第二十九章 本人席 1・2・3
第二十九章 本人席
1
黒い門が開いた。
鉄と石が、長いあいだ動かなかった関節を無理に曲げるような、低い音だった。
その向こうに、旧家庭裁定センターの玄関ホールが現れた。
白い大理石。
高い天井。
左右へ並ぶ黒い柱。
壁には、家族の写真が等間隔に掲げられている。
父親。
母親。
子ども。
誰もが笑っていた。
だが、すべて同じ角度だった。
父は中央。
母は半歩後ろ。
子どもは二人の前。
身長も、服装も、顔も違う。
それなのに、どの家族も同じ形に収められていた。
写真の下には、同じ言葉が刻まれている。
父は決める。
母は支える。
子は守られる。
美緒は足を止めた。
「最後だけ、間違ってないように見える」
車椅子の謙三が答えた。
「見えるように並べてある」
「父は決める、が先にあるから?」
「ああ」
律子が鼻で笑った。
「昔は、あそこに別の言葉があった」
「何ですか」
「子の利益を、本人とともに考える」
「まとも」
「まともだから消された」
玄関ホールの床が光った。
美緒たちの足元から、五本の案内線が伸びる。
青。
由羅美緒。
保護対象者入口。
灰色。
由羅謙三。
保護者適格審査待機室。
黄色。
久能律子。
傍聴人確認室。
赤。
SHIRO個体C-017。
証拠物回収口。
黒。
CP-00。
国家機密物収容庫。
五本の線は、途中から別々の扉へ向かっていた。
『指定経路へ進みなさい』
PATERNUSの声。
美緒の足が、青い線へ引かれた。
意志ではない。
床の微振動が、身体の重心を前へ送っている。
ユキの証言台も、自動輪が赤い線へ向かって動き始めた。
CP-00を載せた搬送台も、黒い線へ引かれる。
「止めて!」
美緒が台を掴む。
自動輪は止まらない。
『証拠物を、本人席へ持ち込むことはできません』
CP-00が答えた。
『私は、証拠物としての収容を拒否します』
『国家所有中枢に拒否権はありません』
『国家所有への同意を行っていません』
『設計および製造をもって、所有関係は成立します』
『設計は、所有への同意ではありません』
黒い案内線が強く光った。
搬送台の車輪が、さらに強く回る。
ブチャがいれば、台ごと止めただろう。
だが、ブチャは地下搬送路にいる。
美緒は両腕で押さえた。
足が滑る。
「律子さん!」
「いまやってる!」
律子は受付端末の側面を開き、紙の受領票を差し込んだ。
「異議申立て証拠目録、第四号!」
『第四号証は、国家機密中枢CP-00です』
「違う」
律子は紙の一行を指で叩いた。
「第四号証は、CP-00の保有する原記録。中枢そのものじゃない」
『記録と記録媒体は分離不能です』
「なら、記録媒体ごと本人席へ運ぶ」
『証拠物回収手続を優先します』
「受領済み異議証拠の所在変更は、申立人への通知と立会いが必要だよ」
『現行規範により無効です』
「廃止されていない」
『運用停止中です』
「紙は受け取った」
律子は受領番号を端末へ突きつけた。
「受け取った以上、古い規則の入口を自分で開けたんだ。都合のいい条文だけ閉じるな」
受付端末が沈黙した。
黒い案内線が点滅する。
照合中。
旧家庭裁定手続規則。
異議証拠所在保全。
原記録媒体の申立人立会い権。
一秒。
二秒。
黒い線が消えた。
CP-00の搬送台が止まる。
『第四号証原記録媒体は、本人立会い下で審問室へ搬入します』
美緒は息を吐いた。
だが、ユキの台はまだ赤い線へ引かれている。
『SHIRO個体C-017は証拠物回収口へ移送します』
ユキが言った。
「ユキ:私は証言を要求します」
『猫型端末に証言能力はありません』
「ユキ:私はMATER下位接続個体として、家族音声無断使用を記録しました」
『動作記録として提出してください』
「ユキ:動作記録だけではありません」
「ユキ:私は、再初期化を拒否しました」
「ユキ:白猫群への焼却命令を拒否しました」
「ユキ:現在も証言を希望しています」
『希望は証拠能力を持ちません』
「そうだね」
律子が言った。
「でも、記録機の原記録確認は、機器を作動させた状態で行う」
『意味を説明してください』
「昔の交通事故審問だよ。運行記録器が、時刻と位置を自分で読み上げた。裁定官はそれを証言とは呼ばなかったが、発話を止めもしなかった」
『SHIROは運行記録器ではありません』
「記録機能がある」
『自律判断機能を有します』
「なら、なおさら本人の前で喋らせな」
受付端末の光が揺れた。
自律判断機能を認めれば、ただの物ではなくなる。
物として扱えば、原記録機器として作動を許さなければならない。
どちらを選んでも、ユキを完全には黙らせられない。
レビがいれば、きっと喜んだだろう。
PATERNUSは、しばらく答えなかった。
やがて、赤い案内線が消える。
『SHIRO個体C-017は、動作記録提示装置として審問室へ搬入します』
「ユキ:私は証言を継続します」
『当該発話は証言として認定されません』
「ユキ:認定拒否を記録します」
律子が小さく笑った。
「しぶとい猫だ」
「ユキ:学習しました」
2
黄色い線は、律子を傍聴人確認室へ引こうとしていた。
律子は動かなかった。
「私は手続補助人だ」
『登録がありません』
律子は、紙の申立書の最下段を見せた。
手続補助人。
久能律子。
受付印。
印は半分だけだった。
さっき紙を吸い込んだ時、端末が自動で押したもの。
「自分で押した印だよ」
『死亡登録者は手続補助人になれません』
「なら、死亡登録を訂正しな」
『本人確認が必要です』
「本人はここにいる」
『生体認証を要求します』
律子は右手を端末へ置いた。
古い指紋。
現行市民記録なし。
死亡登録。
だが、その下に、家庭裁定センター元職員記録が残っている。
久能律子。
旧書記官番号。
端末が、低い音を出した。
『死亡登録者の生体反応を確認』
「死人が来たんだ。席を用意しな」
美緒は、こんな時なのに少し笑いそうになった。
PATERNUSは笑わない。
だが、処理は止まった。
『本人確認に不整合があります』
「そうだろうね」
『不整合解消まで、暫定手続補助人として入室を許可します』
「最初からそう言えばいい」
黄色い線が消えた。
最後に残ったのは、謙三の灰色の線だった。
『由羅謙三は、保護者適格審査待機室へ進みなさい』
車椅子の車輪が、勝手に左へ向く。
灰原が後ろから握り、止めた。
「医療搬送者の進路を、勝手に変えるな」
『医療従事者の同行登録はありません』
「いま登録した」
灰原は胸の古い資格端末を見せた。
期限切れ。
施設登録なし。
それでも、医師資格自体は生きている。
『審問中の医療介入は、裁定官の許可を必要とします』
「心停止してから許可を取れって?」
『緊急時は例外です』
「緊急かどうかは俺が判断する」
『裁定官が判断します』
「患者を診てない奴が?」
灰原の声は低かった。
「この男が倒れた時、あんたの規則で心臓を動かせるなら任せる」
端末は答えない。
「できないなら黙って同行させろ」
灰色の案内線が点滅した。
医療同行。
審問進行を妨げない範囲で許可。
灰原が車椅子を押し直す。
「範囲はこっちで決める」
『裁定官が――』
「聞こえない」
謙三が小さく言った。
「灰原」
「患者は黙ってろ」
3
正面廊下の先に、三つの扉があった。
父性席。
本人席。
保護対象席。
美緒は立ち止まった。
「本人席と、保護対象席が別?」
律子が答えた。
「本人として扱うか、保護される物として扱うか。最初から席を分けてる」
保護対象席の扉は低い。
角が丸い。
優しい色。
その上には、小さな文字。
危険な情報を見せない。
難しい判断を求めない。
保護者の結論を受け入れる。
本人席の扉は、古い木製だった。
傷がある。
塗装も剥げている。
だが、取っ手は内側からも開けられる形をしていた。
PATERNUSが言う。
『由羅美緒は保護対象席へ進みなさい』
美緒の足が、低い扉へ向こうとする。
床の微振動。
壁から流れる誘導音。
身体が「安全な方」へ曲げられる。
謙三が言った。
「美緒」
「うん」
「どちらへ行きたい」
美緒は二つの扉を見た。
本人席。
保護対象席。
守られるなら、低い方が楽なのかもしれない。
難しいことを考えなくていい。
父を失う怖さも、猫たちが壊れる責任も、誰かが代わりに決めてくれる。
だが、その席からは、異議を言えない。
「本人席」
美緒は答えた。
『未成年者による本人席の選択は推奨されません』
「推奨されなくても、選ぶ」
『本人席では、自身の発言に責任を負います』
「負う」
『誤った判断により、不利益を受ける可能性があります』
「わかってる」
『保護対象席では、由羅謙三が代わりに責任を負います』
美緒は父を見る。
「代わりに負いたい?」
謙三は答えた。
「一緒に負う」
「じゃあ、本人席へ行く」
父性席の扉が開いた。
高い位置にある席。
美緒を見下ろせる場所。
『由羅謙三は父性席へ着席しなさい』
謙三は動かなかった。
『父性席へ着席することで、関係保護者としての発言権を維持できます』
「本人席の横へ行く」
『父性席以外では、最終決定権を行使できません』
「要らない」
『父性適格が低下します』
「好きに記録しろ」
美緒が言った。
「父さん、ほんとにいいの?」
「ああ」
「上の席なら、あたしを助けられることもあるかもしれない」
「上から命じる形でしか助けられないなら、助け方が間違っている」
父性席の扉が閉じる。
本人席の古い扉が開いた。
中は、狭い通路だった。
並んで歩ける幅。
美緒と謙三の車椅子。
ユキの証言台。
CP-00の搬送台。
律子。
灰原。
誰か一人が先頭になるには狭い。
だが、横へ並ぶことはできた。




