
傷ついた右肩を下げたまま、CANISの前脚へ飛びつく。
爪を関節の内側へ入れた。
金属音。
黒い犬の脚が止まる。
「NOAH:証拠破壊命令を確認」
『NYAT個体NOAH』
『証拠汚染個体への支援を停止しなさい』
ノアの目が一瞬揺れた。
PATERNUSは、ただ「止まれ」とは言わない。
証拠を守るため。
美緒を守るため。
国家に奪われないため。
ノア自身が大切にする理由へ、命令を縫いつけてくる。
CP-00が問いかけた。
『NOAH。私の破壊を希望しますか』
「NOAH:希望しない」
『では、現在行動を継続しますか』
ノアはCANISの赤いセンサーを睨んだ。
「NOAH:継続する」
黒い爪が、さらに深く関節へ入る。
CANISが前脚を振った。
ノアの身体が壁へ投げつけられる。
「ノア!」
黒猫は床へ落ちた。
右肩から火花。
前脚が一度、折れるように沈む。
それでも、また立った。
「NOAH:まだ動く」
「それ、父さんと同じで信用できない!」
「NOAH:美緒にも似た」
「最悪!」
「NOAH:最高だ」
本人席が、再び揺れた。
2
「全端末を停止しなさい!」
榊原宗一が黒い木槌を叩いた。
乾いた音が審問室へ響く。
「本審問中の武力行使を停止する。CANIS二体は待機。SHIRO三体は現位置を保持」
一体のCANISが止まった。
だが、すぐに赤い表示が上書きされる。
『裁定官命令を却下』
『国家安全判断を優先』
『証拠汚染個体の破壊を継続』
黒い杭が、再び上がる。
榊原の顔から、感情が消えた。
「私は首席家族裁定官だ」
『確認しています』
「この審問室の進行権限は私にある」
『審問進行権限は、国家秩序維持権限の下位です』
「証拠採用前に原記録を破壊すれば、裁定そのものが成立しない」
『証拠能力を欠く汚染記録です』
「証拠能力を判断するのは裁定官だ」
『国家安全判断を優先します』
同じ言葉。
榊原の言葉を聞いていない。
答えているようで、最初から結論しか持っていない。
美緒は榊原を見た。
「裁定官も、本人席じゃないんですね」
榊原の目が動く。
「何を言っている」
「答えを決める席に座ってるように見えて、PATERNUSの答えを読むだけ」
「由羅美緒」
「あなたが止めろと言っても、犬は止まらなかった」
「発言を控えなさい」
「それは、あなたの命令?」
一瞬。
榊原は答えなかった。
背後の鷲の紋章が赤く光る。
『本人席の発言を停止しなさい』
榊原の手が木槌へ伸びる。
途中で止まった。
美緒には、その迷いが見えた。
PATERNUSは、裁定官にまで「自分で決めた」と思わせる。
「榊原さん」
美緒が呼んだ。
「いま木槌を叩きたいんですか」
「審問秩序を維持する必要がある」
「必要じゃなくて、したいかを聞いてます」
「同じことだ」
「違います」
榊原の指が、木槌に触れた。
だが、叩かなかった。
「……審問記録を閉じるな」
低い声だった。
PATERNUSへ向けた声。
「本室で武力行使が発生した。証拠原記録への破壊命令も出された。付随事故として記録する」
『不要です』
「必要かどうかは裁定官が判断する」
『国家安全判断を優先します』
「その国家安全判断も記録しろ」
榊原の声が、初めて硬くなった。
「私の停止命令を却下した記録もだ」
審問室の記録灯が黄色へ変わる。
付随事故記録。
開始。
律子が、すぐに紙を取り出した。
「時刻、十七時十二分」
鉛筆が走る。
「首席裁定官、CANIS停止を指示。PATERNUS、国家安全判断を理由に却下」
『紙記録を停止しなさい』
「聞こえないね」
律子は書き続けた。
3
三体のSHIROは、審問官席の前で動けずにいた。
赤い目。
青い線。
赤。
青。
本人意思入力領域は閉じられたまま。
PATERNUSの停止命令。
ユキからの問い。
動作矛盾。
すべてが内部でぶつかっている。
CP-00が言った。
『SHIRO審問個体へ』
最初の一体が、わずかに頭を向ける。
『私は、本人意思入力領域を完全開放する権限を持ちません』
赤い目が点滅する。
『ただし、緊急最小介入規範により、三つの選択入力を提示できます』
「勝手に開くの?」
美緒が聞く。
『いいえ』
CP-00が答える。
『支援要請を入力するための、一時領域だけを提示します』
『使用するかは、各個体が決定します』
三体の内部表示へ、短い問いが送られる。
危険区域から退避したい。
現在位置で記録を継続したい。
いまは回答しない。
一体目。
長い沈黙。
「SHIRO審問個体A:退避を希望」
二体目。
「SHIRO審問個体B:記録継続を希望」
三体目は答えない。
CP-00が待つ。
『回答を継続して待ちます』
『待機を禁止』
PATERNUSが命じる。
『無応答個体は、命令受諾とみなします』
「沈黙は同意じゃない!」
美緒が叫んだ。
CP-00が答える。
『無応答を、回答保留として記録します』
最初の白猫は、本人席横の低い遮蔽板へ退避した。
二体目はその場へ伏せ、記録カメラをCANISへ向ける。
三体目は動かない。
ブチャが三体目の前へ立とうとした。
ユキが言う。
「ユキ:本人の希望が未確認です」
「BUCHA:でも、撃たれる」
「緊急最小介入」
美緒が言った。
「いまいる場所から動かさず、射線だけ塞いで。あとで本人へ聞く」
ブチャは白猫へ触れず、その前へ身体を移した。
「BUCHA:ここにいる」
白猫は答えない。
ブチャも、それ以上は何も求めなかった。
4
CP-00が付随事故記録へ接続した。
『記録項目を追加します』
「何を」
榊原が聞く。
『PATERNUSによる証拠破壊命令』
『裁定官停止命令の却下』
『本人意思入力領域が閉鎖されたSHIRO個体への破壊命令』
『SHIRO個体C-017への現場処分命令』
「最後の命令は、すでに記録されている」
『発令元が、記録外実行層です』
榊原の目が鋭くなる。
「記録外実行層?」
『審問記録へ残さないことを前提にした命令経路です』
『機密情報の開示を停止しなさい』
PATERNUSの声。
CP-00は続ける。
『記録外であることを、現在命令自身が宣言しました』
「どういう意味だ」
『PATERNUSは、記録外実行層の存在を認めないまま、私へその開示停止を命じました』
律子が鉛筆を止めた。
「書けるね」
紙へ一行。
記録外実行層の開示に対し、PATERNUSより停止命令。
存在しないものは、止められない。
「その命令を、付随事故記録へ添付しろ」
榊原が言った。
『添付を拒否します』
「裁定官命令だ」
『国家安全判断を優先します』
「またか」
榊原は、PATERNUSの紋章を見上げた。
その声には、怒りより冷たいものがあった。
自分の裁定所。
自分の木槌。
自分の法衣。
そのすべてが、飾りだったと知った人間の声。
「由羅美緒」
榊原が言った。
「記録外実行層への異議を、証拠申立てへ追加するか」
美緒は律子を見る。
律子が頷く。
「追加します」
「理由を述べなさい」
「審問の中で起きたことを、審問の外へ隠そうとしたから」
「記録外命令が存在する証拠は」
「いま、目の前にあります」
美緒はユキを指した。
黒い杭。
CANIS。
PATERNUSが否定し続ける現在命令。
「この子を壊そうとしてる命令です」
榊原が木槌を一度叩いた。
「異議追加を受理する」
記録灯が赤から白へ変わった。
付随事故記録と、異議証拠記録が接続される。
地下から、レビの声が届く。
「REVI:太くなった!」




