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第十二章 午前三時二十分 1

 第十二章 三時二十分


   1


 午前三時十九分。


 内監区前監視路の保守壁の裏。


 わずかな隙間から通路を覗きながら、美緒は自分の鼓動がうるさいくらいに響くのを感じていた。


 拘置所の内側では、限られた時間までもが敵になる。


 三時二十分。


 一分後、父――由羅謙三は特別教導室へ移される。

 そこで白い猫と向き合わされる。

 家族の声を真似た音と、心のない擬似猫に囲まれて、精神が折れるまで細く削られる。

 それは防がなければならない。


 「NOAH:来る」


 ノアの短い通信と同時に、監視路の向こうで白い光が揺れた。


 最初に見えたのは白い猫。

 これまでに相対してきた細身のものではなかった。

 南砂や先の家族連絡区画で見た量産型より、一回り大きい。

 胸部装甲は厚く、首の関節には銀色の補助リング。

 赤いラインが額から背まで一直線に走っている。


 その後ろに、警備員二人。

 さらに、その中央。


 拘束椅子を簡易搬送台に固定されたまま、謙三が運ばれてくる。


「……父さん」


 声に出したつもりはなかった。

 でも、美緒にはそう聞こえた。


 謙三の顔色は悪い。

 頬は削げ、唇の色も薄い。

 それでも、目だけはまだ死んでいない。


 その目を見た瞬間、いままで押さえていた怒りも、恐怖も、寂しさも、全部が一気に胸へ押し寄せた。


 会いたかった。

 生きているのを見たかった。

 触れたかった。

 怒鳴りたかった。


 でも、溢れる思いの、その全部を飲み込んで、美緒は短く息を吸う。


「……ノア。レビ。ブチャ」


 「NOAH:わかってる」

 「REVI:三、二、一で」

 「BUCHA:やる」


 通路の白い猫が、搬送台の前で止まった。


 「対象7-0413」

 「特別教導室搬入開始」

 「家族依存応答プロトコル、レベル四へ移行」


「いま!」


 レビが天井配線へ飛びついた。


 次の瞬間、監視路の照明が一列だけ落ちる。


「なっ!?」


 警備員が顔を上げた、その死角にノアが跳んだ。


 黒い影が白い光へ突っ込む。

 金属音。

 火花。

 大きい白猫の首元へ、ノアの前脚が鋭く叩き込まれる。


 「異常接触」

 「非登録猫型兵装……識別」


 言い切る前に、ブチャが正面から体当たりした。


「ぶしゃあッ!」


 白い指揮型が、搬送台ごと横へよろめく。

 警備員の片方が盾を上げようとした瞬間、美緒は保守壁の裏から飛び出していた。


「どいて!」


 主任技師カードを、搬送台の拘束制御部へ突き刺す。

 青い光。

 警告表示。

 謙三の手首と胸の拘束バンドが、一段だけ緩む。


「侵入者!」

「由羅美緒が――」


 警備員の怒声が上がる。


 もう一人が警棒を振りあげた。

 その手首へ、レビのテーザーニードルが刺さる。


「がっ……!?」


 ノアは白い指揮型の目を狙い、ブチャは搬送台の前に壁みたいに陣取る。


 狭い。

 だからこそ、俊敏に動ける猫たちが強い。


 美緒は搬送台へ手をかけた。


「父さん!」


 謙三が、ようやくこちらを見た。


 第一声は、予想通りだった。


「来るなと言ったはずだ」


「知ってる」


 美緒は即答した。


「でも来た」


 それだけ言うと、謙三の目がほんの少しだけ細くなる。

 怒ったようにも、呆れたようにも見えた。


「順番が違う」

「それも知ってる」

「なら帰れ」

「帰るか!」


 そのやりとりのあいだにも、警備側は立て直しに入っていた。


 白い指揮型猫が体勢を戻す。

 額の赤線が強く光る。


 「対象同時捕捉」

 「父娘対話状況を確認」

 「最適教導率、上昇」


「気持ち悪い!」


 美緒が吐き捨てた、その瞬間。


 特別教導室の扉が、ゆっくり開いた。


 中から出てきたのは、もう一体の白い猫だった。


 今度のそれは、別格の更なる強化型だった。

 真っ白な外殻の上から、薄い透明カバーが二重にかかっている。

 尻尾は細く長く、先端に音叉みたいな共鳴ユニット。

 目は赤じゃない。

 人間の瞳孔を真似た、薄い灰色。


 「SHIRO 教導支援上位個体 白猫型工作機LlMEN起動」

 「家族再会補助を開始」


「……上位個体」


 玲子の息を呑む音が、短距離回線でかすかに聞こえた。


 「REIKO:最悪ね、内監区就きの本命が出てきた」


 LIMENは、静かに美緒と謙三を見た。


 「由羅美緒。由羅謙三。

 父娘再接続は秩序回復に資する」


「ふざけるな」


 美緒の声は低かった。


 LIMENの喉元が、かすかに震える。

 次の瞬間、スピーカーから出たのは――


『美緒』


 父の声だった。


 「最適音声模倣を適用」


 つづけて、


『おまえは悪くない。

 こちらへ来い』


 今度は、玲子の声。


『美緒、聞いて。

 そのままだとお父さんが危ないの』


 さらに、


『ねえちゃん』


 子どもの声。

 どこかで拾われた、誰かの弟の声。


 美緒は背筋が粟立つのを感じた。


「やめろ……!」


 LIMENは構わず続ける。


『由羅美緒。

 あなたは保護されるべきだ。

 家族もまた、適切な距離で管理されるべきだ』


 その間に、白い指揮型が再び前へ出る。

 警備員二人も、非常通報を通したらしい。

 奥の監視灯が一段階、赤くなった。


 「NOAH:長引く」

 「REVI:上の本隊が来る!」

 「BUCHA:先に壊す」


「父さん!」


 美緒は一瞬だけ、謙三に目を向けた。


「どこよ! あれの急所!」


 謙三は白い上位個体を一瞥しただけで言った。


「胸」


「胸?」

「そこに、もう一つの頭がある」


 ノアがすぐ反応する。


 「NOAH:リレーコア」

 「REVI:なるほど!」


 LIMENの動きが変わる。

 前脚が床を滑り、音もなく距離を詰めてくる。


 ブチャが迎え撃つ。

 正面衝突。

 白と鈍色の塊がぶつかって、金属音が廊下に響いた。


 「優先排除対象、B個体」

 「Bucha……排除」


「ブチャ!」


 「BUCHA:まだ」


 ブチャは押し負けない。

 傷の残る左側で踏ん張り、丸い顔を思いきり突き上げる。


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