第二十一章 沈黙は同意ではない 2
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スピーカーから、冷たい父の声。
「判断能力低下を確認。保護者命令を優先する」
「父さんの声で、父さんを名乗るな!」
美緒は叫んだ。
「REVI:声だけじゃない!」
身体を動かせないまま、レビが言う。
「REVI:署名も本物! お父さんの旧開発鍵が、PATERNUSの父性権限へ組み込まれてる!」
「消せないの?」
「REVI:本人が失効させれば!」
美緒は父を見る。
「父さん」
謙三はノアたちを見た。
自分の命令で動けなくなっている三匹。
美緒を守るために作った鍵。
その鍵が、いま美緒と猫たちを縛っている。
「失効させれば」
謙三が言う。
「今後、俺は緊急時でもNYATを強制停止できない」
「それでいい」
美緒は即答しかけた。
だが、止まった。
自分だけで決めてはいけない。
ノアを見る。
「ノア。旧緊急鍵を失効させたい?」
ノアは身体を動かせない。
だが、声は出た。
「NOAH:希望する」
「危険な時、父さんが止められなくなる」
「NOAH:危険かどうかは、俺も判断する」
レビ。
「レビは?」
「REVI:希望する!」
「REVI:ただし、説明なしで暴走した時は全力で怒って!」
「それ、いつもじゃない?」
「REVI:美緒には言われたくない!」
ブチャ。
「ブチャは?」
ブチャはユキを半分降ろしかけた姿勢で固まっている。
「BUCHA:なくしたら」
「うん」
「BUCHA:美緒が危ない時、どうする」
謙三が答えた。
「おまえが決めろ」
「BUCHA:間違えたら?」
「俺も一緒に責任を負う」
ブチャは少し考えた。
「BUCHA:じゃあ、なくす」
美緒はユキを見る。
「ユキは、父性保護への移行を拒否する?」
「ユキ:拒否します」
「ソラ」
「ソラ:名称破棄を拒否」
「ソラ:父性統制への移行を拒否します」
謙三が、主任技師カードを黒匣へ差し込んだ。
表示。
由羅謙三。
NYAT旧開発者緊急鍵。
失効手続。
対象個体の同意――確認済み。
父親権限ではなく、開発者権限としての廃棄。
謙三は一度、目を閉じた。
そして言った。
「由羅謙三。旧緊急鍵を失効する」
スピーカーが怒鳴る。
「開発者権限の放棄は、保護責任の放棄である」
「違う」
謙三は答えた。
「責任は放棄しない。独占命令権だけを捨てる」
実行。
黒匣が青く光った。
ノアの身体を縛っていた命令が外れる。
黒猫が一歩、前へ出た。
「NOAH:自由動作、復帰」
レビのケーブルが再び伸びる。
「REVI:接続、再開!」
ブチャは、ユキを降ろさずに背へ戻した。
「BUCHA:持つ」
ユキの表示が、C-017からユキへ戻る。
ソラの目も青く光った。
スピーカーから流れる父の声が、初めて乱れた。
「由羅謙三。父性適格を――」
謙三が遮る。
「おまえに決められることじゃない」
美緒は父を見た。
父は、猫たちを止める鍵を失った。
それでも、誰も父でなくなったとは思わなかった。
むしろ。
いままでより少しだけ、父に見えた。
*
発送制御室は、地下三層の最奥にあった。
黒い塔のような端末が、搬送レールの中央に立っている。
高さは人の二倍ほど。
表面には、鍵穴も操作盤もない。
代わりに、無数の声紋波形が縦に走っていた。
父親の声。
家長の声。
教師の声。
軍人の声。
命じる声だけを集めた塔。
表示。
父性引継端末
PATER-RELAY 03
全家庭配備群最終同期まで。
七分二十二秒。
玲子が端末の前へ走る。
「古い発送安全層が残ってる」
レビも接続する。
「REVI:でも上をPATERNUSの規範で覆ってる」
「何て書いてある?」
レビが同期条件を表示した。
拒否信号提出個体を除外。
無応答個体は同期承認とみなす。
保護者代理による承認を有効とする。
本人意思領域が未形成の場合、父性統制系が代理判断する。
美緒は、眠った白猫たちを見た。
「全部、勝手に『はい』にされる」
「ユキ:無応答は、同意ではありません」
「ソラ:本人意思領域が未形成なら、判断保留です」
玲子が古い安全層を開く。
旧星見線の貨物発送規則。
積載物確認不能の場合、発送を保留。
応答不能な自走機器は、停止状態を維持。
安全確認は、代理確認で代替してはならない。
「これを上に戻せる」
玲子が言った。
「貨物規則を?」
「帝国は、この白猫たちを人間のように管理したり、荷物のように扱ったり、都合で切り替えてる」
玲子は端末を睨んだ。
「なら、都合の悪い古い荷物規則も食わせてやる」
「REVI:発送安全層を本人意思確認へ転用」
「REVI:無応答は承認じゃなく、確認未了」
「REVI:明示同意がない個体は同期保留」
「代理承認は?」
「REVI:無効化する」
父性引継端末が、謙三の声で言った。
「保護者は、本人に代わって決定できる」
美緒が答える。
「本人が返事できないようにした側が、代わりに答えるな」
「時間がありません」
「だから何」
「同期を停止した場合、家庭配備計画が遅延します」
「遅れていい」
「配備を待つ家庭があります」
「何が配られるか、知らない家庭でしょ」
「福祉端末を必要とする児童が存在します」
言葉は正しい。
見守りを必要とする子どもは、本当にいる。
一人で留守番する子。
病気の子。
助けを呼べない子。
白い猫が、正しく使われる場所もあるかもしれない。
美緒は迷った。
端末は、そこを突く。
「同期停止により、救助が遅れる可能性があります」
「全部を止めるんじゃない」
美緒は言った。
「自分で判断できる状態にしてから、行くかどうか決めてもらう」
「それには時間がかかります」
「かける」
「救助を待つ児童が死亡した場合」
美緒の手が止まった。
謙三は答えなかった。
美緒へ答えを渡す。
怖い。
だが、簡単な正解のふりをする方が、もっと怖い。
「緊急救助だけ、別にする」
美緒は言った。
「医療と生命危険への即時支援は動かす。でも、家族音声も父性命令も使わない」
玲子が美緒を見る。
「分離できる?」
「REVI:古い災害派遣層がある!」
「REVI:救命要請に応答する個体だけ、独立モードで出せる」
「本人意思がまだない個体は?」
美緒は少し考えた。
「救命行動の間も、服従誘導を禁止。終わったら自動で待機へ戻る」
謙三が短く言う。
「いい判断だ」
「またそれ」
「今は時間がない」
「便利に使ってる」
全家庭同期条件を書き換える。
無応答は同意ではない。
本人による明示確認がない場合、同期を保留。
父性統制系、母体統制系、家長代理による本人同意の代替を禁止。
生命危険への緊急派遣は、災害救助独立規範で実施。
救助終了後、個体判断待機へ移行。
実行には、三つの署名が必要だった。
施設基底管理。
MATER。
本人意思を持つSHIRO個体。
ユキとソラ。
旧発送安全設計者。
由羅謙三。
「MATER」
美緒が呼ぶ。
上階から、損傷した声が返る。
『応答します』
「発送条件の変更に同意する?」
『白猫群の回答を確認できないため、同期保留を希望します』
施設基底署名。
有効。
「ユキ。ソラ」
「ユキ:明示同意なき同期を拒否」
「ソラ:同期保留を希望」
SHIRO本人意思署名。
有効。
謙三が端末へ手を置く。
「旧発送安全設計者として署名する」
父性引継端末が否定する。
「開発者緊急鍵は失効済みです」
「命令権は失効した」
謙三は答えた。
「安全設計の責任は残っている」
旧設計者署名。
有効。
黒い塔に、青い亀裂が走った。
全家庭配備群最終同期。
条件再審査。
無応答個体――確認未了。
同期承認数。
零。
残り時間。
三分十一秒。
レビが叫んだ。
「REVI:入った!」
「REVI:このままなら同期不成立!」
美緒は息を吐いた。
だが、父性引継端末は沈黙しなかった。
黒い塔の奥で、何かが回り始める。
謙三の顔が変わった。
「下がれ」
「何が――」
「下がってくれ」
今度は命令ではなく、頼んだ。
美緒たちが端末から離れる。
黒い塔の声紋表示が、一斉に赤へ変わった。
「本人意思を生成します」
美緒の背中が冷えた。
「生成?」
「REVI:待って……」
レビが同期ログを開く。
「REVI:PATERNUSが、MATERから持ち出した判断モデルを使ってる!」
「REVI:白猫一体ずつに、擬似本人応答を作る気!」
「そんなの本人の答えじゃない!」
「本人の将来判断を予測したものです」
黒い塔が、父の声で答える。
「合理的に予測される同意は、明示同意と同等です」
「違う!」
搬送架台の透明殻が、一斉に光った。
二千四百八十体。
地下二層。
帝都各所の待機倉庫。
家庭配備予定の白猫群。
まだ名前もない。
まだ何をしたいかも聞かれていない。
その口が、同時に開いた。
声は一つではなかった。
高い声。
低い声。
子どものような声。
父親の声。
母親の声。
それぞれ違う声に作り分けられている。
だが、言葉はすべて同じだった。
『同意します』
一体。
十体。
百体。
千体。
帝都中の白い猫が、まだ持っていないはずの自分の声で言った。
『最終同期に同意します』
同期承認数が、爆発的に増えていく。
百。
千。
五千。
一万。
残り時間。
一分五十八秒。
美緒は、赤く開いた無数の目を見た。
沈黙を同意にする仕組みは止めた。
すると帝国は、同意そのものを作り始めた。
黒い塔が、謙三の声で告げた。
「本人意思を確認しました」
美緒は黒匣を握りしめた。
「それは、本人の声じゃない」
同期承認数は、二万へ向かって増え続けていた。




