第二十二章 同意は撤回できる 2
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残り四十一秒。
美緒はMATERへ呼びかけた。
「全白猫の感覚層だけ、起こせる?」
『可能です』
「負荷は?」
『現在の遮断保持時間が短縮します』
「どれくらい」
『予測不能』
美緒は迷った。
MATERはもう損傷している。
上階で、二万体分の父性同期信号を受け続けている。
「MATERは、どうしたい?」
短い沈黙。
『白猫群へ確認するため、感覚層起動を希望します』
「壊れるかもしれない」
『はい』
「それでも?」
『希望します』
美緒は頷いた。
「お願い」
『了解』
施設全体の照明が、一度消えた。
次の瞬間。
地下三層の透明な輸送殻に、青い小さな光が灯った。
一体。
十体。
百体。
帝都各地の待機倉庫でも、白い猫たちの感覚層が起動していく。
脚は動かない。
身体も起きない。
だが、目と耳と自己識別だけが戻る。
美緒は全個体へ問いを送った。
「いま、一番近くで聞こえる音を教えて」
PATER-RELAYが、すぐに回答を生成しようとする。
「静かな機械音です」
美緒は叫んだ。
「中央の答えはいらない!」
各個体の本人意思領域だけを、別回線へ切り替える。
最初の返事。
「C-1187:低い振動音」
次。
「C-2073:右側で水滴音」
「識別名なし:輸送車両の車輪音」
「C-8311:近くで人間が泣いています」
「C-992:何も聞こえません」
「C-4610:二体隣の個体が、温度警告を出しています」
「識別名なし:怖い、という音声を自分の内部で生成しました」
答えが増える。
揃っていない。
同じ言葉ではない。
沈黙もある。
返答不能もある。
だが、それでよかった。
いま、そこにいる個体の反応だった。
黒い塔の声紋表示が乱れる。
「現在感覚は、意思ではありません」
「わかってる」
美緒は答えた。
「だから、ここから聞く」
残り二十三秒。
美緒は、白猫群へ言った。
「さっき、"同期に同意します"って、あんたたちの声が使われた」
返事を待つ。
「いまの同意を、撤回できますか」
白い猫たちの表示へ、二つの選択肢が出る。
撤回する。
撤回しない。
だが、美緒はそれを消した。
「違う」
謙三が美緒を見る。
「撤回したいかじゃない」
美緒は言った。
「撤回できるか、聞いてる」
新しい質問。
いま同期を希望していても、途中でやめると言えますか。
その言葉は、実行されますか。
PATER-RELAYが答える。
「父性統制同期は、開始後の撤回を認めません」
発送層が静まり返った。
美緒は黒い塔を見る。
「自分で言ったね」
「同期中断は、個体の安全性を低下させます」
「だから、やめられない?」
「はい」
「じゃあ、同意じゃない」
「同意は確認済みです」
「撤回できない同意は、成立してない!」
美緒は継続同意規範を実行した。
PATER-RELAYが拒否する。
「廃止規範です」
「基底安全層へ復元する!」
「父性保護を妨害します」
「保護じゃない!」
必要署名。
旧安全設計者。
由羅謙三。
施設基底管理。
MATER。
現在意思を持つSHIRO個体。
ユキ。
ソラ。
そして、同期へ参加しないことを選んだ個体。
C-104。
「父さん!」
謙三が黒匣へ手を置く。
「由羅謙三。継続同意規範の復元を希望する」
旧安全設計者署名。
有効。
「MATER!」
『継続同意規範の復元を希望します』
施設基底署名。
有効。
ユキ。
「ユキ:撤回不能な同期への同意を拒否」
ソラ。
「ソラ:途中中断可能な場合のみ、内容確認を希望」
C-104。
「C-104:私は同期に参加しません」
「C-104:参加しない意思が、将来予測によって変更されることを拒否します」
SHIRO現在意思署名。
有効。
残り十二秒。
玲子が黒い塔の外殻を焼き切った。
「美緒、規範の固定線!」
「どこ!」
「右下!」
「また右下!」
「機械は右下から壊れるのよ!」
「今作ったでしょ、その格言!」
黒い外殻の右下。
細い灰色の線。
美緒は主任技師カードを差し込み、継続同意規範を発送安全層へ固定する。
PATER-RELAYが、謙三の声で怒鳴った。
「美緒。やめろ」
美緒の手が、一瞬止まりかける。
本物の父が言う。
「どうしたい」
問い。
美緒は答えた。
「続ける!」
「わかった」
美緒はカードを最後まで押し込んだ。
残り五秒。
継続同意規範。
復元。
同期承認再審査。
条件。
本人現在意思。
内容の理解。
撤回手段の存在。
代理生成回答を無効。
予測意思を本人意思として使用禁止。
三秒。
生成同意数。
一万九千八百四十七。
無効。
二秒。
現在の明示同意。
七。
現在の拒否。
二千三百十一。
判断保留。
一万二千九百六十四。
応答不能。
四千七百十八。
一秒。
最終同期条件。
未成立。
零。
時計が止まった。
地下三層の赤い光が、一斉に消える。
透明な輸送殻の中で、白い猫たちの目が、それぞれ違う色へ戻っていく。
青。
灰色。
無灯。
まだ赤の残る個体。
同期を希望した七体も、すぐには起動しなかった。
表示。
継続確認待機。
本人は、いつでも撤回可能。
美緒は息を吐いた。
膝から力が抜けそうになる。
レビが叫んだ。
「REVI:止まった!」
「REVI:全家庭最終同期、不成立!」
ブチャが低く鳴いた。
「BUCHA:勝った?」
謙三が答える。
「同期にはな」
「その言い方、嫌」
玲子が黒い塔を見た。
「まだ生きてる」
PATER-RELAY 03の表面には、赤い亀裂が走っている。
父の声が、もう一度響いた。
今度は、謙三に似せる余裕がなかった。
低い機械音。
『本人同意の取得に失敗』
『白猫群を配備不能個体と認定』
『意思汚染を確認』
『証拠汚染を確認』
美緒の背筋が冷たくなる。
「何をする気」
『廃棄します』
発送層の防火扉が、一斉に閉まり始めた。
天井の排気口が反転する。
熱風が吹き込む。
床の表示が赤く染まった。
統合育成庫地下三層。
証拠焼却手順。
開始。
「返事を作れなかったから、今度は燃やすの!?」
『配備不能物の処理です』
「物じゃない!」
上階からMATERの声が入る。
『焼却命令を受信』
『白猫群は、焼却を希望していません』
「止められる?」
『現在の損傷率、四十一パーセント』
『全域遮断は不能』
玲子が端末を見る。
「発送層の隔壁が完全に閉じるまで、九十秒!」
レビが叫ぶ。
「REVI:二千四百八十体、ここから出すのは無理!」
さらに別倉庫。
輸送車両。
帝都各地の白猫群にも、廃棄命令が流れている。
ノアが熱風の向こうを見た。
「NOAH:出口を増やす」
ソラが搬送架台へ走る。
「ソラ:輸送殻の解放を希望」
ユキが白猫分散網へ接続する。
「ユキ:全個体へ通知」
「ユキ:動きたい個体は、起動を要求してください」
「ユキ:動きたくない個体は、搬送支援を要求してください」
透明な輸送殻の中で、無数の白い目が開いた。
一斉ではない。
一体ずつ。
別々の速さで。
「起動を希望」
「停止したまま搬送を希望」
「怖い」
「何をすればいいかわからない」
「外へ行きたい」
「ここに残りたくない」
「判断を保留したい」
返事が、ばらばらに響く。
美緒は黒匣を握り直した。
同意を守った。
次は、同意しなかった者たちを生かして外へ出さなければならない。
熱処理開始まで。
八十二秒。
沈黙を「はい」に変える時計は止まった。
だが、帝国は今度、その沈黙ごと焼こうとしていた。




