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そうして、レネのいない生活が始まった。
フロールとはすぐに打ち解けた。ルーカスの事情を詳しく聞くこともなく、適切な距離を保ちながら接してくれたおかげで、初めと比べるとだいぶ仲良くなった。
レネは、一週間が経過しても戻ってこなかった。
窓の外では連日のように吹雪が続いていることから、レネが西部にいるということだけはわかる。
レネのいる場所には広範囲で雪が降る。西部に雪が降るということは、近くにレネがいるということだ。
西部にいながらも、一切姿を見せることのできない何かの用事があるということだろうか。
その用事がなんであるのかを考えてみたものの、ルーカスには全く見当がつかなかった。フロールにも聞いてみたが、フロールもルーカスと同じで、何の用事でレネが留守にするのかも、どこに行くのかも聞かされていないとのことだった。
ルーカスの脳裏に、去り際に見せたレネの哀しげな表情が何度も浮かび、不安が掻き立てられる。
レネは、明らかに元気がなかった。その元気の無さが、ただルーカスにしばらく会えないから、というだけではないように見えた。留守にしなければならない理由が、レネにとってとてつもなく気乗りしないことのように見えたのだ。
一体、レネはどこにいて、何をしているのだろう。
▽
そのまま時が過ぎ、レネは二週間が経っても姿を見せなかった。
いよいよ不安になってきたが、ルーカスにはどうにもできず、ただ待っていることしかできない。
そんなある日の朝食以降、ルーカスはフロールとは別行動を取っていた。
ルーカスが居間で静かに本を読んでいると、慌てた様子でフロールがやってくる。心なしか顔色が悪いように見えた。
「ルーカス、いつも身につけているものとかないか?」
「いつも身につけているもの?」
開口一番、予想だにしない言葉がフロールの口から出た。
ルーカスは内心で盛大な疑問符を浮かべながら問い返す。質問の意図がわからない。そんなことを聞いてどうするのだろう。
「これは?」
ルーカスは右耳の耳飾りを示す。
「んー……できればその耳飾り以外がいいかな」
「耳飾り以外……あ、これは?」
ルーカスはシャツの下から首飾りを引っ張り出す。楕円形の透明な石が付いた、母の形見の首飾りだ。
「小さい時からいつも身に付けてるんだ」
「それがいい。少し、借りてもいいか? 必ず返すから」
「……? うん」
どうして、ルーカスがいつも身に付けているものをフロールが借りたがっているのか、全くわからない。
疑問には思ったが、フロールならばルーカスの大切なものを雑に扱ったりはしないだろう。
ルーカスは首飾りを取り、フロールに渡した。
ルーカスから首飾りを受け取ったフロールは、心底ほっとした顔をした。その表情がまた、ルーカスの疑問を膨れ上がらせる。なぜ、ルーカスが首飾りを貸したことで、フロールが安堵するのだろう。一体、何に使うつもりなのだろう。
「ありがとう。必ず返すからな」
フロールは重ねて必ず返すと念を押し、慌てた様子で室内から出て行った。
(……何なんだ?)
▽
それから二日後、事態が動いた。ルーカスとフロールが朝食を終えた頃に、レネが戻ってきたのだ。
「ルーク……」
レネはルーカスの姿を見るなり、体当たりするかのように突進し、勢いよくルーカスを抱きしめた。
力一杯抱きしめられて、全く身動きが取れない。
レネの様子がおかしいのは一目で分かった。明らかにやつれていて元気がない。おまけに、ルーカスの姿を捉えるまでその瞳には翳りがあった上に、見たことがないほど暗い表情をしていた。
「レネ……」
何があったのかを問いかけようとして閉口した。聞いたところで答えてくれないであろうことは、レネがどこかに発つ前のやり取りからして明白だ。
一体、何をすればこんな状態になるのだろう。深く追求したい気持ちをぐっと堪える。今はそれどころではない。
「おかえり」
「……うん」
レネは言葉少なに答え、ルーカスを抱き締める腕に力を込める。離れる気配は一切ない。
やはり、様子がおかしい。変だ。
「それじゃあ、俺はこの辺で帰るぞ。また来るからな」
レネに抱きしめられて身動きの取れないルーカスの脇をすり抜けるようにして、フロールが部屋から出て行こうとする。
レネはフロールの方をちらりと見ることもせず、ルーカスの肩口に顔を埋めたまま頷く。
「あ、見送り……っと、レネ、離し」
「あー、いい、いい。そのままで。見送りはいらない。またすぐ来るから」
ルーカスの言葉を遮るようにしてフロールが言い、困ったように笑う。
「相当弱ってるみたいだから、頑張れよ」
頑張れって何を、とルーカスが疑問を口にする前にフロールが「じゃあな」と手を振り、室内から出て行った。
「あ……レネ……フロール、行っちゃったけど……」
「うん」
レネはそれ以上何かを言うことなく、動く気配すらない。ルーカスは少しの間、様子見でそのまま黙っていたが、やはりレネは動かない。
数時間どころか数日間でもこのまま動かない予感がして、どうするか考えあぐねる。そうして、とりあえずレネを座らせようという結論に至った。
「レネ、疲れただろ? 座らないか?」
「うん……」
肯定だ。レネが小さく頷き、続いてルーカスを抱きしめている腕が弛む。そのまま、レネはゆっくりとルーカスから体を離した。
思いの外すぐに離してくれたことに安堵した、まさにその瞬間、レネが少し屈むと同時にルーカスの膝裏と背を支えて抱き上げた。
「……っ!?」
ルーカスは驚きに目を見開く。決して軽くはないはずのルーカスを軽々と持ち上げ、顔色一つ変えないレネを呆然と見やる。
レネは無言で弱々しい笑みを返すと、ルーカスを抱えたままソファーに座った。
「レネ」
とっさに咎めるような響きの声が出た。言外に一人で座れるから離してくれ、と伝えたつもりだが、レネはわかっているのかいないのか、無言でルーカスの体勢を変えようとする。
「わっ……」
あっという間に、レネは互いに向き合う形でルーカスに自らの足を跨がせて膝の上に座らせると、腰に手を回して引き寄せた。ぴたりと体が密着したところで、ルーカスの肩口に顔を埋めたまま動かなくなる。
「レッ……レネ……この体勢、恥ずかしいから普通に座りたいんだけど……」
「うん……」
今の「うん」は、とりあえずの相槌だ。話を聞いているということだけ示しつつ、ルーカスの言うことを聞くつもりは全くないらしい。
レネの腕にますます力が入る。どうしてもこの体勢のまま離れたくないらしい。全身で離れたくないと伝えてくるレネに、目の前がぐらぐらする。
「離すつもりは?」
「ないよ」
即答だ。それ以上何も言わない。
レネはゆっくりと深呼吸を繰り返した。まるで、ルーカスの匂いを堪能するかのような行動だ。そう、吸われている。
吸われていると気付いた瞬間、あまりの羞恥にルーカスは仰け反った。どうにかして身を捩って逃れようとしたが、レネはびくともしない。
「ルーク……このまま……」
「うっ……」
弱りきった声を出されてはたまったものではない。
ルーカスは天を仰ぎ見て、それから意を決した。
無理に逃れようとするより、弱っているレネを回復させた方が、より早くこの状況から脱することができるのではないか。無理に逃げようとしても、レネの拘束が強まるだけだ。今するべきなのは逃げることではなく、レネを落ち着かせて回復させることだ。
ルーカスはそっとレネに腕を回して擦り寄り、抱きしめ返した。
レネが驚いたように大きく息を吸い、ルーカスを抱き締める腕にますます力が入る。
ルーカスは宥めすかすように、レネの頭をゆっくりと撫でた。
どうすればいいのか、どうやってレネを回復させればいいのか、全くわからない。今こうして頭を撫でているのだって、小さな時にこうして乳母に宥めてもらったことを思い出したからだ。これで正解なのかはわからない。
(それにしても——)
朝、髪を整える時にもいつも思っているが、レネの髪は本当に手触りがいい。滑らかで艶やかで指通りが良くて、いつまででも触っていられる。頭を撫でつつ、髪に指を通す。
しばらく続けていると、レネの体から少しずつ力が抜けていった。その一方で、ルーカスを抱きしめる腕の力は全く弛まない。離す気配すら感じられない。
「レネ……何があった?」
ルーカスの問いかけに、レネは首を横に振った。答えたくない、ということらしい。
これほどまでに様子がおかしくなる上に、一切話したくない何か。ルーカスの中で、どんどん疑問が膨れ上がっていく。レネは一体、どこで何をしていたのだろう。レネの身に何が起きたのだろう。
ルーカスは擦り寄るレネの頭を撫でながら、抱き締める腕に力を込めた。




