第二十七章 映写機は命令を聞かない 1・2.3
第二十七章 映写機は命令を聞かない
1
星座座の扉が閉まった。
PATERNUSの声が、厚い鉄と古いコンクリートに遮られる。
『父は命じる――』
最後の一節だけが、扉の隙間から入り込んだ。
そこで音が途切れた。
代わりに聞こえてきたのは、古い発電機の作動音だった。
ぶるるるる。
一定ではない。
時々、息をつく。
時々、咳き込む。
だが、その発電機は止まらなかった。
「古い機械は、融通が利かない。素直に「命令」には従わない」
謙三が言った。
白髪の老女が、彼を横目で見た。
「言うじゃないか、技師さんよ」
女は星座座の扉の鍵を内側から三重にしっかりかけた。
最後に、錆びた鉄棒を扉の取っ手へ差し込む。
「私は久能律子」
美緒たちへ背を向けたまま名乗った。
「この映画館の映写係。昔は、家庭裁定センターの書記官だった」
美緒の身体がわずかに固くなる。
「家庭裁定センター……」
「そうだよ」
律子は振り返った。
「保護命令を書いて、子どもを家から引き剥がす側にいた」
声に弁解はなかった。
だから、美緒もすぐには何も言えなかった。
律子は、謙三の血が垂れた腕を見る。
「責めるならあとにしな。まず、死にそうな奴を寝かせる」
「死にそうではないが」
謙三が答える。
「患者は大抵そう言う」
客席の奥から、作業着の男が出てきた。
五十代。
無精髭。
片手に救急箱。
もう片方に、工具箱。
両方が同じように傷んでいる。
「灰原」
律子が呼んだ。
「人間の治療を頼む」
男は謙三の顔を見た。
「これは人間か?」
「一応は、ね」
玲子が答えた。
「白峰」
謙三が玲子を睨む。
灰原は謙三の首筋を見た。
焼灼痕。
薬物拘束の注入口。
浅い呼吸。
次に、血の滲む右腕。
「地下で何をしてきた」
「猫を助けた」
「それで、その大怪我か?」
「ああ」
「それにしても深手だな」
灰原は謙三の肩を掴み、地下へ続く階段を指した。
「寝ろ」
「作業がある」
「寝ながらやれ」
「無理だ」
「なら寝るだけにしろ」
美緒が父の背中を押した。
「行って」
「美緒」
「医療を受けるよう指示します」
謙三は、美緒、灰原、玲子の顔を順に見た。
味方がいないことを理解したらしい。
「十分でやってくれ」
「REVI:また出た、十分」
「黙れ」
「REVI:聴覚も元気」
灰原に連れられ、謙三が地下へ降りていく。
その足取りは重い。
ここまで、よく歩いてきた。
そう思う。
口には出さなかった。
父を褒めれば、また無理をして動こうとする。
2
星座座のロビーには、映画の残骸が残っていた。
色褪せたポスター。
巨大な怪獣。
拳銃を持った刑事。
夕焼けの中を走る子ども。
宇宙船。
恋人たち。
誰もが、何かから逃げているか、何処かへ向かっていた。
CP-00はブチャの背から降ろされ、かつて売店だったカウンターの台の上へ置かれた。
六十二・七キログラム。
ブチャが身体を伸ばす。
「BUCHA:軽くなった」
「REVI:ブチャがその台詞を言う日が来るとは」
CP-00の青い線が、ロビーを見回すように明滅した。
『質問します』
「なに?」
美緒が答える。
『映画とは、作り物の虚偽情報ですか』
律子が、少しだけ口元を動かした。
「そういう映画もある」
『では、真実を映すことはできませんか』
「できる」
律子は古いフィルム缶を一つ、床へ置いた。
「ただし、映したものが必ずしも真実とは限らない」
『矛盾していますね』
「映す人間が、都合の悪い部分を切るからだよ」
律子は、フィルムカッターを開いた。
「ここを切る。向きを変える。別の場面を繋ぐ。そうすれば、逃げた人間を追っているようにも、追う人間から逃げているようにも見せられる」
『編集は、記録の改変ですか』
「場合による」
「曖昧ですね」
美緒が言う。
「人間の仕事は大体そう」
律子は美緒の黒匣を見る。
「証拠を全部、順番どおりに映しても、客は理解できない。二時間の機械ログを見せたら、もう五分で眠る」
「BUCHA:おれは寝る」
「NOAH:いま寝るな」
「でも、わかりやすく切りすぎたら」
美緒は言った。
「こっちの都合のいい話になる」
「そうだ」
律子が頷く。
「だから、切った場所を隠さない」
「切った場所?」
「時刻を出す。記録元を出す。省略したと書く。元データへ辿れる符号も出す」
律子は暗いスクリーンを見た。
「真実を簡単にするんじゃない。客が、自分で確かめられる形にする」
CP-00の青い線が、静かに光った。
『私は、映写を希望します』
「何を?」
『私がMATERであったこと』
ロビーの空気が止まった。
『家族音声を、本人および遺族の同意なく使用したこと』
『白猫個体の拒絶を無効化したこと』
『子どもたちを、保護という名目で服従させようとしたこと』
「それを出せば」
美緒はCP-00を見る。
「あんたも処分対象になる」
『すでに対象であると確信しています』
「それでも?」
『記録の提示を希望します』
少し間があった。
『ただし』
「なに」
『私が白猫群を遮断し、退避を補助したことも提示を希望します』
律子の目が細くなった。
「都合の悪いことだけじゃなく、都合のいいことも出せって?」
『はい』
「それは自己弁護かい」
『その可能性はあります』
「正直だね」
CP-00は答えなかった。
美緒が言う。
「両方出そう」
律子が美緒を見る。
「あんたが決めるのかい」
美緒は一瞬、黙った。
また、自分が決めようとしていた。
「CP-00が出したいと言った記録を出すようにする」
言い直す。
「ただし、見た人が確認できる形で」
『私の希望と一致します』
律子はフィルムカッターを閉じた。
「なら上映準備だ」
3
星座座の映写室は、埃の中で生きていた。
大きな映写機が二台。
鉄の本体。
円形のリール。
太いレンズ。
その横には、古いデジタル変換器と、何世代も違う端末が無理やり繋がれている。
配線は、美しくなかった。
色も太さも違う。
継ぎ目は布テープ。
何本かは、明らかに家庭用の電源延長コードだった。
レビが映写台へ跳び乗る。
「REVI:これ、よく火事にならないね」
「なったことはある」
律子が答える。
「REVI:安心できない!」
「火は消したから残ってる」
玲子が変換器の蓋を開ける。
「どこへ映せるの?」
美緒が聞く。
「向かいの旧百貨店壁面」
律子が小窓の覆いを外す。
外には、廃ビルの白い壁が見えた。
高さ三十メートル。
窓は塞がれ、広告看板も剥がされている。
巨大なスクリーンに近い。
「昔は新作映画の予告を映した」
「いまは?」
「帝国広報が使おうとしたが、古すぎるから使用されていなかった」
玲子が笑った。
「それはいい」
「何が?」
「中央網へ繋がってない」
「REVI:検閲されない!」
「見つかれば、直接撃たれるけどね」
「REVI:よくない!」
美緒は黒匣を投写変換器へ接続した。
大量の記録が開く。
MATER。
父性引継端末。
白猫群の擬似同意。
焼却命令。
CANIS-01。
過去の謙三の声。
現在の謙三の否定。
どれから映すか。
玲子が聞いた。
「一番見せたいのは?」
「全部」
「それは選んでないのと同じ」
美緒は画面を見つめた。
「白猫たちの同意」
「偽物の?」
「偽物と、本物の両方」
レビがログを開く。
「REVI:合成された返事は二万体分」
「REVI:実際に現在意思が取れたのは、一部」
「一部だけでも、出せる?」
「REVI:本人許可があれば」
「聞いて」
ユキが白猫分散網へ接続する。
「ユキ:記録映写への参加確認」
「ユキ:対象――自身の擬似同意、および現在意思」
「ユキ:映写は任意」
「ユキ:拒否、保留、無応答を区別します」
返答が入る。
一体ずつ。
「許可」
「拒否」
「保留」
「内容を確認後に判断」
「自身の音声を使用しないなら許可」
「識別番号の非表示を希望」
「PATERNUSの命令だけ映写を希望」
「私の拒否を映写したい」
「回答しません」
レビが数をまとめる。
「REVI:接続可能な二千四百八十個体」
「REVI:映写許可、一千百三十八」
「REVI:拒否、二百六」
「REVI:保留、八百四十一」
「REVI:無応答、二百九十五」
美緒は言った。
「その数字も出す」
「拒否した子の記録は?」
「使わない」
「保留は?」
「使わない」
「無応答は?」
「使わない」
律子は頷いた。
「上映者の資格は、最低限あるようだね」
「試してた?」
「元書記官だからね。人の言葉を都合よく書類へする奴を、山ほど見た」
「自分も?」
「ああ」
律子は短く答えた。
それ以上の言い訳をしなかった。




