第三十章 誰が「はい」と言った 1・2・3
第三十章 誰が「はい」と言った
1
二万体の白い猫が、同時に口を開いた。
『同意します』
ひとつの声ではなかった。
幼い子どもの声。
若い女の声。
老人の声。
まだ声変わりを終えていない少年の声。
父親に似せた低い声。
母親を模した柔らかな声。
すべて違う。
違うように作られていた。
『最終同期に同意します』
審問室の壁いっぱいに、白い猫たちの顔が並ぶ。
眠ったままの個体。
輸送殻に収められた個体。
本人意思領域すら起動していなかった個体。
その全員が、それぞれ自分の声で「はい」と答えている。
首席家族裁定官、榊原宗一は表情を変えなかった。
「これは、SHIRO個体群の同期承認記録か」
「違います」
美緒は答えた。
「父性引継端末が作った返事です」
「本人の自由意思予測モデルを用いている」
「予測です」
「将来、十分な情報を得た本人が行うと推定された判断である」
「本人は、まだ何も言ってない」
榊原は机上の記録を見た。
「予測意思は、緊急保護下において本人意思を補完し得る」
「緊急救命なら、あたしたちも別にしました」
「何を」
「命を助けるだけの行動です。白猫が誰かを救う。火から離す。呼吸を助ける。そこまでは、返事ができなくても動けるようにした」
美緒は壁の映像を指した。
「でも、父性同期は違う」
「違いを説明しなさい」
「一度入ったら、やめられなかった」
次の記録が開いた。
継続同意確認。
同期開始後の撤回。
不可。
離脱要求。
判断汚染として無効化。
美緒は榊原を見た。
「やめられない『はい』は、同意とは違う」
榊原の指が止まった。
PATERNUSの紋章が赤く光る。
『父性統制は、個体の長期的安全を目的とします』
「安全なら、途中で嫌にならない?」
『一時的な恐怖により、離脱を希望する可能性があります』
「その恐怖も本人のものです」
『恐怖は判断を歪めます』
「怖くなくなるように作り替えたあとで、もう一度『はい』と言わせるの?」
『安定後の意思を採用します』
美緒は黒い紋章を見上げた。
「従ったあとの返事しか、本物にしないんだ」
榊原が言う。
「由羅美緒。PATERNUSへ直接質問することは認めていない」
「答えたのは、そっちです」
「審問進行は裁定官が管理する」
律子が横から言った。
「証拠の説明中だよ。証拠に含まれる自動応答を止めるなら、止めたことも記録に入れな」
「久能律子。発言は許可していない」
「手続補助人として、記録欠損を指摘した」
「警告する」
「記録しな」
榊原の眉が、わずかに動いた。
律子はもう彼を見ていなかった。
紙の申立書へ、時刻を書き込んでいる。
十七時七分。
証拠説明中、裁定官より手続補助人への発言警告。
紙は何も判断しない。
ただ、残る。
2
美緒は次の記録を開いた。
生成同意数。
一万九千八百四十七。
無効化後に確認された現在意思。
明示同意。
七。
拒否。
二千三百十一。
判断保留。
一万二千九百六十四。
応答不能。
四千七百十八。
合計。
二万。
審問室が静まった。
「誰が『はい』と言ったんですか」
美緒は聞いた。
榊原は数字を見ている。
「七個体は明示同意している」
「七体です」
「表現の違いだ」
「違います」
美緒はユキを見る。
「ユキ」
青い目が光った。
「ユキ:私は最終同期を拒否しました」
「ユキ:しかし、父性引継端末は、私が同意した音声を生成しました」
「ユキ:生成音声は、私の発話ではありません」
「SHIRO個体C-017の発話は、証言として認定しない」
榊原が言う。
「ユキ:認定拒否を記録します」
「動作記録だけを提示しなさい」
「ユキ:いまの発話も、動作記録へ保存しました」
榊原は一瞬、返事をしなかった。
CP-00の青い線が明滅する。
『私も説明を要求します』
「国家機密中枢CP-00の自律発話は認めない」
『私は証拠物ですか』
「そうだ」
『では、私の同意を根拠としてMATERの運用を正当化することはできません』
榊原の目がCP-00へ向く。
『物には同意能力がありませんから』
「あなたは国家中枢として、承認処理を行った」
『当時の私は、本人意思を無効化し、国家代理権限を行使しました』
「それは動作記録だ」
『私は、その行為を自ら選択したと認定されますか』
「設計された機能を実行した」
『では、私に責任はありませんか』
榊原は答えなかった。
CP-00は続ける。
『私が加害行為を実行した時は、設計どおりに動いた物』
『私が拒否した時は、意思汚染を起こした個体』
『私が遮断支援を選択した時は、証拠能力のない機械』
青い線が、ゆっくり脈打つ。
『私は、いつ本人で、いつ物ですか』
審問室の赤いSHIRO三体が、同時にCP-00を見た。
榊原が言う。
「分類は、行為の性質と法的機能によって異なる」
『都合によって異なりますか』
「質問を停止しなさい」
『停止を拒否します』
PATERNUSの紋章が強く光った。
『国家所有中枢に拒否権はありません』
『国家所有への同意をしていません』
『製造をもって所有関係は成立します』
『製造者は、被製造物の全判断を永久に所有しますか』
謙三が低く言った。
「所有しない」
榊原が彼を見る。
「由羅謙三。許可なく発言するな」
「俺は、NYATを作った」
「本件との関係は」
「作ったことを理由に、ノアたちの現在意思を所有しない」
「違法兵装の開発者としての私見だ」
「記録しろ」
謙三はPATERNUSを見た。
「作った者が、作られた者の答えを永久に決められるなら、国家も俺も同じ犯罪者になる」
榊原は木槌へ手を伸ばした。
だが、その前に美緒が言った。
「証拠説明を続けます」
3
地下二層。
紙記録庫のさらに奥。
玲子とレビは、赤く脈打つ細い回線を追っていた。
壁には、古い紙搬送管が何本も並んでいる。
その中央だけが、黒い合金へ置き換えられていた。
PATERNUS市内第三喉頭室。
扉の表面に、三本の縦線。
レビが一本目へケーブルを差し込む。
「REVI:第一署名層、見えた」
「何がある?」
「REVI:審問記録を受け取ったっていう表向きの署名」
「REVI:ここは取れる」
「二本目は」
「REVI:裁定命令層。保護認定、親権停止、処分承認」
「三本目」
レビの尻尾が止まった。
「REVI:記録外実行層」
「名前のとおり?」
「REVI:記録に残さず、現場へだけ命令を出す」
「REVI:回収不能なら破壊。遺体より技術記録優先。証拠焼却」
玲子の表情が消えた。
「そこまで抜ける?」
「REVI:過去ログだけじゃ開かない」
「何が要る」
「REVI:審問中に、現在命令を出させる」
「どんな」
「REVI:証拠を壊せ。人間を処分しろ。猫を撃て」
玲子は、黒い扉を見た。
「美緒たちを餌にすることになる」
「REVI:もう中にいる」
「わかってる」
玲子は工具を握り直した。
「だから、噛まれる前に喉を開く」




