20
翌朝、レネは見違えるように元気になった。いつも通りの様子でルーカスの髪を整え、共に朝食を取る。昨日のように、常にくっ付きたがるということもない。
「ああ、そうだった。ルーク、これ」
「ん?」
レネが懐から何かを取り出し、ルーカスに差し出す。ルーカスはほぼ反射的に手を出して受け取った。
受け取ったものに視線を落とす——ルーカスの首飾りだ。
数日前、突然フロールから『いつも身につけているものを貸してくれ』と言われて貸したものだ。そういえば、返してもらっていなかった。帰ってきたレネの様子が異常で、それどころではなかったために頭からすっぽ抜けていた。
(いや、待て。どうして、これがレネから返ってくる?)
レネが戻り、フロールが出ていくまでの短い間に首飾りの受け渡しはしていなかった。
だとすれば、フロールはレネが戻るより前にこの首飾りをレネに渡していたということになる。フロールがレネの居場所を知らなければできないことだ。
(フロールは……レネがどこにいるのかを知ってた?)
ならば、なぜ自分にはレネの居場所を教えてくれなかったのだろう。なぜ、レネはフロールには居場所を教えたのだろう。
「ありがとう。とても助かったよ。また次も借りていいかな」
(……次?)
レネもフロールもどうして自分にだけ何も教えてくれないのかとモヤモヤしたが、レネの一言で意識が逸れる。
『次』というからには、また同じことがあると——数週間もの間、ここを留守にすることがまたあるということだ。
「いいけど……」
レネの様子を窺いながら、頷く。レネはほっとした様子で「よかった」と囁いた。
「それで……ルーク、その首飾りなんだけど……」
レネは緊張した面持ちになり、どこか強張った声で話題を切り出す。
「きみは、その首飾りをどこで?」
ルーカスは内心で首を傾げた。この話題のどこにも、緊張して強張るような要素はない。レネの様子の原因がわからない。妙に思いながらも、ルーカスはとりあえず答えることにした。
「これは母さんの形見なんだ。まあ……顔も知らないんだけどな。使用人だったから肖像画も残ってなかったし」
「あ……そうなんだね。ごめん、余計なことを聞いちゃったね」
レネは途端に複雑そうな表情をした。痛みを堪えるような沈痛な表情の奥に、一瞬——ほんのわずかだが失意のような色が浮かぶ。
(……?)
ルーカスの中で疑問がますます膨れ上がる。
「母さんのことはとっくの昔に俺の中で折り合いがついてる。レネが気にすることじゃない」
ルーカスの口からは思ったより強張った声が出た。自然と突き放すような物言いになってしまった。
そうして自分の声を聞いて初めて、この約二週間の間にレネがどこにいたのかを隠され、自分だけが知らずにいたことが思いの外こたえているのだと気付いた。
レネに当たってもどうしようもないのはよくわかっている。当たったところでレネが教えてくれるわけがない。それに、これだけレネが教えてくれないのだから、フロールも口を割らないに決まっている。
「……そうか」
レネは寂しそうに笑った。
ルーカスはその表情を見た瞬間、少なからずレネを傷付けたのだと悟って動揺した。
違う。そんな顔をさせたかったんじゃない。傷付けたかったわけでも、突き放したかったわけでもない。
今の心境を説明して、違うのだと弁明したい。けれど、ルーカスがどう言葉のかぎりを尽くしても、きっとレネに嫌な思いをさせてしまう。話したくないことを話さざるを得ない状況にしてしまうかもしれないし、話せないことにひどく罪悪感を抱かせてしまうかもしれない。
結局、ルーカスは何も言えずにレネから目を逸らした。そうすることしか、できなかった。
▽
翌月にも同様のことがあった。再びフロールがやってきたかと思えば、レネはルーカスから首飾りを借りた後に行き先も告げずに出掛けていく。そのまま二週間ほど姿を見せず、帰ってきた時にはレネは弱りきっていてルーカスから離れない。
どうりで、フロールは『またすぐ来る』と言い、レネは首飾りを『また次も借りていいかな』と言うわけだ。
日に日に不安と疑問が増していく中、さらに翌月にもフロールが訪れた。レネはルーカスから首飾りを借りると、やってきたフロールと入れ替わるようにして、浮かない顔でどこかに出掛けて行った。
先々月よりも先月、先月よりも今と、どこかに行く前のレネはどんどん元気がなくなっていく。不安や疑問を感じるなと言う方が無理だ。
レネが姿を消した後、ルーカスは先月に聞くのを我慢していたことをフロールに聞くか迷った。レネに口止めされている以上、ルーカスが何をしたところでフロールは絶対に口を割らないだろう。かと言って、フロールから情報を引き出す口のうまさもない。
迷いに迷い、ルーカスは意を決して開口する。
「フロールは、レネがどこに行って何をしてるか……知ってるんだよな?」
ルーカスが問うと、フロールは途端に苦笑した。口調から、ルーカスが確信していることを感じ取ったらしい。
フロールは逡巡するような表情を見せた後、ゆっくり頷いた。
「ああ。知ってる」
やはり、知っていたのだ。ルーカスだけが、知らずにいた。どうして自分には教えてくれないのだと喉まで出かかった言葉を、寸でのところで抑え込む。詰っても無駄だ。きっとレネもフロールも、申し訳なさそうに困ったような悲しい顔をして、ルーカスには教えられないと言うだけだ。
「そう……」
視線を落とし、ルーカスはぽつりと呟いてそれきり黙った。
ルーカスの反応が予想外だったのか、フロールが目を丸くして言う。
「レネがどこに行って何をしてるか、聞かないのか?」
ルーカスはぐっと唇を噛み、拳を握る。教えてくれるつもりもないだろうに、なぜ聞くのだと怒りに任せて当たり散らしたい気持ちを懸命に押し込める。
「逆に聞くけど……聞けば教えてくれるのか? 違うだろ? 教える気がないなら、そんなことを俺に聞かないでほしい」
「あ……ごめん……その……」
「いや、こっちこそごめん」
何かを言い淀むフロールを遮り、ルーカスは無理やり話を終わらせようとおざなりに謝罪する。このまま話を続けても、フロールに当たり散らしてしまいそうだ。一度頭を冷やした方がいい。落ち着いてから、フロールには改めて謝罪をした方がいいだろう。
ルーカスはフロールに背を向け、「頭を冷やしてくる」とだけ言い残してその場を後にした。
翌日早朝、普段ならまだ寝ている時間にルーカスは目を覚ました。夜明け間近の時間ではあったが、周囲は薄暗く、かろうじて物の輪郭がわかる程度の明るさしかない。
もう一度眠る気分にはなれず、ルーカスは身支度を整えて部屋から出た。
薄暗い廊下を進みながら、家の前の除雪をしてから朝食の準備をするかとぼんやり考える。この三ヶ月で、レネやフロールに精霊石を介してのレネの力の使い方や、調理方法について教えてもらい、一人でもそれなりにできるようになっていた。
昨日は、結局フロールにろくに謝ることなく早々と就寝してしまった。今日こそは謝ろうと決心しながら、階段を降りる。
と、ルーカスの耳に扉の開閉音が聞こえた。音の出所が玄関であることはすぐにわかった。
(……? フロール?)
フロールが活動するには随分と早い時間だ。普段なら、空が完全に明るくなった時分に活動し始める。
妙に気になって、ルーカスは無意識に足音を忍ばせて玄関に向かう。そこにフロールの姿はなかった。
他のどの部屋からも物音はせず、廊下に雪の塊が落ちているということもない。つまり、フロールは外に出て行ったということだろう。
(除雪しに行ったのか? こんな時間から?)
これまでとは異なるフロールの行動に、なぜなのか胸騒ぎがした。何か——何かが起きているような——嫌な予感がする。
ルーカスは足早に上着とランプを取りに行き、それから外に飛び出す。
手に持つランプは、ルーカスが明るすぎない明かりを灯してくれと願えば、思った通りの明かりが灯る。このランプは点けと願えば明かりが灯り、消えろと願えば明かりが消える。このことには、レネと生活を始めて割とすぐに気付いたが、仕組みはいまだにわからない。
外は吹雪だった。周囲は十分に見えるが、吹き荒ぶ風は容赦ない。もう少し降雪量が増せば、辺りが何も見えないほどの猛吹雪になるだろう。
ルーカスはランプを掲げ、周囲を見渡した。どこにもフロールの姿はないが、降り積もった新雪の上に真新しい足跡が伸びている。
ルーカスは足跡をたどってゆっくり歩き出した。通りに沿って足跡は続き、レネが再建したベルデアの街の端にある一軒の家屋へと消えている。
ルーカスはランプの明かりを絞り、音を立てないようにして、フロールが入ったと思われる家屋の中に入った。
床に落ちている雪の塊を見て、間違いなくここにフロールがいると確信する。周囲を見回す——何の変哲もない家に思える。レネの家と似た造りだ。
(……フロールはどこだ? そもそも、何をしにここに?)
辺りを観察しながら足を踏み出した、その時だ。
階上から、何かが割れる音がした。続いて、重い何かが床に落ちたような鈍い音がする。
「……?」
ルーカスは物音を立てないよう、足早に階上に向かった。その間、何かが暴れ回っているかのような物音が絶え間なく聞こえてきて急速に不安が広がる。
物音は一番奥の部屋から聞こえてくるようだ。部屋に近付けば近付くほど、室内から何かの呻き声とフロールの切羽詰まった声が断片的に聞こえる。
「……レネ……だ、……から……」
——レネ。
フロールが口にしたその名前を聞いた瞬間、嫌な予感が確信に変わる。嫌な予感はしていた——苦しそうな呻き声が、レネの声に聞こえたからだ。
ルーカスは一切の躊躇いなく、扉を開けた。




