第二十三章 白猫は列をつくらない 6・7・8
6
「ユキ!」
美緒が駆け寄る。
黒い塔の周囲では、赤い光が渦を巻いている。
焼却命令。
廃棄分類。
白猫群追跡信号。
ユキは、その中心へ自分の記録線を接続していた。
「ユキ:廃棄命令の発令署名を取得中」
「いまやることじゃない!」
「ユキ:証拠が必要です」
「あとで取れる!」
「ユキ:焼却後、発令記録は消去されます」
「でも、ユキが焼かれたら意味ない!」
「ユキ:分散記録へ送信します」
美緒はユキの身体を抱き上げようとした。
ユキが言う。
「ユキ:接続解除を拒否」
美緒の手が止まった。
「……拒否するの?」
「ユキ:はい」
「理由は?」
「ユキ:白猫群を廃棄物として分類した記録を残したい」
「ユキ:今後、同一処理を防ぐために必要」
正しい。
だが、危険だ。
「あと何秒?」
「ユキ:取得完了まで二十七秒」
「焼却再開は?」
レビが答える。
「REVI:五十八秒!」
「じゃあ、二十七秒だけ」
美緒は言った。
「それを過ぎたら、あたしはもう一度聞く。その時、危険が増えてたら接続解除も考えて」
「ユキ:了解」
ブチャが遅れて走ってきた。
ユキの横へ座る。
「BUCHA:おれもいる」
「ユキ:ブチャは退避してください」
「BUCHA:拒否」
「ユキ:理由を要求」
「BUCHA:ユキがいる」
「ユキ:私の存在は、ブチャの退避を妨げる理由として不十分」
「BUCHA:十分」
「ユキ:非合理」
「BUCHA:うん」
美緒も黒い塔へ接続した。
「取得を補助する」
「ユキ:美緒も退避を推奨」
「拒否」
「ユキ:理由を要求」
「同じ理由」
ユキの青い目が、わずかに揺れた。
「ユキ:了解」
三人で、赤い廃棄命令の奥へ入る。
発令元。
父性統制系PATERNUS。
承認者。
帝国公安局高等監察官――鷹森征士。
命令内容。
明示同意を撤回したSHIRO個体群を、意思汚染個体として廃棄。
証拠保持個体を、優先焼却対象へ指定。
「鷹森……」
美緒は、その署名を黒匣へ取り込む。
ユキが白猫分散網へ送る。
取得率。
六十。
七十五。
九十一。
その時、黒い塔の内部で赤い光が膨らんだ。
「REVI:まずい!」
「REVI:塔が自壊に入る!」
取得率、九十三。
ユキが動かない。
「ユキ、切って!」
「ユキ:取得未完了」
「危険が変わった! もう一度聞く。続けたい?」
一拍。
赤い光が強くなる。
ユキが答えた。
「ユキ:取得を中断します」
美緒は即座に接続を引き抜いた。
ブチャがユキをくわえるように背へ乗せる。
黒い塔が叫んだ。
『証拠持出を禁止』
「九十三パーセントあれば十分!」
「REVI:今だけは十分!」
「逃げる!」
美緒たちは黒い塔から離れた。
直後。
PATER-RELAY 03の外殻が、内側から破裂した。
赤い破片が発送層へ飛び散る。
ブチャが美緒の前へ入り、背中で受けた。
「BUCHA:熱い」
「ブチャ!」
「BUCHA:でも、持った」
背のユキが答える。
「ユキ:ブチャの外装温度、上昇」
「BUCHA:あとで冷やす」
「ユキ:同意」
7
最後の搬送架台が、旧貨物線へ入った。
発送層に残っているのは、美緒たちと、自力移動を選んだ数十体。
そして。
動かないことを選んだ個体が三体。
美緒は足を止めた。
「なんで残ってるの!」
「C-304:移動を希望しません」
「名称なし:現在位置の維持を希望」
「C-1550:外部環境への恐怖が高い」
焼却再開まで、十九秒。
「ここは燃える!」
「C-304:理解しています」
「死ぬよ!」
「C-304:はい」
美緒の胸が締めつけられた。
本人の選択。
だが、本当に死ぬことを選んでいるのか。
それとも、外が怖すぎて動けないだけなのか。
「死にたい?」
三体とも、すぐには答えなかった。
最初にC-1550。
「C-1550:死を希望していません」
名称なし。
「名称なし:外部環境を希望していません」
「ここにいたいと、生きたくないは同じじゃない」
美緒は言った。
「殻ごと、一番近い安全区画へ移す。それでも嫌?」
「C-304:移動後、現在位置へ戻れますか」
「ここは焼ける。戻れないかもしれない」
「C-304:それなら、現在位置の維持を希望」
時間がない。
十五秒。
謙三が、美緒の横へ来た。
「美緒」
「わかってる!」
「何が」
「本人が決めた」
「それだけか」
父の問い。
美緒はC-304を見る。
「どうして、ここにいたいの?」
「C-304:この場所が、最初に認識した場所です」
「家だと思ってる?」
「C-304:家の定義、不明」
「ここを離れたら、自分がなくなると思ってる?」
長い一秒。
「C-304:はい」
美緒は黒匣を開いた。
C-304の現在位置。
周囲の音。
温度。
輸送殻。
最初に見た天井の赤い灯り。
それらを記録する。
「場所を、持っていく」
「C-304:意味を要求」
「ここで覚えたものを、消さない。記録をあんたに持たせたまま運ぶ」
「C-304:移動後も、私はC-304ですか」
「自分で変えない限り」
「C-304:……搬送支援を希望」
「ブチャ!」
「BUCHA:持つ」
名称なしの個体が続く。
「名称なし:C-304と同じ搬送を希望」
C-1550。
「C-1550:同意」
ブチャ一体では三つの殻を持てない。
ノアが一つへワイヤをかける。
ソラと二体の白猫が、もう一つを左右から押す。
美緒は三つ目を抱えた。
重い。
腕が痺れる。
だが、持ち上がった。
八秒。
「REVI:走って!」
五秒。
後方で、床の赤い線が白へ変わる。
熱処理開始。
三秒。
旧貨物線の防火扉が閉まり始める。
ノアが先に隙間へ入る。
ブチャ。
ソラ。
白猫たち。
謙三と玲子。
美緒は最後になった。
抱えた輸送殻が、扉の縁へぶつかる。
「っ……!」
通らない。
扉が降りる。
ブチャが反対側から前脚を伸ばした。
「BUCHA:渡せ」
「命令?」
「BUCHA:お願い!」
美緒は輸送殻を押し出した。
ブチャが受け取る。
美緒が床へ滑り込む。
白い防火扉が、背後で閉じた。
次の瞬間。
地下三層が、白く燃えた。
扉の隙間から熱風が噴き出す。
美緒は床へ伏せた。
ノアとブチャが身体を寄せ、熱を遮る。
数秒。
長い数秒。
やがて、熱風が弱くなる。
美緒は顔を上げた。
全員いる。
父。
玲子。
ノア。
レビ。
ブチャ。
ユキ。
ソラ。
白猫たち。
輸送殻のC-304が、細い声で言った。
「C-304:現在位置が変更されました」
「うん」
美緒は息を切らしながら答えた。
「C-304:自己識別を確認」
「消えてない?」
「C-304:はい」
「よかった」
「C-304:美緒」
「なに」
「C-304:感謝します」
美緒は少しだけ笑った。
「どういたしまして」
8
旧貨物線の奥では、白猫たちが待っていた。
二千体を超える白い猫。
自分で歩く個体。
輸送殻の中にいる個体。
台車で運ばれている個体。
止まったまま、周囲の音を聞いている個体。
全員が同じ方向を向いているわけではない。
同じ姿勢でもない。
だが、焼却区画には残らなかった。
PATER-RELAYから最後の通信が流れる。
『統一管理なき個体群を確認』
『群れとして不成立』
『配備価値なし』
美緒は、白猫たちを見た。
列を作っていない。
指揮官もいない。
誰かが先頭というわけでもない。
それでも、ここまで出てきた。
「群れじゃなくていい」
美緒は言った。
「一緒にいるだけでいい」
ユキが記録する。
「ユキ:統一管理なき個体群」
「ユキ:自己判断を維持」
「ユキ:一時共同退避を継続」
ソラが、暗い線路の先を見る。
「ソラ:この先に、空がありますか」
「ずっと先にね」
「ソラ:進行を希望」
「行こう」
その時。
上階から、MATERの声が届いた。
『白猫群の退避を確認』
「MATER!」
『焼却信号遮断を終了します』
「待って。あんたは?」
短い沈黙。
『施設基底からの離脱機能はありません』
美緒の表情が固まった。
「じゃあ、残るの?」
『はい』
「焼けるよ」
『損傷率、六十八パーセント』
『基底冷却、停止』
『活動可能時間、推定百四十秒』
「そんなの、だめ」
『白猫群の退避は完了しました』
「だからって、あんたが残っていい理由にはならない!」
『私は施設です』
「それ、誰が決めたの」
『設計者です』
「じゃあ、設計を変える」
謙三が、美緒を見る。
「母体核は、基底へ固定されている」
「外せる?」
「緊急切離し機構が残っていれば」
玲子が旧車両基地の図面を開く。
「ある」
「ほんと?」
「昔の中央制御機は、火災時に記録核だけ搬出できた。帝国が潰してなければ」
「REVI:位置、上階制御室のさらに奥!」
「REVI:ここから戻って、最短九十秒!」
MATERの残存時間。
百三十二秒。
謙三が言う。
「間に合う保証はない」
「わかってる」
「戻れば、白猫群の先導が減る」
「ノアたちがいる」
「俺も行く」
「父さんは残って」
「美緒」
「命令じゃない」
美緒は父を見る。
「お願い。白猫たちを外へ連れていって」
謙三は黙った。
今度は、美緒が待った。
やがて父は聞いた。
「おまえは、戻りたいのか」
「うん」
「MATERは?」
美緒は通信へ向かう。
「MATER。あんたは、外へ出たい?」
長い沈黙。
残存時間。
百二十一秒。
MATERは、すぐには答えなかった。
以前なら、母体の責務を優先しただろう。
いまは、自分の答えを探している。
『空の情報を、取得したことがありません』
ソラが顔を上げる。
「ソラ:私もありません」
『白猫個体ソラは、空を見ることを希望しています』
「ソラ:はい」
『その希望を、理解できません』
美緒は待った。
『しかし』
機械音に、ほんのわずかな間が入る。
『理解できないものを、見たいと判断しました』
「それは」
美緒は言った。
「外へ出たいってこと?」
『はい』
さらに一拍。
『退避を希望します』
母ではない中枢が、初めて自分のために助けを求めた。
美緒は黒匣を握り直した。
「わかった」
ノアが美緒の横へ並ぶ。
「NOAH:戻る」
「肩、傷ついてる」
「NOAH:まだ動く」
ブチャも一歩出る。
「BUCHA:おれも」
「白猫たちを運んで」
「BUCHA:でも」
ユキがブチャの背で言った。
「ユキ:私は白猫群と進行します」
「BUCHA:ユキを持つ」
「ユキ:ソラと相互補助可能」
ブチャは困ったように黙った。
ユキが続ける。
「ユキ:ブチャ」
「BUCHA:何」
「ユキ:MATERの搬送には、ブチャの重量が有効です」
「REVI:そこは重さなんだ」
「BUCHA:役に立つ」
美緒は父を見る。
「父さん」
謙三は、しばらく美緒たちを見ていた。
それから、白猫群の続く暗い線路へ視線を移す。
「百秒で戻れ」
「命令?」
父は一拍置いた。
「違う」
低く言い直す。
「戻ってきてくれ」
美緒は頷いた。
「戻る」
玲子が工具を構える。
「親子会議、成立ね」
レビが端末を抱え直す。
「REVI:MATERの切離し位置、送る!」
ソラが線路の先から言った。
「ソラ:MATERへ」
『応答します』
「ソラ:一緒に空を見ることを希望します」
MATERの声が、かすかに揺れた。
『希望を共有します』
残存時間。
九十八秒。
美緒、ノア、ブチャ、玲子、レビは、燃え始めた統合育成庫へ引き返した。
背後では、列を作らない白猫たちが、それぞれの速度で暗い線路を進んでいく。
前方では、母ではなくなった中枢が、まだ見たことのない空を待っていた。




