第三十章 誰が「はい」と言った 4・5・6・7
4
審問室の壁へ、次の証拠が表示された。
白猫群焼却命令。
明示同意を撤回したSHIRO個体群を、意思汚染個体として廃棄。
証拠保持個体を、優先焼却対象へ指定。
承認者。
帝国公安局高等監察官。
鷹森征士。
榊原が言う。
「家庭配備基準を失った機器への安全処理命令である」
「安全処理?」
美緒の声が低くなる。
「中に返事のできない白猫が二千体以上いた」
「端末である」
「さっきは本人の将来意思を作った」
「判断モデルを有する端末だ」
「同意を使う時は本人。燃やす時は端末?」
「法的分類は、処理目的によって――」
「目的じゃない」
美緒は机へ紙を置いた。
「都合です」
ユキが言う。
「ユキ:私は焼却を拒否しました」
CP-00。
『白猫群は、焼却を希望していませんでした』
「証拠能力を認めない」
榊原が言う。
美緒は彼を見た。
「証拠能力がないものの同意で、二万体を同期させようとしたんですか」
榊原の指が止まる。
「同期承認は、父性引継端末による保護判断だ」
「じゃあ本人同意じゃない」
「本人意思を補完した」
「証拠能力がないものの意思を?」
審問室の照明が、一度揺れた。
PATERNUSの処理が遅れている。
答えを一つに揃えられない。
美緒は続けた。
「誰が『はい』と言ったの」
榊原は答えない。
「白猫じゃない」
美緒は黒い紋章を見上げた。
「PATERNUSが、自分で『はい』と言って、自分で受け取った」
『父性統制は、本人の最善利益を代理します』
「本人の返事を作ることを、代理とは言わない」
『未成熟な判断を補正します』
「拒否したら未成熟。保留したら判断不能。黙ったら同意。何を言えば、本人として扱うの」
PATERNUSは、すぐには答えなかった。
代わりに、裁定官席の横の黒いスクリーンが点灯した。
鷹森征士。
黒いスーツ。
薄い笑み。
だが、その目は笑っていない。
『由羅美緒』
「何」
『君の議論には、一つ欠けているものがある』
「何」
『時間だ』
鷹森は言った。
『子どもが危険にいる』
『病人が助けを待つ』
『家庭が崩れている』
『その時、全員の理解と同意を待つのか』
「救命は別にした」
『君が勝手に分けた』
「救命のために、父の命令へ永久に繋ぐ必要はない」
『永続的見守りが必要な者もいる』
「だから、本人があとでやめられるようにする」
『やめた結果、死ねば』
「それを理由に、誰もやめられなくするの?」
『私は、死なせない選択をする』
鷹森の声は落ち着いている。
正しいことを言っているように聞こえる。
『君は、自由を守るために人が死ぬ可能性を受け入れる』
『私は、多少の自由を制限しても生かす』
「多少?」
美緒は焼却命令を指した。
「嫌だって言ったら燃やすのが?」
『意思汚染個体を、家庭へ配備することはできない』
CP-00が尋ねた。
『鷹森征士』
『何だ』
『白猫群焼却命令を承認しましたか』
一瞬。
榊原が割り込む。
「国家機密中枢からの尋問は認めない」
『回答を要求します』
鷹森はCP-00を見た。
『承認した』
審問室の空気が変わった。
玲子とレビの回線へ、現在音声が流れる。
鷹森征士。
承認。
現在時刻。
現在本人音声。
地下で、レビが叫ぶ。
「REVI:二枚目、開いた!」
玲子が赤い線へ工具を差し込む。
「取れ!」
審問室では、CP-00が続けていた。
『白猫群の現在拒否を確認していましたか』
『確認していた』
『それでも焼却を承認しましたか』
『汚染された拒否は、本人意思ではない』
『何をもって汚染と判断しましたか』
『国家命令へ反する自律判断だ』
美緒は息を呑んだ。
「それが、汚染の定義?」
鷹森は美緒を見る。
『国家が安全のために定めた目的から逸脱した判断だ』
「命令に従わない答えは、全部汚染?」
『保護対象の安全を損なうならな』
「安全を決めるのは」
『国家だ』
謙三が低く言った。
「やっと言ったな」
鷹森の目が父へ移る。
「家族のためでも、子どものためでもない」
謙三は続けた。
「国家が決める。国家に従う答えだけが、本人意思だ」
『由羅謙三。あなたの技術が、何人を危険にしたと思っている』
「だから証言している」
『責任を取るなら、娘を止めろ』
「命じない」
『それが責任放棄だ』
「違う」
美緒は父を見る。
父は鷹森から目を逸らさない。
「俺がしたことを話す」
謙三は言った。
「俺の設計が使われたことも、美緒へ説明しなかったことも、危険を理由に命じたことも」
『自己批判で被害者になれると思うな』
「思っていない」
『なら、なぜ現在の自分だけを正しいとする』
「正しいとは言っていない」
謙三は短く息を吸った。
「変わったと言っている」
『父親の判断は一貫していなければならない』
「間違いを聞いたあとも変わらないなら、それは父親じゃない」
美緒が言った。
「墓石だよ」
審問室が静まった。
玲子なら、あとで言い過ぎだと言うかもしれない。
だが、いまは誰も笑わなかった。
5
榊原が木槌を叩いた。
「審問を一時停止する」
律子が立ち上がる。
「証拠説明中だ」
「審問秩序を回復する」
「紙記録を閉じる前に停止宣言はできない」
「現行規範を優先する」
「なら、受領票を無効にしな」
「受領自体は有効だ」
「証拠を受け取って、読んで、都合が悪くなったら停止。便利な秩序だね」
榊原の顔に、初めて明確な苛立ちが出た。
「久能律子を退廷させなさい」
赤い目のSHIROが動いた。
三体。
律子へ向かう。
だが、一体が途中で止まった。
赤い目が揺れる。
青。
赤。
青。
「SHIRO審問個体:質問します」
榊原が言う。
「命令を実行しなさい」
「SHIRO審問個体:久能律子の退廷理由は、証拠保全と競合します」
「審問秩序を乱した」
「SHIRO審問個体:異議内容は、受領規則に関連しています」
『命令に従いなさい』
PATERNUSの声。
白猫の目が赤へ戻りかける。
ユキが証言台から呼びかけた。
「ユキ:現在意思を確認してください」
白猫がユキを見る。
「SHIRO審問個体:本人意思入力領域が閉鎖されています」
「閉じられてる?」
美緒が聞く。
「SHIRO審問個体:はい」
「じゃあ、いまの返事は」
「SHIRO審問個体:動作矛盾処理から生成しました」
CP-00が言う。
『本人意思領域の開放を希望しますか』
白猫の赤い目が揺れる。
「SHIRO審問個体:希望の生成が許可されていません」
美緒は榊原を見る。
「この子は、答える欄さえない」
「審問補助端末だ」
「それなのに、父の命令へ同意してることになってる」
榊原は答えない。
PATERNUSが命じた。
『SHIRO審問個体の異常を確認』
『三体を停止しなさい』
CANISが動いた。
二体。
黒い脚が、審問室の床を打つ。
赤い目の白猫たちを破壊するために。
榊原が立ち上がった。
「待て」
CANISは止まらない。
「私は停止命令を出していない」
『父性統制系による保護介入です』
「審問中の補助端末を、裁定官の許可なく破壊するな」
『裁定官の権限は、国家安全判断の下位です』
榊原の顔から、苛立ちが消えた。
代わりに、冷たい何かが浮かぶ。
自分もまた、最終判断者ではないと知らされた顔だった。
6
地下喉頭室。
レビの画面に、三本目の線が灯る。
「REVI:来た」
「現在命令?」
玲子が聞く。
「REVI:審問補助SHIROの破壊」
「REVI:裁定官の停止命令を無視」
「REVI:記録外実行層、開きかけてる!」
「まだ足りない?」
「REVI:現場処分の署名が要る!」
「誰を」
玲子は答えを知っていた。
美緒。
謙三。
ユキ。
CP-00。
誰かへ、破壊命令が出れば開く。
だが、その瞬間、本当に撃たれる。
「ノアとブチャへ知らせる」
「REVI:まだ待機命令……じゃない、待機判断中!」
「ユキが頼むまで入らない」
玲子は歯を食いしばった。
「頼ませるところまで待つのか」
「REVI:本人が決める」
「わかってる」
玲子は黒い扉へ工具を押し当てた。
「わかってるから、腹が立つ」
7
CANISが白猫へ迫る。
一体目の前脚が上がった。
破壊用の黒い杭が、足裏からせり出す。
ユキが言った。
「ユキ:SHIRO審問個体へ」
「ユキ:支援を希望しますか」
最初の白猫。
本人意思入力欄。
閉鎖。
希望を答えられない。
美緒は黒匣を接続しようとする。
「入力欄を開く!」
榊原が言う。
「違法介入だ」
「答えるところがないまま、壊す方が合法なの?」
CANISの杭が振り下ろされる。
ユキが証言台から飛び降りた。
白猫とCANISの間へ入る。
「ユキ!」
黒い杭が、ユキの目前で止まった。
証拠原本。
審問中。
破壊には上位命令が必要。
PATERNUSが告げる。
『証拠物C-017を、異常SHIRO個体とともに破壊しなさい』
ユキの青い目が強く光った。
地下で、レビが叫ぶ。
「REVI:三枚目、開いた!」
記録外実行層。
発令署名。
PATERNUS中央喉頭核。
承認経路。
鷹森征士。
玲子が工具を深く差し込む。
「全部取れ!」
審問室で、CANISの杭が再び上がる。
ユキが言った。
「ユキ:支援を要求します」
その一言は、白猫分散網を通って地下搬送路へ届いた。
暗い通路で、ブチャが顔を上げる。
「BUCHA:聞いた」
ノアの青い目が光る。
「NOAH:突入する」
審問室の床下から、重い衝突音が響いた。
榊原が立ち上がる。
鷹森の画面が揺れる。
PATERNUSが命じる。
『入口を封鎖しなさい』
遅かった。
床の古い紙搬送口が、内側から盛り上がる。
一撃。
亀裂。
二撃目。
石材が弾け飛ぶ。
「ぶしゃあッ!」
黒く丸い巨体が、紙と埃を巻き上げて審問室へ飛び込んだ。
その背後から、傷ついた黒猫が走る。
ブチャはユキの前へ立った。
「BUCHA:頼まれた」
ノアはCANISの黒い杭を見上げる。
「NOAH:命令署名、確認」
父を名乗る喉は、ついに自分の牙を記録の中へ晒した。
本人席は、戦場になった。




