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「それは……俺はどうやって赤星を決めるのか知らないから、何とも言えない。でも、レネが赤星になることに納得してるってことだけはわかる」


 北部に迷い込んだ時、レネが「赤星の任を受ける」と宣言したのをルーカスは確かに聞いている。


「そりゃあ……レネは納得するに決まってる。カルミセ国の西部を雪で覆ってしまった上に、人間と精霊の争いのきっかけになってしまった。全て自分のせいだと思っているんだ。赤星の任につくことが償いになるとまわりに言われたら、レネは進んで自分の命で贖おうとする。そういうやつなんだ」


 ルーカスは俯き、唇を噛んだ。


「生贄になって二星に力を注げば仲間の精霊たちのためになるし、西部の雪も降り止んで徐々に消えていって元の西部に戻る。命を投げ打つことが一番の償いになると信じ切っている……?」

「そういうことだ」


 フロールは鎮痛な面持ちで頷き、言葉を続ける。


「それでなくとも、レネは長い年月の間、あまりにも多くの者に死を望まれてきた。レネを亡き者にしようとした者だって、人間と精霊共に一人二人では済まされない。精霊はそうそう簡単には死ぬことができないから、レネは今まで生きてきた。レネは自分がどういう存在かよくわかっているし、多分……生きることを含め、色々なものを諦めている。赤星の任を拒むわけがないんだ」


 ——色々なものを諦めている。


 どうしようもできない状況下で心が麻痺していき、打開策の一つですら考えられず、希望を抱くこともできないまま生きている。いや、生かされている。研究所にいた時のルーカスと同じだ。


 ルーカスは迫り上がる思いを無理やり押さえつけ、疑問を口にする。


「精霊はそうそう簡単には死ぬことができない? どういうことだ?」

「ああ……俺もレネやリコさんやロペさんから聞いたんだけどな。精霊を死たらしめるのは、元になるものが著しく損なわれた時か、二星が定めた寿命を迎えた時の二つだけらしい。精霊は病にかからないし、怪我もしない。首を断っても、胴を断っても、元に戻る。ましてや、レネは北部タボヤ山の万年雪の精霊だ。レネのように北部のものが元になっている精霊は少なくて、総じてかなり長命らしい。タボヤ山はそもそも、精霊たちの間でも未踏の地で、そこにある万年雪は何をしても溶けないんだと。人間と精霊の争いが起きて、精霊が人間に手を貸さずにいられなくなった時……レネや、レネの父親の責任を問う声が噴出した。精霊としてのその命を持ってして責任を取れという声だ。でも、それは叶わなかった。精霊たちは誰もタボヤ山に踏み入ることができず、万年雪を著しく損なわせることができなかったからだ」


 フロールは真剣な面持ちのまま、話を続ける。


「精霊たちにとっては幸いなことに、レネの父親はそれからすぐに亡くなった。残るはレネだ。精霊たちはレネの寿命が尽きるまで待つしかない。レネと同じくタボヤ山の万年雪の精霊のレネの父親は、相当な年月を生きた長命な精霊だった。人と精霊の間に生まれたとはいえ、レネも同じくらい生きるはずで、寿命を迎えるまでは相当な年月を要することが予想された。そこへ、二星の不調が始まった。二星の不調を鎮められるほどの力を持った精霊は、二星が欠けた時から生まれていない。人との間に生まれたレネが唯一の例外だ。おまけに赤星を担えるほどの精霊は数少ない。すると……どうなると思う?」


 ルーカスは口内の唾を飲み込んだ。嫌な汗が頬を伝う。フロールが「公平な判断だと思うか?」という質問を投げかけてきた理由をようやく察した。


 二星の不調は、どう考えてもレネを還らせたい者たちにとって好機だ。何としてでもレネを赤星にしようとするだろう。そして、実際に、レネは赤星になった。


「おまけに、レネを一番嫌ってるヘリオル湿地の精霊エメが、リコさんとロペさんを精霊の集いから締め出したらしいじゃないか」

「ヘリオル湿地の精霊、エメ?」

「北部にある湿地の精霊のことだ。そのヘリオル湿地に二星がいる。人間の世界で例えるなら、二星は神で、エメは王。ヘリオル湿地は王城って感じだな」

「なるほど……」


(エメは人間でいう身分のある偉い人みたいな感じか)


 レネと共に二星の上、小島に立っていた時には周囲を見る余裕など全くなかったが、あの場所は湿地だったらしい。


「レネと親しいリコさんとロペさんだけが締め出されたのは、リコさんとロペさんがレネを赤星にする邪魔をすると思ったからだろうよ。俺は、どう考えても、公平な決定には思えない」


 わずかな怒りを滲ませ、フロールが言い放つ。フロールはレネが生贄になることに全く納得していないのだろう。いかにレネを大切に思っているのかが伝わってくる。


 フロールが手元に視線を落とし、ぐっと拳を握る。それから、ぽつりと言う。


「レネを赤星になんかさせたくない」

「俺も、レネを生贄になんてしたくない。絶対に嫌だ」


 すんなりと言葉が口についた。そうして、自分がいかにレネが生贄になることに納得していないかを思い知った。


 レネが生贄となることはきっと覆らないのだと頭では理解していながらも、まだ何か手立てがあるはずだと思わずにはいられない。


 レネを生贄にしない方法があるのなら知りたい。わずかでも可能性があるのなら、それに縋りたい。レネを助けたい。諦めたくない。どうしても、諦めることができない。


「ルーカス。もし、リコさんとロペさんに会うことがあったら、何か方法がないか聞いてみてくれないか? 俺もリコさんとロペさんに精霊石を貰ってはいるんだが、『レネをよろしく頼む』みたいな意味合いでとりあえず貰っただけだからな……。特段好かれてもいないし、かといって嫌われてるわけでもない……みたいな微妙な感じなんだよ。会う機会は君の方が多いと思う」

「わかった」


 ルーカスが快諾すると、フロールはほっと息を吐き、「ありがとう」と礼を言った。


「フロールは、レネとは長い付き合いなのか?」

「俺が十歳の時からの付き合いだな」

「へえ……」


 すると、恐らくは十年以上の付き合いだということになる。


「ところでフロールは何歳?」

「二十三だ。ルーカスは?」

「十八だよ」


 フロールは「そうか」とだけ言い、懐っこく笑ってみせる。


 何となく、距離を測られている気がした。フロールは、ルーカスとたわいのない会話を交わし、こちらの反応を見ながら接し方を探っている。そしてそれは、ルーカスも同じだ。


 フロールがレネを兄のようにも友のようにも感じていて、大切に思っていることはわかった。だが、それ以上はわからない。どの程度踏み込んでいいのか、どの程度慣れ合ってもいいのか。そもそも、本当に心を開いてもいいのか。親しみを抱いてもいいのか。


「俺のひいじいちゃんが十五歳の時にレネに助けられてな……」


 フロールの話によると、フロールの曽祖父はカルミセ国の名門出身だったが、家督争いで命を奪われかけた。必死に逃げ続けたものの、西部との境目にある雪壁のところで行き倒れてしまった。その際に雪壁に片手が触れた状態で倒れたものだから、レネが様子を見にきてフロールの曽祖父を助けた。


 フロールの曽祖父から行き倒れた経緯を聞いたレネは、隣国のムルタン国に逃げ、保護を求めるよう勧める。売れば財布の足しになるはずだからとムルタン国には生息しない獣の毛皮を持たせ、国境まで送り届けた。


 そうして、フロールの曽祖父はムルタン国に保護された。

 フロールの曽祖父には商才があり、レネから貰った毛皮をそれはそれは上手く売って大金を手にしたのだという。


 その後もフロールの曽祖父はどうしてもレネのことが忘れられず、受けた恩義を返すために様々な物資を持って再び西部との境目にある雪壁を訪れた。


 そこからレネとフロールの曽祖父は仲良くなっていった。レネから貰ったものを売り、そのお金でレネに必要な物資を購入して届けるのを繰り返した。


 フロールの曽祖父は、レネの創作物や獲物を取り扱う商人として界隈で有名になっていき、以後、フロールの祖母が引き継いだ。そうして祖母から母へ、今ではレネとのやり取りはフロールの役目なのだという。フロールは十歳の時に母に連れられ、レネに会ったとのことだ。


「レネはひいじいちゃんに会うまで、リコさんとロペさんに頼んで、時々必要物資を仕入れる程度だったらしい。食事は狩猟で得た獲物を月に一度食べる、というような暮らしぶりだった。リコさんとロペさんはかなり長い時を生きているから、『時々』の尺度が俺たちの思う『時々』とは違って、数年、数十年に一回、みたいな感じだったらしい。ひいじいちゃんは黙っていられなかったんだろうなぁ」


 行き倒れた人間の子どもを助け、逃がしてやる——何ともレネらしい。レネを忘れられなかったフロールの曽祖父の気持ちもよくわかる。レネを前にしたら——その優しさに触れたら、忘れることなどできないに決まっている。


「あのさ……フロールのひいじいちゃん……カルミセ国の名門出身だったって言ってたけど……どの家門?」


 ルーカスには気になることがあった。聞いてもいいことなのかはわからなかったが、聞かずにはいられなかった。


「確か……フアネーレ家だな」

「やっぱり」


 思わず声が漏れる。


 似た話を聞いたことがあった。

 ルーカスの曽祖父には多くの兄弟姉妹がいたが、特に五歳年下の弟が抜きん出て優秀で、家督はその弟のものになるのではないかと言われていた。しかし、その弟は十五歳で失踪し、以後消息はわかっていない。

 フアネーレ家は熾烈な家督争いが行われてきた家門だ。ルーカスはこの話を聞いた時、単なる失踪ではなく、曽祖父に追い出されたか命を狙われたかのどちらかではないかと思ったのだ。


「……やっぱり?」

「あ……その、俺……フアネーレ家の生まれなんだ。追い出されて」


 ルーカスは慌てて、差し障りない程度に説明する。


 フロールがちらりとルーカスの右手を見た。一瞬、痛ましいものを見るような表情になる。ルーカスがリコとロペの精霊石を賜ったがゆえに、家督を狙う者に追い出されたのだと解釈したのだろう。


「ろくでもない家だな。何が名門だ」


 思い切り顔顰めて言い放つフロールに、なぜなのか胸がすく。これまでルーカスの胸の内でわだかまっていたフアネーレ家に対する思いが、フロールの口を借りて出たような気分だ。


「そうだな。ろくでもない家だ」


 ルーカスはふっと息を吐き、小さく笑う。


「ってことはルーカスと俺はすっごく遠い親戚みたいな感じになるのか?」

「そこのところはよくわからないけど、多分……」


 ルーカスとフロールは顔を見合わせて笑い合った。初めと比べると、随分と心の距離が近くなったように感じた。


「フロールはここまでどうやってきたんだ?」


 当然だが、雪原では荷馬車が使えない。どうやって荷を運んだのだろう。当初から抱いていた疑問を口にする。


「ああ、レネの精霊石を使って、雪で荷馬車を作ったんだ。その雪の荷馬車に、持ってきた荷物を移し替えてここまできたんだよ」

「雪で荷馬車を?」

「そうそう」


 そんなことができるのか、と驚く。レネが除雪の際に雪を動かしているのを見たから、『雪を動かすことができる』というのは知っていた。どうやらそれだけでなく、雪を自分の意のままに任意の形状に固めて動かすことも可能であるらしい。


「ほら、これだ。お揃いだな」


 ふいに、フロールが懐っこく笑い、右側の髪をかきあげるようにして耳をあらわにした。


 フロールの右の耳朶には、ルーカスの右耳に付けられた耳飾りと同じような、小さな球状の白色の耳飾りが付いている。光の加減で青色にも見えるその耳飾りを見た瞬間、ルーカスは唇をぎゅっと結んだ。


 ——自分だけではなかった。


 レネに耳飾りを貰ったのは、自分だけではなかったのだ。


 レネは、ルーカスの耳に自分の耳飾りの片方をつけ、見つめ合った時に片耳にしか耳飾りをつけていない自分を目にして、同じ耳飾りが自分の片耳にもついていることを思い出してほしいと言っていた。それを聞いて、ルーカスは特別なことだと思ってしまった。


 自分だけに与えられる、特別な、レネの気持ちそのもの。それが、この耳飾りなのだと。しかしそれは、特別でも何でもなかったのだ。フロールにも与えられる、汎用的な、特別でも何でもないもの。レネにとってこの耳飾りは、何の変哲もない普通の耳飾りなのだ。


 もやもやする。胸中によくわからない感情が広がっていくのを感じる。


「……レネが、精霊石を耳飾りにしてフロールに?」


 ルーカスの口からは、想像以上に低い声が漏れ出る。


「これは俺が耳飾りにしてくれってレネに頼んだんだ。石の形状のままだと持ち歩くのを忘れるし、俺は指輪とか腕輪とか首飾りをつけるのが好きじゃないんだ。耳飾りなら忘れずに絶対持ち歩けるだろ?」


 ルーカスの様子から何かを察したらしいフロールが、慌てた様子でルーカスを安心させるように言う。


 フロールはさらに、「ほら」と左側の髪をかきあげ、左耳をルーカスに見せる。フロールの左耳には、耳朶にロペの青い精霊石がついた耳飾りがついていて、軟骨部分にリコの赤い精霊石がついた耳飾りがついていた。


「リコさんとロペさんにもお願いして、精霊石を石の形じゃなくて耳飾りにしてもらったんだ」

「あ……そうなんだ……」


 ほっとすると同時に、早とちりして勘違いしていた自分が恥ずかしくなる。それ以上は何も言えず、一方的に気まずさを感じて黙り込む。


「さてと」


 気まずそうなルーカスの様子を見兼ねたらしいフロールが、急に立ち上がった。屈託のない笑みをルーカスに向ける。


「ルーカスには申し訳ないけど、荷下ろしを手伝ってくれるか?」

「もちろん」


 ルーカスは笑みを返し、立ち上がった。フロールのおかげで、一方的に感じていた気まずさが吹き飛んだのだった。

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