第三章 父の工房 猫の鍵 2
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男の声。
落ち着いていて、だからこそ冷たい。
『建物は包囲している。抵抗しても無駄だ。出てきなさい』
「……っ」
名前を呼ばれた。
居場所が、もう割れてる。
「REVI:包囲、早い」
「NOAH:追跡班じゃない。回収班」
「BUCHA:殺す気満々」
『繰り返す。由羅美緒。お父様の件で保護が必要だ。武装装備を捨て、両手を見える位置に――』
「武装装備って、こっちは猫しかいないんだけど……!」
半分やけくそで言ってから、美緒は首を振った。
違う。
いま必要なのは愚痴じゃない。
画面の端に、謙三の最後の指示が点滅していた。
TAKE ONLY ONE / 黒匣を持って出ろ
隣のラックから、小さな黒いデータケースがせり出してくる。
文庫本くらいのサイズ。
表面に刻まれた文字は、たった二つ。
黒匣
「REVI:ダウンロードに七十秒」
「NOAH:持つなら今」
「BUCHA:守る」
「七十秒……」
長い。
でも、仕方がない。
地上、扉をむりやり叩いて、更にこじ開ける音がした。
バン、と一回。
二回。
古い店の扉が悲鳴を上げる。
美緒はコンソールへ飛びついた。
「レビ、都市側のダミーノード立ち上げられる!?」
「REVI:できる。でも手動リレーが必要」
「どこ!?」
「REVI:右、赤いカバーの下」
赤いカバーを開ける。
中には旧式のリレー群。
ひとつだけ、半分焦げた端子。
「これ……接触死んでる」
「REVI:だから手動」
「わかった!」
美緒はバックパックから父の古いドライバーを引っぱり出した。
絶縁グリップ付きの精密ドライバー。
柄の擦り切れ具合まで見覚えがある。
コンソールの指示通りに、二本の端子を橋渡して直結する。
バチッ、と青い火花。
指先に痺れが走る。
「っ、く……!」
「REVI:通った!」
「REVI:ダミーノード、都内二十一箇所へ展開!」
「NOAH:いい」
地図上に、一気に偽の光点が増えた。
新宿。
上野。
蒲田。
赤羽。
帝国側の追跡アルゴリズムから見れば、秘匿通信網が都内各地で同時再起動したように見えるはずだ。
地上の無線が、一瞬ざわつく。
『何? 待て、他地点でも、反日反応!?』
『本部、指示を――』
美緒は息を吐いた。
「よし……!」
でも、それで終わりじゃない。
天井の通風口が、いきなり破れた。
「えっ!?」
小型のクモを模した索敵ドローンが二機、地下へ滑り込んでくる。
赤いセンサーアイが美緒を捕捉しようと光った。
その瞬間、ノアが跳んだ。
黒い影が空中でひねり、最初の一機のセンサーへ爪を叩き込む。
バチッ! と火花。
ドローンは壁にぶつかって落ちた。
もう一機にはレビが棚の上から飛びつく。
首元から伸びた細線がドローンの側面ポートへ突き刺さり、映像が白飛びする。
「REVI:視界、いただき」
次の瞬間、ドローンはぐるりと向きを変え、なぜか自分の味方の方角へ誤射した。
上で誰かが悲鳴を上げる。
「レビ、ナイス!」
「REVI:当然」
だが階段の方から、重い足音が近づいてくる。
突入班だ。
防弾盾。
スタンロッド。
拳銃。
人間用じゃない制圧装備。
先頭の男が地下へ降りた瞬間、ブチャが飛んだ。
「ぶしゃあッ!」
丸っこい顔に似合わない、えげつない突進。
男の膝裏へ低く入って、全体重で持ち上げるみたいにぶつかる。
「ぐあっ!?」
盾ごとひっくり返った男が階段を転げ落ちた。
後続がつかえて、突入の勢いが止まる。
「いま!」
「NOAH:搬出口」
「REVI:黒匣、ダウンロード完了まであと二十秒!」
美緒は工房の奥へ走った。
床の図面。
非常脱出口の表示。
古い搬送レールの先に、小さな床ハッチがある。
でも、その前にまた一人、突入班が回り込んできた。
「止まれ!」
男がスタンロッドを振り上げる。
反射的に、美緒の体がすくむ。
次の瞬間、ノアが男の顔面へ飛びついた。
「なっ、猫!?」
ひるんだ隙に、レビが足首へ電撃テーザーニードルを放った。
男の体が強張る。
そこへブチャがどすん、と腹へ乗った。
「ぐぇっ……!」
「……すご」
いや、知ってたけど。
知ってたけど、毎回ちょっと引く。
「BUCHA:任せろ」
「REVI:もっと褒めていい」
「NOAH:七秒」
コンソールが高い音を鳴らした。
DOWNLOAD COMPLETE
黒匣が、排出口から滑り出てくる。
美緒はそれを抱えた。
同時に、モニターへ最後の選択肢が表示される。
WORKSHOP PURGE?
工房を消すか。
帝国に渡さないために。
美緒は、息を呑んだ。
この場所は、父の手だった。
父の時間だった。
ここを消したら、もう二度と戻らない。
でも――。
『渡すな』
父の声が、頭の中で鳴る。
美緒は目を閉じて、それから、指を伸ばした。
YES
警報音が鳴る。
ラック内部の磁気焼却装置が起動し、サーバー群が順に赤熱表示へ変わっていく。
保存媒体を、自壊させるモードだ。
「REVI:いい判断」
「NOAH:出る」
「BUCHA:走れ」
床ハッチを開ける。
下は、古い搬送トンネルだった。
人ひとりがしゃがんで進めるくらいの狭さ。
でも出られる。
地上では、帝国公安が何か叫んでいた。
『地下の記録媒体を確保しろ!』
『だめです、ハードウエアが既に焼却モードにはいってる!』
『対象を、小娘を逃がすな!』
「ばぁか、逃げるに決まってるでしょ!」
美緒は半分涙目で叫んで、トンネルへ飛び込んだ。
ノア、レビ、ブチャが後に続く。
背後で、工房のロックが順次閉鎖されていく重い音が響いた。
父の工房が、父の手で、自分を守るために閉じていく。
胸が痛かった。
痛かったけど、止まれなかった。
トンネルを抜けた先は、川沿いの資材置き場。
夜の風がことのほか冷たい。
遠くでけたたましいサイレン。
空には帝国の監視灯が光っている。
美緒は錆びたフェンスの陰にしゃがみこんで、しばらく動けなかった。
息が荒い。
手が震える。
黒匣を抱いた腕だけが、妙に重い。
「はぁ……はぁ……」
ノアが先に出てきて、周囲を警戒する。
レビはフェンスによじ登って街路を確認。
ブチャは美緒の足元に来て、どすっと座った。
「……無事?」
「NOAH:軽傷なし」
「REVI:ちょっと焦げた」
「BUCHA:腹減った」
「またそれ……」
笑ってしまった。
こんな状況なのに。
でも、その笑いで少しだけ呼吸が戻る。
美緒は黒匣の表面をなぞった。
父が守ろうとしたもの。
帝国が奪おうとしているもの。
そして、自分がこれから守らなきゃいけないもの。
もう、"父の娘"だけじゃ足りない。
黒匣が、ぴ、と小さく起動した。
表面に文字が浮かぶ。
NEXT CONTACT
白峰玲子
元・東都電子通信研究員
接触プロトコル:A-17
「……誰」
「REVI:お父さんの関係者」
「NOAH:次の道」
「BUCHA:行くぞ」
美緒はゆっくり立ち上がった。
向こう岸では、もう帝国の捜査車両が動き始めている。
ここも、長くは安全じゃない。
でも今の美緒には、さっきまでなかったものがある。
父の遺言。
三匹の本当の役割。
そして、自分が守るべき回線の重さ。
「行こう」
美緒は黒匣をバッグへしまった。
「逃げるだけじゃない。次は、ちゃんと繋ぐ」
ノアが先に歩き出す。
レビが塀の上へ飛び乗る。
ブチャが無言でそのあとを追う。
由羅美緒も、夜の東京へ足を踏み出した。
帝国の監視網は、もうすぐそこまで来ている。
だけど同時に、見えない誰かの"たすけて"も、この街のどこかでまだ消えずにいる。
だったら、止まれない。
父の工房は失った。
でも、道は残っている。
その道を、今度は自分の足で進む番だった。




