第十四章 地下特別移送区 3
3
移送官達の残りが体勢を立て直し、奥の通路から増援の足音も迫っていた。
鷹森もすっ転んだままではなく、すでに立ち直りかけている。
鳴瀬の高音も、完全には死んでいない。
玲子が叫ぶ。
「美緒、椅子のロック全部落とせ!
謙三、立てる!?」
謙三は、解放された手首を見下ろし、それから短く答えた。
「立つ」
「そう言うと思った!」
美緒は拘束椅子の最終ロックを切る。
謙三が、ゆっくり立ち上がる。
ふらつく。
でも倒れない。
その姿を見た瞬間、美緒の胸に、言葉にならないものが込み上げた。
ようやく、ほんとうに"外へ出せる状態"になったのだ。
鷹森が、立ち上がりながら低く言う。
「解除までやるか。
予想以上だな」
「うるさい!」
「だが、それで終わりだと思うな」
「終わりにするのはあんたの方!」
美緒は承認卓の画面を叩く。
地下特別移送区の見取り図。
搬送レール。
緊急排出路。
そして、地下貨物搬出口へ繋がる保守レール。
「玲子さん! 出口!」
「左奥、排出路C!
でも途中の隔壁が監察権限で――」
「権限ならある!」
美緒は奪った承認鍵とリングで、排出路Cを強制開放した。
重い隔壁が、ガコン、と開き始める。
巨大な空間が現れた。
その向こうには、真っ暗な貨物トンネルが見える。
「NOAH:道、開いた」
「REVI:でも来る!」
「BUCHA:だったら押す」
白い保護優先個体たちが、なぜか自分から移送官と美緒たちの間へ割りこみ、発砲線を遮るように立つ。
「被拘束者保護」
「避難路確保」
それは心じゃない。
命令だ。
でも、少なくとも今この瞬間だけは、白猫達は美緒たちを守る側へ立っている。
美緒はそれを見て、短く言った。
「ありがと」
鷹森の目が、その一言でほんの少しだけ細くなる。
「機械に礼を言うのか」
「人に言っても通じない時は」
その返しに、玲子がちょっとだけ笑った。
「言うようになったわね」
「誰のせいだと」
「育てた覚えはある」
「半分だけ認める!」
その掛け合いの最中にも、ブチャは謙三の前へ出て盾になり、ノアは移送官の無線を潰し、レビは地下電子マップを改ざんして追跡班を逆方向へ流していく。
「父さん!」
美緒が手を伸ばす。
謙三は一瞬だけそれを見て、それから、自分の足で一歩踏み出した。
その一歩が、ひどく重く、でも確かだった。
「行くぞ」
その声はまだ低い。
でももう、囚人の声じゃない。
「うん!」
美緒は父の腕を支える。
玲子が後ろを押さえる。
ノア、レビ、ブチャが走る。
貨物トンネルへ、全員が飛び込んだ。
貨物トンネルは、まるで巨大な獣の食道みたいだった。
暗い。
長い。
湿っている。
でも、まっすぐ外へ伸びている。
背後で、地下特別移送区の警報が遠ざかる。
怒号。
銃声。
白い猫の補助音声。
鳴瀬の歪んだ高音。
全部が、だんだん後ろへ流れていく。
謙三の歩幅は、正直危うかった。
でも、自分で歩いていた。
そのことが、美緒には何より大事だった。
「平気?」
思わず聞くと、謙三は前を向いたまま答える。
「平気じゃない」
「だよね」
「だが歩く」
「知ってる」
それだけで、少しだけ笑ってしまう。
こんな状況なのに。
後ろから玲子が言う。
「感動の再会、もうちょい場所選んでくれない?
追われてる最中なんだけど」
「玲子さんも口減らして!」
「無理」
「REVI:前、分岐!」
「NOAH:右は外、左は封鎖」
「BUCHA:右」
右へ曲がる。
その瞬間、トンネル全体に重い振動が走った。
「っ……!」
天井から粉塵が落ちる。
玲子が舌打ちした。
「隔壁落としに来た!」
つまり、鷹森はもう、このトンネルごと潰すつもりだ。
逃がす気なんか、最初から少しもない。
「美緒!」
玲子が前を指差す。
トンネルの先に、手動の貨物搬出ゲートがある。
でも閉まりかけていた。
残りは、人ひとりが滑りこめるかどうか。
「ブチャ!」
「BUCHA:おう」
ブチャが先に走る。
丸い体で、閉まりかけたゲートの下へ潜りこむ。
そのまま全身で支える。
ギギギギ……と金属が悲鳴を上げる。
「行け!」
「父さん、先!」
「美緒が先だ」
「今それやってる場合じゃない!」
結局、二人同時だった。
美緒が先に身体を滑りこませ、外から謙三の腕を引く。
玲子が後ろから押す。
ノアが先に抜け、レビがギリギリで飛びこみ、最後にブチャがほとんど押し潰されるみたいに外へ飛び出した。
直後、貨物ゲートが完全に閉まる。
ごん、と重い音。
その向こうで、地下トンネルの隔壁が落ちたのがわかった。
しばらく、誰も動けなかった。
外は、朝だった。
監察塔の裏手に繋がる廃棄搬出路。
コンクリート。
錆びたフェンス。
薄い朝焼け。
降り残った雨が、路面にまだ細く光っている。
「……出られた」
美緒の声は、息と一緒にこぼれた。
本当に、出た。
しかも。
目の前には、父がいる。
謙三が、外の空気を一度だけ吸いこんで、それから小さく咳きこんだ。
「REVI:お父さん、いま感動するターンだよ」
「うるさい」
反射みたいに返したその声音に、美緒の目の奥がまた熱くなる。
変わってない。
痩せたし、傷も増えたし、前よりずっと無茶な顔になってる。
それでも、父は父のままだった。
「……ほんとに出たね」
美緒が言うと、謙三は短くうなずく。
「ああ」
たったそれだけ。
でも、それで十分だった。
玲子が壁にもたれ、ようやく大きく息を吐いた。
「ったく……胃に悪い親子」
「玲子さんが途中で煽るからです」
「事実確認よ」
「絶対違う」
「NOAH:まだ終わってない」
「BUCHA:うん」
「REVI:追跡、来る」
その一言で、全員が現実へ引き戻される。
そうだ。
奪還はした。
でも、終わったわけじゃない。
鷹森は生きている。
鳴瀬もいる。
帝国そのものは、まだ東京の上に腹這いになっている。
それでも。
美緒は、隣に立つ父を見た。
「……次、どうする?」
この問いを、自分の口で言えたことが少しだけ不思議だった。
前なら「助ける」しか見えていなかった。
今は違う。
謙三は、フェンスの向こうの朝の街を見た。
「網を繋ぐ」
その答えは、やっぱり父らしかった。
「白い猫はもう、拘置所だけの問題じゃない。
外の世界、家族連絡区画も、学校も、居住塔も、全部やられる」
美緒はうなずく。
「うん」
「だから――」
そこで謙三は、初めて真正面から美緒を見る。
「一緒にやるか」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
次の瞬間、胸の奥が熱くなる。
守るとか、置いていくとか、先に行けとか。
そういう言い方じゃない。
一緒にやるか。
たったそれだけで、いままでの全部が少しだけ報われた気がした。
「……うん」
泣きそうになるのをこらえながら、美緒は笑った。
「その台詞、最初から言ってよ」
謙三は、ほんの少しだけ困ったみたいな顔をした。
「苦手だ」
「知ってる」
「でも言った」
「うん。ちゃんと聞いた」
ノアが静かに目を細める。
レビは尻尾を立てた。
ブチャは相変わらず無愛想だけど、少しだけ胸を張った。
朝の光は、帝国の黒い塔の輪郭をうすく削っていく。
まだ世界は何も変わっていない。
でも、美緒たちの立ち位置は、もう変わった。
由羅美緒。
由羅謙三。
白峰玲子。
そして三匹の猫。
逃げる側じゃない。
今度は、噛みつき返す側だ。
美緒は黒匣を抱え直した。
「じゃあ次は、白い猫の本体を止めに行こう」
謙三が短くうなずく。
「その前に、朝飯だ」
「今!?」
「食わないと頭が回らん」
「……たしかに」
玲子が吹き出した。
「そこは正常で安心した」
「REVI:缶詰!」
「BUCHA:やっと」
「NOAH:五分だけだ」
「短い!」
そのやりとりの向こうで、遠くのサイレンがまた鳴り始める。
帝国は、ようやく"囚人7-0413の消失"に気づいたのだろう。
でももう、番号だけじゃ追いつけない。
父は出た。
娘は継いだ。
猫たちはまだ走れる。
だったら、ここから先は反撃だ。
薄い朝の風の中、美緒は前を向いた。




