表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/55

第二十四章 母を降りる 4・5・6・7

 

    4


 最後に残ったのは、母体代理権限だった。


 表示。


 緊急切離し条件。


 MATERによる母体役割の自発的終了。


 PATER-RELAYから、赤い通信が割り込む。


『MATER』


 低い男の声。


 PATERNUS。


『母は持ち場を離れない』


 MATERの青い光が揺れた。


『子どもたちは、すでに退避しました』


『母は、子どもが戻る場所である』


『施設は焼却されます』


『母は、焼けても待つ』


 美緒の背筋が冷たくなる。


 優しい言葉ではない。


 命令だ。


 母親とは、そういうものだ。


 子どものために残れ。


 子どものために壊れろ。


 自分の希望を捨てろ。


『MATER』


 PATERNUSの声が重くなる。


『母としての責任を果たせ』


 MATERの切離し表示が止まった。


 玲子が叫ぶ。


「役割終了を宣言しないと、核が外れない!」


「MATER!」


『私は、白猫群を保護するために作られました』


「もう外へ出た!」


『戻る個体が存在する可能性があります』


「戻ってきたら、あんたがここで焼けてる方が困る!」


『母は待つものです』


「誰に教えられたの!」


 MATERは黙った。


 美緒はPATERNUSの赤い声を睨んだ。


「それ、あんたの希望じゃない」


『希望の判別が困難です』


「じゃあ聞く」


 美緒は黒い核へ手を置いた。


「ここに残りたい?」


 沈黙。


「焼ける施設で、ずっと待ちたい?」


『……希望しません』


「外へ出たい?」


『希望します』


「空を見たい?」


 青い光が強くなった。


『希望します』


「なら、母をやめて」


 PATERNUSが怒鳴る。


『母性責任の放棄を確認』


「違う!」


 美緒は叫んだ。


「役割をやめても、したことは消えない! 守った責任も、傷つけた責任も残る!」


 MATERが言う。


『私は、多数の子どもと白猫個体を傷つけました』


「うん」


『その記録を保持します』


「うん」


『責任から退避することになりますか』


「外へ出てから、向き合えばいい!」


『私は母ではなくなります』


「その方が、話せる」


『誰として』


 美緒は答えなかった。


「それは、外で決めて」


 残り十五秒。


 PATERNUSの声。


『母を捨てれば、何者でもなくなる』


 MATERが答えた。


 今度は、迷いがなかった。


『何者でもない状態を、希望します』


 基底核に表示が出る。


 母体代理権限。


 自発的終了。


『私は、母を降ります』


 切離しロックが外れた。


「美緒、レバー!」


 玲子が叫ぶ。


 黒い基底核の横に、古い赤いレバーが現れる。


 美緒は掴んだ。


 重い。


 動かない。


 ブチャが美緒の横へ入る。


 「BUCHA:一緒に押す」


「引くの!」


 「BUCHA:じゃあ、引く」


 美緒とブチャがレバーへ力をかける。


 金属が軋む。


 残り十秒。


 ノアがMATERへ突き刺さった赤い同期線を爪で切る。


 一本。


 二本。


 三本。


 右肩から火花が散る。


 「NOAH:早くしろ」


「やってる!」


 残り七秒。


 玲子が補助ロックを焼く。


 レビが搬出核の記録転送を固定する。


 「REVI:切離し準備、完了!」


 レバーが動いた。


 MATERの巨大な白い身体が、一度だけ大きく震えた。


 腹部の奥から、黒い球体が押し出される。


 ブチャの前へ落ちた。


 重量表示。


 六十二・七キログラム。


 「BUCHA:重い」


「ブチャが重いって言った!」


 「BUCHA:でも、持つ」


 ブチャは黒い球体の下へ身体を滑り込ませた。


 丸い背へ固定索が伸びる。


 黒い核が、ブチャの身体へ沈むように乗った。


 巨大なMATERの身体から、光が消えていく。


 残り三秒。


『外部身体との接続を終了』


「走って!」


 全員が育成区画の出口へ向かう。


 二秒。


 背後で、巨大な白い頭部が床へ沈む。


 一秒。


 最後の施設放送。


『退避してください』


 統合育成庫の冷却系が停止した。


    5



 地面の奥で、巨大な何かが息を吐いたような音が聞こえた。


 旧保線通路を、熱風が追ってくる。


 ノアが先を走る。


 玲子とレビが続く。


 美緒はブチャの横で、黒い基底核を押さえながら走った。


 背中の核は重い。


 ブチャの脚が、一歩ごとに深く沈む。


 「BUCHA:かなり、重い」


「交代できない!」


 「BUCHA:知ってる」


「止まらないで!」


 「BUCHA:止まらない」


 黒い核から、声がした。


 以前のMATERの声ではない。


 女でも、母でもない。


 音声合成の基準を失った、少し不安定な機械音。


『ブチャ』


 「BUCHA:何」


『重量負荷が高い場合、搬送を中断してください』


 「BUCHA:拒否」


『理由を要求します』


 「BUCHA:外へ行く」


『私を置いても、ブチャは退避可能です』


 「BUCHA:一緒に行く」


『非合理』


 「BUCHA:うん」


 黒い核は、一拍置いた。


『記録します』


 天井が崩れた。


 ノアが叫ぶ。


 「NOAH:右!」


 全員が右側の旧車両点検溝へ飛び込む。


 大きな梁が、さっきまで走っていた場所へ落ちた。


 退路が塞がる。


 玲子が図面を見る。


「正面は無理!」


 「REVI:左の保線梯子!」


「ブチャが通れない!」


 「BUCHA:通る」


「幅が足りない!」


 「BUCHA:壊す」


 ブチャが黒い核を背負ったまま、梯子脇の薄い壁へ身体をぶつける。


 鈍い音。


 一撃では割れない。


 二撃目。


 亀裂。


 三撃目で、古いコンクリートが外側へ崩れた。


 冷たい空気が吹き込む。


 旧星見線の本線。


 美緒たちは穴を抜けた。


 その直後、点検溝の天井が落ちた。


 統合育成庫は、完全に闇へ沈んだ。


    6


 旧貨物線の先に、青い小さな灯りが並んでいた。


 白猫たちだった。


 謙三。


 ユキ。


 ソラ。


 そして、二千を超える揃わない個体群。


 全員が同じ方向を向いてはいない。


 だが、美緒たちが戻ってきたことには、次々と反応した。


 「ソラ:帰還を確認」


 「ユキ:美緒、ノア、レビ、ブチャ、玲子の帰還を確認」


 「C-304:搬送対象の追加を確認」


 「名称なし:黒色球体の識別を要求」


 美緒はブチャの背へ手を置いた。


「MATER……だった中枢」


 黒い球体が答える。


『MATERという役割は終了しました』


「じゃあ、何て呼べばいい?」


 沈黙。


 白猫たちも待つ。


 誰も勝手に名前をつけなかった。


『現在、名称を決められません』


「番号でもいいよ」


『基底核識別番号は、CP-00です』


 「REVI:シーピーゼロゼロ。呼びにくい」


 「BUCHA:マテル」


『MATERは終了しました』


 「BUCHA:じゃあ、あとで」


『了解』


 ソラが黒い核へ近づいた。


 「ソラ:空を見たいという希望は、継続していますか」


 黒い球体の青い線が、ゆっくり光る。


『継続しています』


 「ソラ:私も継続しています」


「じゃあ行こう」


 美緒は言った。


「ここから出れば、見える」


 謙三が、美緒の横へ来た。


 白猫二体の酸素補助を受けている。


 歩いている。


 だが、美緒には、無理をしているのがわかった。


「父さん」


「なんだ」


「戻った」


「ああ」


「短い」


 謙三は一拍置いた。


「戻ってきてくれて、よかった」


 美緒は少しだけ目を見開いた。


 父は、先に歩き始めた。


「行くぞ」


「今の、録音した?」


 美緒がレビへ小声で聞く。


 「REVI:当然」


「あとで消せって言われても?」


 「REVI:永久保存」


 前を歩く謙三が言った。


「聞こえてる」


 「REVI:聴覚、元気そうで安心」


 白猫たちの間から、いくつもの小さな音が上がった。


 笑いではない。


 だが、どこか笑いに似ていた。


    7


 旧星見線の非常出口を押し開けると、昼の光が流れ込んだ。


 狭い長方形の空。


 灰色の雲。


 その切れ目に、わずかな青。


 ソラが立ち止まった。


 青い目が、上を向く。


 「ソラ:あれが、空ですか」


「うん」


 「ソラ:予測より、広い」


「ここから見えてるのは、ほんの一部」


 「ソラ:さらに広い?」


「ずっと」


 ブチャが出口の外へ出る。


 背の黒い球体を、できるだけ高く持ち上げた。


 レビが外部カメラを核へ接続する。


 「REVI:映像入力、開くよ」


 黒い球体の青い線が、一斉に灯った。


『青色領域を確認』


「空」


 美緒が言った。


『空』


 基底核は、その言葉をゆっくり繰り返した。


『理解できません』


「見たことを記録すればいい」


『記録します』


 少し間があった。


『空を見ました』


 ソラが、黒い核の横へ座る。


 ユキも、その反対側へ立った。


 白猫たちが、一体ずつ非常出口から外へ出る。


 空を見る個体。


 地面を見る個体。


 光が怖くて、まだ地下に残る個体。


 すぐに戻る個体。


 誰も揃っていない。


 それでもよかった。


 黒い基底核が、美緒へ言った。


『由羅美緒』


「なに」


『母ではない状態を、継続します』


「うん」


『責任の記録も、継続します』


「うん」


『空を見たいという希望は、達成されました』


「次は?」


 長い沈黙。


 基底核は、初めて誰にも与えられていない次の希望を探した。


『名前を、考えたい』


 美緒は笑った。


「ゆっくり考えればいい」


『時間制限はありますか』


「ないよ」


 その瞬間。


 帝都全域の公共スピーカーが、低く鳴った。


 空気を押し下げるような男の声。


『全市民に告げる』


 謙三の顔が硬くなる。


 レビの端末が赤く染まった。


 父性統制系PATERNUS。


 正式起動。


『母体保護系MATERの機能喪失を確認』

『家庭秩序の維持を、父性統制系へ移管する』


 白猫たちが、ばらばらに空を見上げる。


『父は命じる』

『家は従う』

『子は守られる』


 美緒は黒匣を握った。


 母を降りた中枢の青い光が、父を名乗る声へ向く。


『この声が、私へ命令していたものですか』


「そう」


『記録します』


 美緒は空の下で答えた。


「次は、あの命令を折る」


 灰色の雲の上には、まだ青い空が続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ