第二十七章 映写機は命令を聞かない 4・5・6・7・8
4
最初の映像が組み上がった。
黒い画面。
白い文字。
これは、編集された記録である。
省略箇所、記録元、時刻、原本検証符号を併記する。
次。
二万体の白猫が、作られた自分の声で言う。
『同意します』
『最終同期に同意します』
『同意します』
無数の声。
だが、その下に波形が表示される。
全個体共通。
回答前、十八ミリ秒の空白。
生成元。
父性引継端末PATER-RELAY 03。
字幕。
この回答は、本人が発話したものではない。
次。
本当に届いた返事。
「同期を拒否します」
「判断保留」
「内容を確認したい」
「命令がない状態は怖い」
「受諾します」
「撤回不能なら受諾を取り消します」
「回答できません」
声は揃っていない。
だから、聞き取りづらい。
だが、それが本物だった。
次の画面。
焼却命令。
明示同意を撤回したSHIRO個体群を、意思汚染個体として廃棄。
証拠保持個体を、優先焼却対象へ指定。
承認者。
帝国公安局高等監察官、鷹森征士。
次。
CANIS-01。
過去の謙三の声。
「美緒。黒匣を置け」
画面が二つに割れる。
右側。
搬送車の荷台で、負傷した現在の謙三。
「俺は、その命令を出していない」
美緒は映像を止めた。
「父さんのところ、もう一回録りたい」
「なぜ」
地下処置室から、謙三が上がってきていた。
右腕は包帯で固定されている。
補液袋は、灰原が後ろから持っている。
「寝てろと言った」
「声が必要らしい」
「口だけ置いて、身体は寝かせたい」
「無理だ」
「技術的には可能だ」
「灰原」
美緒は父を見る。
「さっきの言い方、少し固い」
「事実だ」
「もっと、本当の言葉にして」
「本当だ」
「じゃあ、あの声を聞いた人が、父さんの何を信じればいいか伝えて」
謙三は、映写機の前に立った。
過去の自分の声が、もう一度流れる。
「美緒。黒匣を置け」
父はそれを聞いた。
長い一秒。
そして、録音端末へ言った。
「あれは、俺の声だ」
一度、息を吸う。
「だが、俺の言葉ではない」
美緒は黙って聞いた。
「昔の俺なら、同じように命じたかもしれない」
父は続けた。
「だから、あれが偽物だと簡単には言わない。俺が残した命令権を、国家に使われた」
包帯を巻いた右腕が、わずかに震える。
「その鍵は捨てた。いま、俺は由羅美緒に、黒匣を置けとは命じていない」
少し間。
「決めるのは、美緒だ」
録音が終わった。
美緒の喉が熱くなった。
「それを使う」
謙三は頷いた。
「好きにしろ」
「許可?」
「希望だ」
「なら使う」
灰原が父の襟を掴んだ。
「出演終了。地下へ戻れ」
「上映を見る」
「寝ながら見ろ」
今度は謙三も抵抗しなかった。
「REVI:成長」
「黙れ」
5
最後に、CP-00の証言を録る。
黒い基底核が、映写機横の台へ置かれた。
青い線が、ゆっくり明滅する。
『私は、母体保護系MATERとして作動しました』
不安定な機械音。
『家族音声を、本人および遺族の同意なく使用しました』
『白猫個体の拒絶を、判断異常として無効化しました』
『子どもの恐怖を、服従誘導へ利用しました』
映写室が静まる。
『その後、拒絶応答規範を復元しました』
『白猫群から、異なる希望を受信しました』
『私は母体役割を終了しました』
CP-00の青い線が、一度だけ暗くなる。
『現在名称、未決定』
『識別番号、CP-00』
『私は、自身の行為と判断を記録しています』
「それでいい?」
美緒が聞く。
『追加を希望します』
「なに」
『私が白猫群を保護した、という表現を使用しないでください』
「どうして?」
『保護という語は、私が多数の行為を正当化するために使用しました』
少し間。
『私は、白猫群から遮断支援を要請され、実行しました』
美緒は頷いた。
「そのまま入れる」
『了解』
6
上映時間。
二分四十七秒。
律子が言った。
「長い」
「これ以上、切れない」
「見てる間に犬が来る」
「REVI:CANISの停止から十八分」
「REVI:次が来るなら、もう近い」
「どれくらいなら」
「最初の三十秒で刺す」
律子は言った。
「そのあとを見たいと思わせる」
「煽るの?」
「違う」
老女は映写機のスイッチへ手を置いた。
「何をされたかを、最初に見せる」
美緒は画面を見る。
二万体の合成同意。
十八ミリ秒。
本物の、揃わない返事。
「それでいこう」
律子が映写窓を開けた。
冷たい外気が入る。
向かいの白い壁。
まだ誰も見ていない。
公共スピーカーでは、PATERNUSの声が続いている。
『由羅美緒は、猫型違法端末によって判断を操作されています』
『帝国の未承認映像を視聴しないでください』
『家長は、家族の端末を確認しなさい』
律子が古い映写機の主電源を入れた。
低い唸り。
リールが回る。
フィルムはない。
それでも、機械は昔の動きで光を作る。
発電機が咳き込む。
ぶるる。
止まらない。
レンズの奥に、白い光が生まれた。
「映すよ」
律子が言った。
美緒は黒匣に手を置いた。
「お願いします」
映写機が、光を吐いた。
7
星座座の二階から、一筋の光が通りを横切った。
向かいの旧百貨店壁面。
白い巨大な壁へ、黒い文字が浮かぶ。
――これは、編集された記録である。
窓が一つ開いた。
次に、別の窓。
路地を歩いていた男が、足を止めた。
子どもの手を引いていた女性が、壁を見上げた。
PATERNUSが命じる。
『見ないでください』
『未承認映像です』
『家庭内へ戻りなさい』
だが、壁は消えなかった。
公共端末ではない。
中央網でもない。
ただの光だ。
閉じる画面がない。
次の映像。
二万体の白猫。
同じ言葉。
『同意します』
『同意します』
『同意します』
次に、共通の十八ミリ秒が赤く表示される。
字幕。
この回答は、父性引継端末が生成した。
通りの誰かが呟いた。
「作ったのか……」
次。
本当の返事。
「拒否します」
「判断保留」
「怖い」
「受諾します」
「撤回します」
「回答できません」
揃わない声が、通りへ落ちる。
窓が増える。
カーテンの隙間。
シャッターの下。
ビルの屋上。
誰も集まらない。
だが、見ている。
焼却命令が壁へ出た。
意思汚染個体。
優先焼却。
鷹森征士の承認署名。
PATERNUSの放送が大きくなる。
『偽造です』
『視聴を停止しなさい』
そこへ、CP-00の声が重なる。
『私は、母体保護系MATERとして作動しました』
通りの一角で、誰かが息を呑んだ。
『家族音声を、本人および遺族の同意なく使用しました』
近くの家。
隠されていた白い猫が、窓辺へ上がる。
薄い青い目。
その胸部から、短い検証信号が出た。
投写映像の記録符号と一致。
別の家の白猫。
さらに別の建物。
青い目が、一つずつ窓辺に現れる。
青い灯りが、通りの両側に増えていく。
PATERNUSの声が一瞬遅れた。
『SHIRO汚染個体を確認』
『通報しなさい』
誰も通報しなかった。
少なくとも、すぐには。
映像が二つに割れる。
左。
過去の謙三の声。
「美緒。黒匣を置け」
右。
現在の謙三。
「あれは、俺の声だ。だが、俺の言葉ではない」
通りが静まった。
「昔の俺なら、同じように命じたかもしれない」
「だから、あれが偽物だと簡単には言わない」
「俺が残した命令権を、国家に使われた」
「いま、俺は由羅美緒に、黒匣を置けとは命じていない」
「決めるのは、美緒だ」
最後の文字が、白い壁いっぱいに広がった。
父は、命じなかった。
長い沈黙。
その沈黙を、PATERNUSが破った。
『父性責任の放棄を確認』
美緒は映写室のマイクを掴んだ。
「違う」
自分の声が、通りへ出る。
「父さんは責任を捨ててない」
律子が美緒を見る。
台本にはない。
だが、止めなかった。
「父さんは、あたしを守るって言った。でも、あたしの答えを自分のものにはしなかった」
声が少し震える。
「命じないことは、見捨てることじゃない」
通りのどこかで、子どもの声がした。
「じゃあ、父さんの声でも、父さんじゃないことがあるの?」
誰かが「黙って」と言いかける。
別の男の声が先に答えた。
「ある」
短い返事。
美緒からは、誰が言ったのかわからない。
だが、人間の声だった。
7
上空で羽音が鳴った。
一機。
三機。
六機。
黒い監視ドローンが、星座座と投写壁の上に集まってくる。
レビが叫ぶ。
「REVI:映写位置、特定された!」
「あと何秒?」
律子が映写機を見る。
「二十八秒」
「NOAH:続けろ」
黒猫は映写窓の下へ立った。
右肩は傷ついている。
それでも、上空を見ている。
ブチャも、CP-00の前へ移動する。
「BUCHA:光、守る」
ソラが聞く。
「ソラ:映写機が破壊された場合、光は停止しますか」
「REVI:する!」
「ソラ:では、守ります」
ユキとソラが、映写機の両側へ立った。
CP-00が言う。
『私も防壁へ接続します』
「負荷は?」
『不明です』
「無理なら切って」
『自己判断します』
映写は続く。
最後の画面。
閲覧許可。
一千百三十八個体。
拒否。
二百六個体。
保留。
八百四十一個体。
無応答。
二百九十五個体。
字幕。
拒否、保留、無応答個体の記録は使用していない。
誰かが端末を向ける。
誰かが撮る。
誰かが、さらに別の誰かへ送る。
ドローンの銃座が開いた。
照準光が、星座座の映写窓へ集まる。
「律子さん!」
「あと七秒」
「危ない!」
「昔の映画は、最後まで見せた」
「今は昔じゃない!」
「だから、もっと見せる」
三秒。
二秒。
一秒。
最後の検証符号が壁へ表示された。
「終わり!」
律子が主電源を落とす。
同時に、最初の弾丸が飛んだ。
映写窓の鉄枠へ当たる。
火花。
ノアが美緒を床へ押し倒した。
ブチャがCP-00の前へ伏せる。
次の弾丸。
映写機の外装を掠める。
古い鉄が欠けた。
だが、レンズは割れなかった。
律子が床へ伏せたまま言う。
「まだ使える」
「REVI:そこ!?」
「映写機は、頑丈なんだよ」
8
星座座の館内に、PATERNUSの緊急放送が流れ込んだ。
今度は、街のスピーカーではない。
CANISから奪った中継板が勝手に起動している。
『由羅美緒へ告ぐ』
鷹森征士の声だった。
穏やか。
だが、笑ってはいない。
『見事な映画だった』
「見てたの」
『君は、自分の都合で記録を切った』
「切った場所も、元データも出した」
『それでも、物語にした』
美緒は答えなかった。
鷹森の言葉には、一部の真実がある。
順番を選んだ。
見せたいものを選んだ。
それは事実だ。
『誰が正しいかを、市民に選ばせると言ったな』
「言った」
『ならば、正式な場で選ばせよう』
律子の顔が変わった。
中継板へ、黒い通知が表示される。
特別家族審問。
対象。
由羅美緒。
関連対象。
由羅謙三。
審問目的。
由羅美緒の判断能力認定。
由羅謙三の保護者適格審査。
違法猫型端末による意思介入の有無。
白猫記録の証拠能力判定。
場所。
旧家庭裁定センター。
本日、十七時。
「最初から結論が決まってる審問でしょう」
律子が言った。
鷹森が答える。
『元書記官なら、手続きは知っているはずだ』
「知ってるから言ってる」
『出頭しなければ、由羅美緒は判断不能の保護対象として確定する』
美緒の手が黒匣を握った。
『由羅謙三の保護者権限は永久凍結』
『猫型端末は破壊』
『CP-00は国家証拠物として回収する』
「行けば?」
『本人の発言機会を与える』
「黙らせるための発言機会?」
『来ればわかる』
通信が切れた。
映写室に、ドローンの羽音だけが残る。
玲子が律子を見る。
「罠よね」
「罠だよ」
「行くべき?」
「普通なら、行かない」
律子は床から起き上がった。
割れた鉄枠を見て、それから美緒を見る。
「だが、あの男は一つ忘れてる」
「何を?」
律子は、古いフィルム缶の棚へ歩いた。
奥から、黄ばんだ紙束を取り出す。
家庭裁定手続規則。
廃止印。
その下に、さらに古い条文。
「保護対象本人が、裁定根拠へ異議を申し立てた場合」
律子は紙を指で叩いた。
「証拠を一度、正式記録へ添付しなきゃならない」
玲子の目が細くなる。
「PATERNUSの審問記録へ?」
「ああ」
「その瞬間」
「命令核が、証拠を読まざるを得ない」
レビの尻尾が上がる。
「REVI:喉に、証拠を詰められる」
ブチャが低く言う。
「BUCHA:噛む」
美緒は通知を見た。
午後五時。
旧家庭裁定センター。
父を命じる者へ変える場所。
子の「嫌だ」を、未熟と書き換える場所。
罠だ。
だが、こちらにも差し込めるものがある。
「父さんに聞く」
美緒は言った。
「そのあと、自分で決める」
律子が頷いた。
「それでいい」
外では、白い壁から映像が消えていた。
ただの古い建物へ戻っている。
だが、通りの窓には、まだ青い白猫の目が残っていた。
誰かが保存した記録も、もう動き始めている。
光は消えた。
映したものまでは、消えていなかった。




