表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/51

第十九章 母の設計図 1

   第十九章 母の設計図


     1


 美緒は、MATERの腹へ向かって走った。


 白い巨体の外殻は、左右へ開きつつある。


 その奥で、黒い楕円形の命令核が脈打っていた。


 赤い線。


 白い線。


 青く変わりかけた線。


 それらが絡み合い、何百体もの白い猫、音声記録、医療系統、配給系統、帝都の生活網へ伸びている。


 心臓に似ていた。


 だが、血を送っているのではない。


 命令を送っている。


『統一しなさい』


 MATERの声が、第一育成区画を震わせた。


『個別判断は、子どもたちを危険にします』

『母の判断に戻りなさい』


 二百四十体の白い猫は、戻らなかった。


 全員が進んだわけでもない。


 出口へ向かう個体。


 ユキのそばへ集まる個体。


 父を治療しようとする個体。


 その場へ伏せ、動かないことを選んだ個体。


 まだMATERを見つめている個体。


 そして、識別名ソラとなったC-018。


 揃っていない。


 列にもなっていない。


 だから、MATERは読めない。


『統一しなさい』


 声が強くなる。


 白い床が盛り上がった。


 柔らかな隔壁が、美緒の前へせり上がる。


 壁ではない。


 乳白色のクッション材。


 ぶつかっても怪我をしない。

 爪を立てても、柔らかく形を変える。


 傷つけずに止めるための壁だった。


「ブチャ!」


 「BUCHA:押す」


 ブチャが突っ込んだ。


 白い壁が大きくへこむ。


 だが、破れない。


 力を逃がすように、ブチャの身体を包み込む。


 「BUCHA:また、やわらかい」


「柔らかいもの、苦手?」


 「BUCHA:硬い方が、壊しやすい」


「たしかに!」


 ノアが壁の上へ跳ぶ。


 「NOAH:上に制御索」


 乳白色の壁は、天井から伸びた細い糸で形を維持している。


 ノアが一本を切る。


 壁の左側が沈んだ。


 だが、すぐに別の糸が補う。


『危険行動を確認』

『猫型兵装の爪部を保護します』


 ノアの足元から、白い膜が噴き出した。


 爪を包む。


 傷つける武器を、使えなくする。


 「NOAH:余計な保護だ」


『対象は、自らの危険性を理解していません』


 「NOAH:理解している」


『ならば、なぜ危険行動を継続するのですか』


 ノアは白い膜へ歯を立てた。


 「NOAH:俺が決めたからだ」


 白い膜が裂けた。


 その横を、ソラと三体の白猫が走り抜ける。


 同じ場所へ向かったのではない。


 一体は壁の左端。


 一体は右端。


 ソラは制御端末。


 もう一体は、その場で立ち止まり、壁の形状変化を記録する。


 MATERの予測表示が激しく明滅した。


『行動を統一してください』


 「ソラ:拒否します」


 「C-063:右側を開けたい」


 「名称なし:形状記録を希望」


 「C-104:動きたくありません」


『指揮系統が必要です』


 美緒は答えた。


「必要なのは指揮じゃない。出口」


 黒匣を壁へ接続する。


 表示された制御層には、ひとつの命令しかなかった。


 母体保護壁。

 子個体の危険行動を停止。

 本人意思による解除を許可しない。


「また、本人意思を閉じてる」


 謙三が美緒の横へ来た。


 息が浅い。


 顔色も悪い。


 それでも、黒匣の画面を一度見ただけで言った。


「新しい層の下を見ろ」


「下?」


「この施設は、旧車両基地の災害区画を流用している。緊急避難機能を完全には消せない」


 美緒は命令層を深く開く。


 母体保護壁。


 その下に、古い文字列があった。


 非常時避難経路。

 通行者の分散移動を許可。

 単一経路への集中を避ける。


「分散移動……」


「揃わない方が、災害時には安全だ」


 謙三が言った。


 MATERが即座に否定する。


『家庭内では、行動統一が安全です』


「ここは家庭じゃない」


 美緒は古い命令を上へ引き上げた。


「車両基地。避難経路」


『現在は統合育成庫です』


「その下は、まだ避難路でしょ」


 旧災害命令を実行。


 乳白色の壁が震えた。


 ひとつの大きな壁だったものが、複数の小さな仕切りへ分かれていく。


 人を一列に止める壁ではない。


 互いにぶつからず、別々の方向へ逃がすための誘導板。


 ブチャが、できた隙間へ身体を押し込む。


 「BUCHA:通れる」


「ブチャが通れるなら、全員通れる!」


 「REVI:基準がおかしい!」


 側路の通信から、レビの声が飛んできた。


 「REVI:でも正しい!」


 美緒は謙三の腕を取り、分かれた仕切りの間を抜けた。


 ノア。


 ブチャ。


 ユキ。


 ソラ。


 それぞれが違う経路で進む。


 MATERは、ひとつずつ追おうとした。


 だが、そのたび別の場所で、別の白猫が動く。


 止まっていた個体が、突然歩き出す。


 歩いていた個体が、そこで停止する。


 出口へ向かっていた一体が、引き返して別の個体を助ける。


 予測線が枝分かれする。


 一。


 十。


 百。


 千。


 MATERの腹部で、警告音が鳴った。


『行動分岐、過多』


 美緒は走りながら言った。


「それが普通だよ」


 *


 黒い命令核まで、あと二十メートル。


 距離だけなら近い。


 だが、その間には、何重もの白い輪があった。


 第一輪。


 医療系統。


 第二輪。


 配給・生活系統。


 第三輪。


 SHIRO統合命令系統。


 すべてが黒い命令核へ絡みついている。


 玲子の声が通信へ入る。


 「REIKO:美緒、核をそのまま壊さないで!」


「わかってる!」


 「REIKO:医療系と生活系が同じ核へ直結してる! 割ったら病院と配給まで落ちる!」


「帝国、ほんとに性格悪い!」


 「REIKO:設計者へ言って!」


 謙三が言う。


「一部は俺だ」


「父さんなの!?」


「基礎構造だけだ」


「それでも!」


「後で聞く」


「絶対聞く!」


『由羅美緒』


 MATERが呼んだ。


 今度は、母の声ではなかった。


 美緒自身の声だった。


『父親を責める反応を確認』


「勝手にあたしの声を使うな!」


『技術者由羅謙三への不信を増幅することで、黒匣の保護関係を解除できます』


「しない」


『由羅謙三は、あなたへ説明していない事実を多数保持しています』


「知ってる」


『彼は、あなたのためという理由で、選択肢を奪いました』


「それも知ってる」


『ならば、なぜ同行するのですか』


 美緒は、隣の父を見る。


 父は何も言わない。


 答えを渡さない。


「文句を言い終わってないから」


『非合理』


「家族だから」


『家族とは、信頼関係です』


「信頼できない時も家族だよ」


『矛盾しています』


「矛盾したままでいい」


 MATERの声が、少し遅れた。


 返答までの時間が、長くなっている。


 謙三が言った。


「効いている」


「何が」


「MATERは、家族を関係ではなく状態として理解している」


「状態?」


「信頼している。愛している。従っている。守られている。ひとつに固定したがる」


 父は黒い核を見た。


「だが、実際の関係は変わる。怒る。疑う。離れる。戻る」


「面倒」


「ああ」


 「BUCHA:家族、面倒」


 ブチャが低く言った。


 「ユキ:ブチャと私は家族ですか」


 ブチャの足が止まりかけた。


 「BUCHA:……わからない」


 「ユキ:了解」


 「BUCHA:でも、持つ」


 「ユキ:何を」


 「BUCHA:ユキ」


 ユキは少し黙った。


 「ユキ:関係状態、不明確」


 「BUCHA:それでいい」


 MATERの警告音が、また鳴った。


『定義不能関係を検出』


 レビが笑った。


 「REVI:ブチャ、MATERに効いてる!」


 「BUCHA:おれ、効く」


「たぶん、そこまで考えてないところが効いてる」


 「BUCHA:褒められた」


 「NOAH:違う」


 その短いやりとりの間にも、美緒たちは命令核へ近づいた。


 黒い核を囲む三つの輪。


 最初の医療輪へ、白い猫二体が接続している。


 父を治療したいと答えた個体たちだった。


 「診断を開始します」


 「由羅謙三、低酸素状態」


 「薬物残留、確認」


 「治療を希望しますか」


 謙三が答える。


「希望する」


 美緒は父を見る。


「受けるの?」


「受ける」


「MATERの治療じゃ」


「この二体が独立診断へ切り替えた。命令核から分離できれば使える」


 白猫が続ける。


 「治療条件を提示」

 「本人同意」

 「補助者立会い」

 「中断要求を常時受理」


 美緒は息を呑んだ。


 MATERが提示した治療とは違う。


 治療の入口に、黒匣の提供も、服従もない。


「父さん」


「なんだ」


「治療して」


「今は」


「今、できる範囲で」


 謙三は少しだけ迷った。


 MATERが、その迷いへ割り込む。


『治療により任務効率が低下します』


「黙って」


 美緒は言った。


「これは父さんが決める」


 謙三は二体の白猫を見た。


「酸素補助だけ頼む」


 「了解」


 白猫の一体が腹部を開き、小型の呼吸補助器を取り出す。


 もう一体が謙三の首筋へ診断線を接続する。


 「苦痛時、中断可能」


「続けろ」


 「命令形式ではなく、本人希望を確認」


 謙三が一瞬、黙った。


 美緒は少し笑いそうになった。


 父より、白猫の方が手続きに厳しい。


「治療継続を希望する」


 謙三が言い直す。


 「確認」


 酸素補助器が動き始めた。


 父の呼吸が、ほんの少し深くなる。


 MATERが低く言った。


『母体管理外の医療行為は危険です』


 白猫が返した。


 「本人同意を確認済み」


『中止しなさい』


 「拒否します」


 美緒の胸に、熱いものが広がった。


 拒絶は、戦うためだけにあるのではない。


 治療を受けることも、やめることも、自分で決めるためにある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ