19
(……あれ?)
気が付くと、ルーカスは寝台に寝ていた。寝台に寝ていることに気付いた直後、一気に眠気が覚める。
状況が全くわからない。なぜ寝台に寝ているのか、全く思い出せない。辺りがうっすらと暗いことから、かなりの時間が経過していることだけがわかる。
どうにか記憶を辿る——確か、ソファーに座るレネの膝の上に座り、弱りきったレネをどうにかするために頭を撫でていた。レネはいくら時間が経とうとも全く動かず、結局ルーカスは適度な温かさと心地よさからくる眠気に抗えず、目を閉じてしまった。つまり、レネがルーカスをここまで運んだということだろうか。
徐々に頭が冴えていくにつれ、無視できない背中の温かさと腹部に回る腕、絡まる足に気を取られる。間違いない。背後からレネに抱きつかれている。
「レネ……」
自然と囁き声になる。小さく呼びかけながらどうにか抜け出そうとするも、腹部に回る腕と絡まる足にぐっと力が入り、ルーカスの動きを阻む。
「起きてる?」
ルーカスが問いかけると、少しの間を置いて小さな声で返答がある。
「……起きてないよ」
「起きてるだろ……」
「ううん、起きてない」
レネが頭に顔を埋める感触がする。ムズムズして落ち着かない。
「レネ……俺はどこにも行かないし、逃げないから、ちょっと離してくれるか?」
試しに言ってみるも、レネは無言だ。腕も足も離れる気配が一切ない。嫌だ、ということらしい。
どうやら、まだ弱った状態から回復していないようだ。どうすれば元気になるのだろう。もっと接触すれば元気になるだろうかと考えて、じわりと顔が熱くなる。今でも十分なくらい密着しているというのに、これ以上の接触となると心臓が持つかわからない。
(やってみるか……)
ルーカスは少し悩み、それから意を決して開口した。
「レネ、そっち向きたいんだけど……それも駄目か?」
問いかけた瞬間、レネがわずかに身じろぎする。それから、無言で腕の力が弛み、絡まる足が離れていく。
ルーカスは緩慢に向きを変え、レネの方を向いた。途端に穏やかな笑みを浮かべるレネと目が合う。やはり、元気がない。いつも通りに見えるが、笑顔に力っけがない。
「レネ……」
本当に、どうしたというのだろう。この約二週間で、レネの身に何があったというのだろう。何度目かの問いただしたい気持ちをぐっと堪える。
「大丈夫……じゃ、ないよな?」
「うん」
即答だ。取り繕うこともせず、何の躊躇いもない答えだった。それだけで、よほどのことがあったのだと知れる。
「どうすれば元気になる?」
「このままでいれば元気になるよ」
「このまま……くっ付いて?」
「そう」
背に回ったレネの腕が、ぐっとルーカスを引き寄せてぴたりと体が密着する。ルーカスは思い切ってレネの背に腕を回し、抱きしめ返した。そっと顔を上向けると、目と鼻の先にレネの顔がある。
レネの優しげな飴色の瞳がゆっくりと細まり、嬉しそうに笑った。
思わず見惚れてしまいそうになり、ルーカスは慌てて言う。
「いつまでこのままでいればいい?」
「うーん……ずっと?」
「ずっと……」
「うん。ずっと」
レネが小さく笑い、そのまま無言で見つめ合う。
妙な空気が流れている気がした。張り詰めているのに、どこか甘ったるくてじりじりするような空気だ。絡まる視線の熱で焼かれてしまいそうな気がするのに、目を逸らすことができない。
ふと、レネが顔を近付けてきた。ルーカスは思わず息を呑んだが、レネは鼻先が触れそうな距離で何かを思い出したように「あ」と呟き、ぴたりと止まった。
「ルーク、いい?」
レネの囁きがルーカスの唇を撫でる。何の許可を求めているのかはすぐに察した。本当に、ルーカスの言う通りに許可を求めてきた。
(どうしよう。どう答えればいい?)
悩んだが、その実、問いかけられた瞬間に答えは出ている。しかしその答えを、口に出すのがどうしても気恥ずかしかった。
ルーカスは口を開いたが、結局一言も発さずに閉じる。ややあって、ようやく言葉を捻り出す。
「何が?」
白々しい問いを返している自覚はある。答えを口にする勇気が出ずに、時間稼ぎをしようとしている自覚もある。せめてもう少し、もう少しだけこの甘ったるい空気に慣れてから。心臓の鼓動が落ち着いてから。さもないと持たない。
ルーカスの心境を知ってか知らずか、レネがふわりと笑う。心の底から安心する笑みだ。
「きみに口付けしてもいいかな」
「……い」
答えは決まっている。ルーカスはその答えを口に出そうとしたが、言い切る前に唇を塞がれる。
レネはすぐに唇を離した。だが、声を発すれば唇と唇が触れ合ってしまいそうな距離で止まる。
「レネ、まだ」
いいって言ってない、と言葉を続けようとしたが、再び唇を塞がれて何も言えなくなる。
今度は、レネの唇は長々と離れなかった。触れるだけの口付けをしたままルーカスの頭を撫で、うなじをくすぐるように撫でる。たまらなくなってぎゅっと目を閉じると、やんわり唇を食まれる。ルーカスは思わずレネのシャツを掴んだ。
レネが小さく吐息を漏らすようにして笑い、そうして次の瞬間、ルーカスの唇に冷たく湿った何かが触れた。かと思えば冷たさはすぐに消え、温かく湿った何かがゆっくりルーカスの唇をたどる。何をされているのか、ようやく理解が追いつく。レネに、唇を舐められている。
「レッ、レネ、ちょっと」
続く言葉ごと飲み込もうとするかのように、レネはルーカスの唇を食み、もう一度唇を合わせる。そうして、ようやく唇が離れた。満足したのか、レネが顔を離す。
顔が熱い。猛烈な照れで頭がおかしくなりそうだ。ルーカスは唇に手をやり、やっとのことで開口した。
「なっ、なんで、舐め……」
「美味しそうだなって」
あっさり答え、楽しそうに笑うレネに照れた様子は微塵もない。ただただ、ルーカスを愛しげに見つめているだけだ。
「おっ……美味しくない」
「そんなことないよ。癖になりそうだ」
レネはふっと息を吐き出して、小さく笑う。それから、ルーカスの額にそっと唇を押し当て、口付けを落とす。
「きみは本当に可愛いね、ルーク。ありがとう、おかげで元気が出たよ」
何かを言おうとしても、「あ……」だとか「う……」のような呻き声しか出ない。照れが限界に達して、咄嗟にレネの胸に顔を埋めて逃げる。判断を誤ったと気付いたのは、レネに優しく抱きしめられてからだ。
「今日はこのまま眠ってもいいかな。さすがの僕でもちょっと疲れちゃったんだ」
縋るような声音でそう言われては、頷く他ない。ルーカスはそっとレネの背中を撫でた。すると、レネは安堵したかのように一度大きく息を吐いた。レネの体から力が抜け、ルーカスを抱きしめる腕にはわずかに力がこもる。
「ルーク……僕は……」
レネはぽつりと言う。弱々しくも、真剣な声音だった。
ちゃんと聞いている、という意味を込めて、レネを抱きしめる腕に力を込める。そのまま言葉の続きを待った。
ところが、いくら待ってもレネは言葉の続きを話さない。
(……?)
疑問に思ったルーカスが、顔を上げてレネの様子をうかがおうとした時、ようやくレネが口を開いた。
「……いや、なんでもないよ。ごめんね。おやすみ」
レネは無理やり話を終わらせた。結局、釈然としないまま、ルーカスは悶々とした疑問を抱えることになってしまったのだった。




