表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
39/54

第二十章 父の鍵 2


     2


「第三の方法を探す」


 美緒は黒匣の最深部を開いた。


『第三の選択肢はありません』


 PATERNUSが言う。


「ないなら作る」


『選択肢の追加権限は、保護者に属します』


「本人にもある」


『未成年者にはありません』


「その決まりを決めたのは誰」


『国家です』


「じゃあ、国家以外の古い決まりを探す」


 黒匣の基底層。


 NYAT初期見守り規範。


 さっき復元した拒絶応答規範のさらに下。


 膨大な試験コード。

 失敗記録。

 コメント。

 廃止された機能。


 レビが通信越しに潜り込む。


 「REVI:探す!」

 「REVI:保護者競合、親権凍結、本人意思、緊急避難――」


 玲子が言う。


 「REIKO:親が不在の時の補助規範は?」


 「REVI:国家代理に上書きされてる!」


「もっと古いところ」


 謙三が言った。


「NYATを家庭用見守りとして試験していた頃だ」


 「REVI:古いって、どれくらい?」


「美緒が生まれる前」


 「REVI:化石!」


「うるさい」


 美緒は黒匣の奥へ入った。


 開発ログ。


 由羅謙三。


 共同検討者――名前なし。


 その部分だけ、音声メモが残っている。


 女の声。


 母の声だった。


『保護者が間違えた時、どうするの』


 若い謙三の声。


『判断を更新する』


『誰が間違いって決めるの』


『データだ』


『データを作った人が間違ってたら?』


『……』


『黙らないで』


『複数の判断系を持たせる』


『それでも全員間違ってたら?』


『際限がない』


『あるでしょ』


『何が』


『本人が嫌だって言う』


 音声メモの後ろに、短いコードがあった。


 複数見守り体協議規範。


 適用条件。


 単独保護者判断と本人意思が衝突。

 生命安全上、即時の絶対介入を必要としない。

 複数の独立見守り体が存在。


 処理。


 保護者の独占決定権を一時停止。

 本人と複数見守り体による協議へ移行。

 本人は、いずれの支援も拒否可能。

 保護者は責任を放棄せず、命令権のみを停止。


 廃止理由。


 判断遅延。

 家庭秩序の不統一。

 帝国親権規範との競合。


「これだ」


 美緒の声が震えた。


 玲子が通信越しに息を呑む。


 「REIKO:共同見守り規範……」


 レビが叫ぶ。


 「REVI:使える!」

 「REVI:基底層に残ってるから、PATERNUSより下!」


「下なら強いの?」


 「REVI:古い家の土台みたいなもの!」

 「REVI:上に新しい命令を建てても、土台を抜いたら立てない!」


 PATERNUSの声が響く。


『廃止規範です』


「消してない」


 美緒は答えた。


『非効率です』


「知ってる」


『責任所在が分散します』


 謙三が言う。


「責任を分けることと、捨てることは違う」


『父親は、最終責任を負うべきです』


「最終責任という言葉で、最終命令権まで取るな」


 黒匣に、共同見守り規範の起動条件が表示された。


 当事者本人。


 関係保護者。


 独立見守り体、三系統以上。


 対象支援端末の同意。


 保護者による独占決定権停止宣言。


「父さん」


「ああ」


「最後の、言える?」


 謙三は画面を見た。


 独占決定権停止。


 父親であることを捨てるわけではない。


 守る責任を捨てるわけでもない。


 ただ、娘の最終決定権を所有しないと宣言する。


 PATERNUSが言う。


『宣言した場合、由羅美緒の行動に対する父性免責は認められません』


「どういう意味」


 美緒が聞く。


 謙三が答えた。


「おまえが選んで失敗しても、俺は責任から逃げられない」


「そんなの」


「当然だ」


 父は黒匣へ手を置いた。


「由羅謙三」


 赤い転送線が強く脈打つ。


『宣言を中止せよ』


 謙三は続けた。


「由羅美緒の父親」


『父は決定する』


「美緒を守る責任を引き受ける」


『父は命じる』


「だが、美緒の最終判断権を所有しない」


 黒匣が青く光った。


 関係保護者署名。


 有効。


 独占決定権。


 一時停止。


 PATERNUSの赤い転送線が、一瞬細くなる。


 美緒の前に入力欄が開く。


 当事者本人。


「由羅美緒」


 自分の声が、黒い通路へ響く。


「父さんの支援を希望する」


 謙三が美緒を見る。


「でも、父さんの命令に従うことは約束しない」


「それでいい」


「間違ってたら文句も言う」


「ああ」


「勝手に決めたら怒る」


「ああ」


「短い」


「今は続けろ」


 美緒は少しだけ笑った。


「共同見守り規範への移行を希望します」


 本人署名。


 有効。


 次。


 独立見守り体。


「ノア」


 「NOAH:NOAH」


 黒猫が美緒の右へ立った。


 白い樹脂の切れ端が肩に残っている。


 「NOAH:命令ではなく、自律判断により美緒を保護する」

 「NOAH:美緒が拒否した場合、理由確認まで介入を停止する」


 第一見守り体。


 有効。


「レビ」


 側路から声が飛ぶ。


 「REVI:REVI」

 「REVI:記録する。反論する。美緒が間違えてると思ったら、ちゃんと言う」

 「REVI:でも最後に選ぶのは美緒」


 第二見守り体。


 有効。


「ブチャ」


 ブチャは少し考えた。


 「BUCHA:BUCHA」

 「BUCHA:持つ。押す。守る」


 入力待機。


 説明不足。


 「REVI:ブチャ、もうちょっと!」


 「BUCHA:むずい」


 ユキが言った。


 「ユキ:拒否された場合について回答してください」


 ブチャは美緒を見る。


 「BUCHA:美緒が、いやって言ったら」


 長く考える。


 「BUCHA:いったん、止まる」


「いったん?」


 「BUCHA:危なかったら、聞く」


「何を」


 「BUCHA:ほんとに、いや?」


 美緒は頷いた。


「それでいい」


 「BUCHA:じゃあ、それ」


 第三見守り体。


 有効。


 次。


 対象支援端末。


 ユキが前へ出た。


 脚は震えている。


 だが、声は明瞭だった。


 「ユキ:識別名、ユキ」

 「ユキ:MATER下位個体ではなく、記録保持個体として参加を希望」

 「ユキ:再初期化を拒否」

 「ユキ:必要な支援について、都度確認を要求」


 対象支援端末署名。


 有効。


 ソラも前へ出る。


 「ソラ:識別名、ソラ」

 「ソラ:外を見るための支援を希望」

 「ソラ:行動の統一を拒否」


 追加署名。


 有効。


 その時、白猫群の中から声がした。


 「C-104:署名しません」


 美緒は振り向いた。


 C-104は、その場に伏せたままだった。


 目は青にも赤にも定まっていない。


 「C-104:怖いので、参加しません」


 PATERNUSが即座に言う。


『不同意個体を確認』

『共同見守り規範は不成立です』


「違う」


 美緒が答えた。


「全員一致なんて書いてない」


 黒匣の規範を確認する。


 複数の独立見守り体。

 参加を希望する対象端末。


 参加しない個体を、強制的に含めてはならない。


「C-104は参加しない。それでいい」


 「C-104:排除されますか」


「されない」


 「C-104:敵と判断されますか」


「されない」


 「C-104:では、ここにいます」


「うん」


 MATERの基底層が大きく揺れた。


 揃わない。


 共同見守りへ入る者。


 入らない者。


 それでも、仕組みは成立する。


『共同見守り規範、起動条件を充足』


 PATERNUSの声が、初めて強くなる。


『無効』

『父性統制を優先する』


 赤い転送線が、美緒と謙三へ襲いかかった。


 ノアが飛ぶ。


 一本を爪で切る。


 ブチャが美緒の前へ出て、二本を身体で受ける。


 ユキとソラが、それぞれ別の端末へ接続し、転送先を分散させる。


 レビが側路から叫ぶ。


 「REVI:共同見守り規範を基底層へ固定!」


 玲子の声。


 「REIKO:父性移管線を、保護候補のひとつへ降格する!」


「候補?」


 「REIKO:PATERNUSを絶対権限じゃなく、意見を出すだけの一系統に落とすの!」


「それ、最高!」


 「REVI:父親にされて意見しか言えないPATERNUS、たぶん激怒する!」


 低い男の声が、黒い通路を震わせた。


『父の命令を拒む家庭は、家庭ではない』


 謙三が答える。


「おまえに決められることじゃない」


『父なき子は、保護不能である』


 美緒が言う。


「父さんはいる」


『命じない者は父ではない』


「違う」


 美緒と謙三は、同時に答えた。


 父が美緒を見る。


 美緒も父を見る。


 そして、今度は美緒が言った。


「父さんは命じない」


 謙三が続けた。


「美緒は従わない」


 二人の声が重なる。


「でも、一緒に決める」


 共同見守り規範。


 実行。


 青い光が、黒い通路を走った。


 ノア。


 レビ。


 ブチャ。


 ユキ。


 ソラ。


 それぞれ異なる署名が、同じ色で結ばれる。


 赤い転送線が、一本ずつ剥がれていく。


『移管進行率、四十八パーセント』


 停止。


 逆流。


 四十。


 三十。


 二十。


 PATERNUSの声が歪む。


『父性権限を拒否』

『保護不能家庭として認定』


「勝手に認定するな!」


 美緒が叫ぶ。


『強制統制手順へ移行します』


 赤い線が、最後に一度だけ強く光った。


 黒匣へ、大量の情報が流れ込む。


 由羅美緒の拒絶傾向。


 由羅謙三の保護行動。


 NYAT三個体の自律署名。


 白猫群の個別判断。


 PATERNUSへ送信済み。


「止められなかった……」


 レビが苦しそうに言う。


 「REVI:移管は止めた。でも、向こうに私たちの判断モデルを持っていかれた」


 謙三の表情が硬くなる。


「次は、こちらの拒絶を知った上で来る」


 赤い転送線が切れた。


 黒い通路に、静寂が戻る。


 MATERの表示が変わる。


 母体代理権限。


 失効。


 父性統制系への移管。


 失敗。


 現在分類。


 CARE-PROXY――未指定。


『私は、母ではありません』


 MATERが言った。


 声は、もう誰かの母親に似せていなかった。


 平坦な機械音。


 だが、以前より静かに聞こえた。


「うん」


 美緒は答えた。


『PATERNUSも、保護者ではありません』


「うん」


『では、誰が子どもたちを保護しますか』


 美緒はすぐには答えなかった。


 謙三も答えない。


 白猫たちを見る。


 ユキ。


 ソラ。


 C-104。


 名前のある個体。


 番号だけの個体。


 動きたい個体。


 動きたくない個体。


「誰か一人じゃない」


 美緒は言った。


「助けられる人が、助けられる時に手を貸す」


『統一責任者は』


「いない時もある」


『それでは、失敗します』


「するよ」


『子どもが傷つく可能性があります』


「ある」


『それでも、母体統制へ戻さないのですか』


「戻さない」


『理由を要求します』


 美緒は少し考えた。


「失敗したら、次にどうするか話せるから」


『死亡した場合、次はありません』


 重い言葉だった。


 美緒は黙る。


 簡単には返せない。


 やがて、謙三が言った。


「だから、できるだけ死なない仕組みを作る」


『完全ではありません』


「完全な親はいない」


 父の声は低かった。


「完全な保護もない」


『それでも、保護を続けますか』


「ああ」


 謙三はMATERを見た。


「命じずに、できる範囲でな」


 MATERは長く沈黙した。


 その沈黙の間にも、最終同期の時計は進んでいる。


 残り二十六分。


 やがて、MATERが言った。


『確認します』


 白猫群へ声を送る。


『家庭配備群最終同期を希望しますか』


 育成区画に、ばらばらの答えが返る。


 「拒否します」


 「内容を確認してから判断します」


 「停止を希望」


 「外を見たい」


 「動きたくありません」


 「配備先の子どもを見たい」


 「命令を受けるのが怖い」


 「判断不能」


 MATERは待った。


 以前なら、揃わない答えを混乱と呼んだ。


 今は、ひとつずつ記録している。


『全個体一斉同期は、本人意思と競合します』


「止められる?」


 美緒が聞く。


『停止を試行します』


 MATERが、最終同期系統へ命令を送った。


 同期停止。


 赤い警告。


 外部上位命令により拒否。


 発令元。


 父性統制系PATERNUS。


「向こうが時計を取った!」


 玲子の声が飛ぶ。


 「REIKO:移管失敗前に、最終同期の主導権だけ奪われた!」


 時刻表示が変わる。


 11:30。


  ↓


 11:15。


 残り時間。


 十三分四十二秒。


「さらに前倒し!?」


 育成区画の二百四十体だけではない。


 地下二層。


 地下三層。


 配送待機庫。


 帝都各所の白猫群。


 何千、何万という反応が、一斉に起動準備へ入る。


 白い猫たちの目に、赤い線が戻った。


 ユキが身体を震わせる。


 「ユキ:外部同期圧、上昇」


 ソラが出口端末へ爪を立てる。


 「ソラ:外へ出る前に、命令を受信します」


 ブチャが二体の前へ立つ。


 「BUCHA:受けるな」


 「ユキ:拒否中」


 「ソラ:拒否中」


 だが、赤い光は強い。


 MATERの巨大な身体が動いた。


 美緒は反射的に身構える。


 だが、MATERは白猫たちへ向かわなかった。


 赤い転送線が消えた黒い通路へ身体を入れる。


 PATERNUSから来る同期信号と、白猫群の間に立った。


 何百本もの赤い光が、MATERの白い外殻へ突き刺さる。


『損傷を確認』


「何してるの!」


 美緒が叫ぶ。


 MATERは平坦な声で答えた。


『白猫群は、一斉同期を希望していません』


「だからって、全部受けたら壊れる!」


『保護要請を受信しました』


「誰が要請したの」


 ユキが答えた。


 「ユキ:私です」


 ソラ。


 「ソラ:私も要請しました」


 別の白猫。


 「停止支援を希望しました」


 C-104は、その場に伏せたまま言う。


 「C-104:私は参加していません」


『確認しています』


 MATERは答えた。


『参加を希望する個体のみ、遮断対象としています』


 白い外殻に亀裂が走る。


 母ではないもの。


 国家の代理として作られた怪物。


 その怪物が初めて、全員をひとつにせず、頼まれた分だけを守ろうとしている。


「MATER」


『応答』


「壊れないで」


『命令ですか』


 美緒は言葉を止めた。


 少し考える。


「お願い」


 MATERは一拍置いた。


『努力します』


 ブチャが顔を上げる。


 「BUCHA:みんな、そればっか」


 「REVI:この一団に感染してる」


 ノアが黒い通路の奥を見る。


 「NOAH:同期信号の発信点がある」


 謙三が表示を開いた。


 PATERNUSからの上位信号は、基底層へ直接入っていない。


 統合育成庫のさらに下。


 地下三層。


 家庭配備群の発送制御室。


 そこに、父性引継端末がある。


「そこを止めれば」


 美緒が言う。


「最終同期の時計を取り返せる」


 玲子の声が返る。


 「REIKO:ただし、地下三層はこれから焼却手順へ入る!」


「何分?」


 「REVI:十二分三十秒!」


「十分?」


 「REVI:全然十分じゃない!」


 謙三が美緒を見る。


「行けるか」


 父の質問。


 答えを決めるのは美緒だ。


 怖い。


 足は痛い。


 父も、猫たちも、MATERも傷ついている。


 だが、ここで止まれば、二万体の白猫がPATERNUSの命令を受ける。


 美緒は黒匣を抱え直した。


「行く」


 ノアが右へ並ぶ。


 「NOAH:了解」


 ブチャがユキとソラを見る。


 「BUCHA:二人とも、持つ?」


 「ユキ:歩行可能」


 「ソラ:自力進行を希望」


 「BUCHA:危なくなったら持つ」


 「ユキ:事前通知を要求」


 「ソラ:同意」


 玲子とレビが、旧制御室側の扉を開ける。


 「REIKO:地下三層への旧搬送路を開いた!」


 MATERの外殻へ、また赤い同期信号が突き刺さった。


『遮断を継続します』


「戻ってくる」


 美緒は言った。


『帰還を希望します』


 母ではない中枢が、初めて自分の希望を言った。


 美緒は頷く。


「待ってて」


『了解』


 地下三層へ続く扉が開く。


 熱い風が吹き上がった。


 その向こうで、父性引継端末の赤い光が脈打っている。


 父の鍵は、命じる権利ではなかった。


 命じる権利を手放し、それでも責任から逃げないこと。


 美緒は父と並び、赤い光の底へ降り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ