第二十五章 父は命じる 3・4・5
3
弾丸は、ソラの横のコンクリートへ当たった。
破片が飛ぶ。
ソラの身体が固まる。
「ソラ:攻撃を確認」
「ソラ、動ける?」
「ソラ:怖いです」
「どうしたい?」
「ソラ:空が見える場所を離れたくありません」
次の照準光が、ソラの胸へ重なる。
ノアが走った。
黒い身体がソラを突き飛ばす。
二発目。
ノアの右肩へ当たった。
外装が弾ける。
「NOAH:……っ」
「ノア!」
黒猫が床を滑る。
だが、立ち上がった。
右前脚が下がっている。
細い火花が散る。
「NOAH:ソラ。選び直せ」
「ソラ:空を見たい」
「NOAH:いま、ここで見る必要はない」
ソラは、灰色の空を見る。
次に、傷ついたノアを見る。
「ソラ:工場跡への移動を希望」
「NOAH:行け」
ソラが走る。
今度は速かった。
途中で振り返らない。
空を諦めたのではない。
あとで見るために、いま離れた。
美緒はノアへ駆け寄る。
「見せて」
「NOAH:時間がない」
「歩ける?」
「NOAH:歩いている」
「父さんみたいな答え方しないで!」
「NOAH:美緒に似た」
「最悪!」
「NOAH:最高だ」
ノアは右肩を引きずりながら、次のドローンを見上げた。
上空十二機。
さらに黒い車両が、道路の向こうから近づいてくる。
玲子が叫ぶ。
「ここを離れる!」
「どこへ?」
「旧変電所。その先に星座座がある」
「映画館?」
「死んだ映画館。地下に独立電源と処置室がある」
謙三が言う。
「旧防災中継網にもつながっている」
美緒は父を見る。
「知ってるの?」
「昔、触った」
「REVI:お父さん、帝都の裏側ほぼ全部触ってない?」
「必要だった」
「BUCHA:いつも必要」
「今は本当に必要」
玲子が頷く。
「星座座へ行けば、怪我の手当てと、証拠の整理ができる」
「証拠をどうするの」
謙三が公共スピーカーを見上げた。
PATERNUSは、もう新しい放送を始めている。
『由羅美緒は、違法猫型端末によって判断を操作された未成年保護対象です』
『由羅謙三は、家庭秩序破壊技術を保持する危険人物です』
『発見者は通報しなさい』
先手を打たれた。
美緒が何か話す前に。
白猫たちが何をされたか、市民が知る前に。
帝国は、美緒の言葉を「本人の言葉ではない」と決めた。
「声を出す」
謙三が言った。
「MATERの記録。白猫の同意生成。焼却命令。全部を市民へ見せる」
「信じてもらえる?」
「決めるのは、市民だ」
父は短く答えた。
「だが、聞かなければ決められない」
美緒は黒匣を抱え直した。
そこには、奪われた声。
偽造された同意。
焼却命令。
鷹森征士の承認署名。
そして、母を降りた基底核CP-00の記録がある。
「星座座まで、どれくらい?」
「REVI:徒歩で十八分」
「遠い!」
「REVI:走れば十一分」
「父さんが走れない!」
「歩ける」
美緒は謙三を睨んだ。
「走れないんでしょ」
謙三は黙った。
玲子が言う。
「旧工場の搬送車を使う。動けば五分」
「動かなかったら?」
「全員で押す」
ブチャが反応した。
「BUCHA:得意」
4
旧工場の搬送車は、車と呼ぶにはいささか不安だった。
灰色の小型貨物車。
前照灯は片方割れ、側面には古い工具会社の名前が残っている。
玲子が運転席へ潜り込む。
キーはない。
代わりに、配線を二本引き出す。
「それ、盗む時のやり方では?」
「借りるの」
「誰から」
「死んだ会社」
配線が触れる。
エンジンが咳き込んだ。
一度。
二度。
三度目で動く。
「REVI:古い車、えらい!」
「BUCHA:乗れる?」
「後ろへ」
荷台に、謙三、ノア、レビ、ブチャ、ユキ、ソラ、CP-00を乗せる。
美緒も飛び乗った。
白猫群すべては連れていかない。
それぞれが選んだ経路へ向かっている。
ユキの分散網だけが、細くつながっている。
「ユキ:白猫群退避状況」
「ユキ:旧貨物線、八百六十二個体」
「ユキ:工場跡、四百十一個体」
「ユキ:排水路、三百七個体」
「ユキ:現在位置維持、百四十八個体」
「ユキ:その他経路、記録中」
「残った子たちは?」
「ユキ:遮蔽物を確保」
「ユキ:一部は、PATERNUSへの受諾を維持」
「回収される?」
「ユキ:可能性あり」
美緒は拳を握る。
助けに戻りたい。
だが、戻れば星座座へ行けない。
証拠を出せない。
全員を自分で守ることはできない。
「記録を切らないで」
「ユキ:継続します」
「受諾した子にも、戻る道を伝えて」
「ユキ:実行します」
ブチャがユキの横へ身体を寄せる。
「BUCHA:ユキは、行かない?」
「ユキ:私は星座座へ同行します」
「BUCHA:よし」
「ユキ:評価理由を要求」
「BUCHA:近い」
「ユキ:了解」
CP-00がブチャの背で言った。
『私は、星座座を知りません』
「映画館」
美緒が答える。
『映画を知りません』
「大きな壁に、作り話を映す場所」
『虚偽情報を表示する施設ですか』
「REVI:言い方!」
「作り話は、全部嘘ってわけじゃない」
『理解不能』
「映画を見れば、少しわかるかも」
『映画を見ることを希望します』
「星座座がまだ映せればね」
玲子が運転席から言う。
「映写機は残ってる。動くかどうかは、必要になれば動かす」
「REVI:技師の楽観主義」
「違う。脅迫よ」
搬送車が走り出した。
後方で、黒いドローンが旋回する。
白猫たちは、ばらばらの方向へ消えていく。
空から見れば、逃げる群れには見えない。
ひとつの命令へ従う隊列にも見えない。
それぞれが、自分の道を選んだ痕跡だけが、帝都の裏路地へ散っていった。
5
車が路地へ入った時、PATERNUSの声がまた降った。
『全家長へ告ぐ』
窓の奥で、人々が動きを止める。
『子を家へ戻しなさい』
『未承認情報を遮断しなさい』
『家庭内の白猫端末を確認しなさい』
『青い目を持つSHIROは、汚染個体です』
美緒は道沿いの住宅を見る。
窓辺に白い猫が一体いた。
薄い青い目。
その後ろから、女の手が伸びる。
白猫を外へ差し出すのかと思った。
違った。
女はカーテンを閉めた。
青い目の白猫を、家の中へ隠した。
別の家。
老人が玄関前の白猫を見ている。
公共放送。
『汚染個体を通報しなさい』
老人は、白猫へ小さく手招きした。
猫が家へ入る。
扉が閉まる。
誰も声を上げない。
命令に逆らうと宣言もしない。
ただ、通報しなかった。
美緒は息を呑んだ。
「見た?」
玲子が前を向いたまま答える。
「見た」
「聞こえてる人がいる」
「ああ」
謙三が言った。
まだ何も放送していない。
それでも、市民の中には、青い目の白猫が何かを守ろうとした姿を見た者がいる。
ドローンに撃たれた姿を見た者がいる。
帝国の命令と、自分の目で見たものが食い違っている。
小さな違和感。
命令の中に入った、細い亀裂。
美緒は黒匣を抱きしめた。
「ちゃんと聞かせる」
謙三が頷いた。
「ああ」
CP-00が尋ねる。
『何を聞かせますか』
「白猫たちが、何を選んだか」
『拒否、保留、受諾、撤回、無応答』
「全部」
『揃っていません』
「だから、全部」
黒い核の青い線が静かに光った。
『記録を提示することを希望します』
「一緒にやろう」
『了解』
前方に、錆びた看板が見えた。
星座座。
かつて、人々が作り話を見るために集まった場所。
いまは、帝国が消そうとしている事実を映す場所になる。
その瞬間。
搬送車の前へ、黒い影が飛び出した。
玲子が急ブレーキを踏む。
車体が大きく揺れた。
ブチャだけが動かなかった。
「BUCHA:安定」
「何!?」
美緒が荷台から前を見る。
通りの中央に、黒い犬が立っていた。
四脚。
分厚い装甲。
背中に折り畳み式の拡声器。
頭部に、赤い四角形のセンサー。
黒犬型父性命令中継端末。
表示。
CANIS-01。
背中の拡声器が開く。
PATERNUSの声が、至近距離から響いた。
『由羅美緒』
膝が、また重くなる。
『車両を降りなさい』
ノアが傷ついた右肩を下げ、荷台の縁へ立った。
「NOAH:今度は聞かない」
CANISの赤い目が、黒猫を捉える。
『NYAT個体NOAH』
『旧開発者緊急鍵による停止を実行』
短い電子音。
何も起きなかった。
旧緊急鍵は、もう失効している。
ノアが一歩前へ出る。
「NOAH:その鍵は捨てた」
CANISの処理が、一瞬止まった。
レビが笑う。
「REVI:父の古い合鍵、使えませーん」
「挑発しないで!」
CANISの背面装甲が開く。
赤い照準光。
ブチャが立ち上がる。
「BUCHA:犬は、いやだ」
ユキ。
「ユキ:攻撃命令を記録します」
ソラ。
「ソラ:星座座への進行を希望」
CP-00。
『父性命令への拒否を継続します』
美緒は黒匣を開いた。
星座座まで、あと百メートル。
その百メートルを、父を名乗る黒い犬が塞いでいる。
CANISが低く身を沈めた。
『父の命令に従いなさい』
美緒は荷台から飛び降りた。
「父さんの声を使ってから言えば?」
隣で謙三も降りようとする。
「父さんは車にいて!」
「動ける」
「今はお願い!」
謙三は一拍置いた。
そして、荷台に残った。
「戻れ」
「命令?」
「戻ってきてくれ」
美緒は頷いた。
「うん」
黒い犬が跳んだ。
母を降りた中枢と、揃わない白猫たちの証拠を守るため。
少女と三匹の黒猫は、父の最初の牙を迎え撃った。




