『音の止む家』
前回は色で、今回は音をテーマにしてみました。ホラーを要素を初めて入れてみました。
旅日記 No.0520
次の世界へ足を踏み出した瞬間、七技はいつも通り忍術で風の気配で感じ取った。
――この世界は、音が消えつつある。
木々のざわめきも、虫の声も、遠くの川のせせらぎも、すべてが砂に吸い込まれるように小さく、そして鈍い。まるで分厚い布の向こうにあるような、そんな音ばかりだ。
「…… また、時間がかかるのか」
腕に書かれたタトゥーを見る。空間孔を開く準備はまだできていない。探している男の気配はどこにもない。早く次の世界へ行きたい。だが、この世界に留まるしかない。
「仕方ない…」
七技は静かに歩き、森のはずれにぽつんと建つ古びた一軒家にたどり着いた。誰も住んでいないように見えた。だが、戸の隙間からかすかな声が漏れてくる。
「…… 聞こえる……また、あの音が……」
「静かに、して…… 音に、気づかれる……」
家の中には、老夫婦が息をひそめるようにして身を寄せていた。
「…俺と似ているな。はぁ…。」
七技はこの時、「恐怖の中にも、怒りも悲しみもなく、ただ静かに受け入れようとしている」老夫婦の姿が、七技の信条と似ていると感じ、無視もできず、戸を開けて入る。
「ひっ!!」
「待て、俺は客だ。ここは旅館だろう?」
二人は驚いて口をつぐみ、指を唇に当てた。
「お願い、声を出さないで。大きな音を出したら、あれが来る……」
老女は震える声で囁いた。
「何が来るんだ…?」
「しぃっ!お話しますから…お入りください…」
話を聞くと、この家には毎晩決まった刻に、誰もいないはずの二階から「音」が降りてくるという。
「ひた…… ひた……」
まるで足音のような、それでいて生き物ではないような、奇妙な音。
音が近づいてくると、家の中の音が一つずつ消されていく。
時計の針の音。
炉の火のはぜる音。
息づかいまでが、だんだんと吸い込まれるように消えていく。
「それでも、誰も傷つけたりはしないのです。ただ、音を奪っていくだけ……」
「だけど、音がなくなったら、もう何も聞こえなくなって…… その次は何が起きるのか、誰も知らない……」
七技は冷静に頷いた。
「心配するな。俺は音だけでは驚かない。」
七技はその後、静かにする二人が落ち着くのを待つ。
「そ、それでは…こちらへ…」
部屋に案内されて、七技は老婆が静かにお辞儀したのを見て、軽く会釈した。
そして、夜が更け、外は完全に闇に包まれた。
「うん…?」
そして来た。
「ひた…… ひた……」
二階の階段から、音が降りてくる。
重い空気が階下へと流れ込んでくる。音が近づくたびに、家の中のあらゆる音が、まるで水の中に沈んでいくように小さくなっていく。
老夫婦は眼を閉じ、互いの手を強く握りしめている。
七技は動かない。
ただ、音の正体を見極めようと、暴風忍法…風の忍術で気配を探り続けた。
――恐れる必要はない。何かが襲ってくるわけではない。
この「音」は、この家に長く住み、この土地を守り続けてきた存在の「声」だった。
だが、誰からも話しかけられることがなくなり、誰の声も聞こえなくなり、その存在はただ「音」だけになってしまったのだ。
誰もその音を聴こうとしなくなったから、音はただ寂しさを伝えるだけになってしまった。
七技は武器を出さない。そしてこの後は、術も唱えない。
ただ、静かに階段の方へ向き直り、低く落ち着いた声で話しかけた。
「お前の音は、悪い音ではない。ただ、誰も聴いていなかっただけだ。」
音は止まった。
「ひた……」
それきり、何も響かない。
七技は続けた。
「寂しいのなら、音を奪うな。お前の音を、誰かに聴かせてみろ。」
静寂が家を包む。
だが、その静寂は、もう恐ろしいものではなかった。
やがて、階段の上から、かすかな、だが優しい音が響いてきた。
まるで風が木々をそよがせるような、そんな音。
それはゆっくりと階下へ降りてきて、老夫婦の前を通り、戸口へと消えていった。
同時に、家の中の音が一つ、また一つと戻ってきた。
時計の音。
火の音。
そして、老夫婦の安堵した吐息が、再び部屋に満ちていった。
翌朝。
七技は既に戸口に立っていた。
腕のタトゥーの色が変わっていたからだ。
「久しぶりに一晩過ごしたな」
次の世界へ行く準備が、ようやく整ったのだ。
「あの…旅人さん…」
「なんと、お礼を…」
老夫婦は七技に礼を言おうとした。
だが七技は手を軽く挙げ、制した。
「俺は何もしていない。ただ、音の話を聴いただけだ。」
七技は次の世界へ向かう前に、最後に一言残した。
「音は奪うものではない。聴いてもらうものだ。それを忘れなければ、あの音はもう恐くない。」
別れを告げる間もなく、七技の姿はそのまま老夫婦の前から消えた。
彼は別に英雄でもない。
ただ、早く次の世界へ旅立ちたかっただけなのだ。
そして、七技は、誰も見ていないことを確認してから、次の世界へと向かった。
旅の記録
『音の止む家』
音は奪えば消える。
だが、聴いてあげれば、いつまでも響き続ける。
恐れるから、音は消えていく。
心で聴けば、音は決して消えたりしない。
また一つ、大切なことを覚えた。
――七技
主人公の旅日記には、終わりがないのか…それとも?
それは、私の人生と関係するかもしれない。




