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アンリアルロジック  作者: どめし
第四話『わかちょんと慧真』
22/33

scene5 クールクール

 結局そのまま、特に実のある会話をすることもなく、私たちはベイバンを後にした。家が厳しいという井上さんは一足先に駅へ向かい、残った私たちはアイドルの雑誌が欲しいという野田さんと一緒に本屋へ向かい、文房具を物色した。

 慧真はずっと笑顔だった。

 ベイバンへの道中から、本屋を出るまでずっと、慧真の顔は陰ることも、陰りかける気配すらもなく、笑顔のままだった。

 だけど。

 だから、私は気が気ではなかった。

 他のメンバーを呼ぼうと提案した時点で、こうなる予感はしていた。私の理想の通りにはならいことぐらい、ほとんど確信めいて分かっていたのだ。

 慧真がわざわざ自分で集めた同級生たちの前で自分の暗い部分を見せないことぐらい、分かっていた。親しくもない同級生たちに囲まれて、私が慧真に対して部活のことを問い質すなんて、できるわけがなかった。

 そのくせ、私は焦っていた。

 慧真があられシェイクを飲み終わった辺りから、部活のことを問い質すきっかけを与えてくれない彼女に対して、私は愚かにも焦ってしまっていた。

 早く帰ってしまってはチャンスを失ってしまうような気がしたから、井上さんを先に帰して本屋に寄ったというのに。欲しがっていた雑誌を胸に抱える野田さんの隣で、慧真は相も変わらず楽しそうで。

「じゃあ、また明日」

 野田さんがちょっとふざけて、畏まった声を出した。当たり前のように慧真がそれを真似た返しをして、シルバーの自転車は野田さんと重たそうなスクールバッグを乗せて駅の反対側へと走り去っていく。

 賑やかな二人が去って、放課後が、縮んでいく。

 少し乱暴ですらある沈みかけの夕陽に照らされて、特別で一世一代の放課後が、縮んでいく。

 残された私と慧真と北沢さんは電車通学で、それなのに、誰かの足が自然と駅へ向かうということはなかった。このまま放課後を終わらせてしまうことが不安で、私の足は次の遊び場を探そうとしているのだった。

 何の気もなしに夕陽に背を向けて二人の方へ向き直ると、ふと北沢さんと目が合って、だけどすぐに、何やらそわそわとしたような彼女の視線は僅か上方へと逃げ出した。一緒にいる間ずっと緊張か、あるいは遠慮をしているようだった澄まし顔の彼女も、もしかしたら私と同じで、この放課後をまだまだ終わらせたくないのかも知れない。

 早く帰りたいだけということだって大いに考えられるし、トイレに行きたいだけだという可能性も無くはないし、ひょっとしたら私の顔が汚れていて、それを指摘しようかどうか迷っているだけなのかも知れない。

「あたしたちも帰ろっか」

 沈黙を感じるよりも前に慧真が言った。爽やかで、そして静かな声。ふと、下校路の穏やかな静けさに気がついた。そうだねと呆気なく同意する北沢さんの横でスマホを見ると、終業時間から二時間が過ぎようとしている。部活動が終わり始めるまでにはまだ少しだけ早くて、藤場の学生服は疎らにしか歩いていない。

 慧真の朗らかな笑顔。今日の何もなくて賑やかな放課後に、満足しているように見える。

 結局、私は「うん」としか言えなくて、

 結局、私は何もできなかった。

「慧真、今日は楽しかった?」

 三人の足が駅への二歩目を踏み出す前に、なんとか絞り出した質問は、

「もちろんだよー」

 私の知っている通りの慧真が、ただの何でもない会話にしてしまった。

 そのまま、心なしか口数の増えた北沢さんと一緒に駅まで歩き、改札を抜けて、普段よりも人の少ないホームで電車待ちの列に並ぶ。

 昨日までは、藤場の制服に紛れながら、慧真と二人で電車を待っていた。

 普段、私が乗り換えのために降りる駅は慧真の自宅の最寄り駅で、だから私と慧真は毎朝そこで待ち合わせて、学校が終わると毎日そこまで一緒に帰っているのだった。

 話してみると、方向は違うものの北沢さんも乗り換えに同じ駅を使っているらしく、つまり少なくとも今日は、慧真と二人になる機会がもうないのだということになる。

 明日からはどうなるのだろう。

 ああ、どうしよう。

 北沢さんは何も悪くはないけれど、北沢さんの存在は完全に余計だった。初めから慧真と二人きりになることを選択しなかった私の落ち度でしかないけれど、北沢さんさえ電車通学じゃなければ、と苦々しく思ってしまう卑しくて醜い自分は確実に優等生の顔の裏にべっとりと貼り付いている。

 こうして自分の内側を自覚してみれば、私は主人公の隣にいるのには心が汚すぎるのかも知れない。私みたいなキャラが慧真のことを助けられるだなんて、そんなのは思い上がりだったのかも知れない。

 こんな風に、自分の至らなさ加減を何の罪もない北沢さんに責任転嫁してしまうだなんて、そんなのは主人公サイドの登場人物がするようなことじゃない。序盤で裏切るやつだ。

 電車がやって来て、普段なら知らない誰かで埋まってしまう座席に三人並んで座り、そして慧真は私と二人でいるときみたいに、北沢さんも交えて他愛もない、少しばかげた話をし始めた。

 先生について。勉強について。男子について。大人しいながらも反応をしてくれる相手が増えた慧真の笑顔は、北沢さんに向けられる慧真の笑顔は、私と二人でいるときのものと比べても遜色がないように見えて。

 私は壊れそうで。

 慧真のことを心配しなくちゃいけない自分が。慧真を救いたい自分が。北沢さんに嫉妬する自分が。自分を否定する自分が。私を引っ張って。あちこちに引っ張り合って。だから私は壊れそうで。

 大好きな、大切な慧真の話す内容が、ほとんど頭に入って来ない。放課後になってから、思えばずっとそうだった。タイムリミットが近づいて、焦りで自分の嫌なところが見えやすくなるその前から、私は、そういえばずっと上の空だった。

 あっという間にアナウンスが到着を告げて、減速し始める車内ではせっかちな慧真が立ち上がる。

「今日は、ありがとう」

 私と北沢さんの見上げる前で、小さな背中がそう言った。

 ああ、

 ここまでだ。

 電車が停まった後、散々喋り倒した私たちの解散はあまりにも呆気ないものだった。また明日、と慧真が言って、それでおしまい。北沢さんと一緒に乗り換えの電車を待つことになる私には、一人で改札に向かう慧真を追う理由がない。

「神崎さん、今日はありがとう」

「何が?」

 取り残されて、最初に口を開いたのは北沢さんだった。

 慧真と同じ、だけど理由の分からない感謝に対する私の反応は、もしかすると不機嫌そうに聞こえるのかも知れなかった。それでも北沢さんの少し緊張したような笑顔は崩れなくて、ほっとする。

「ほら、ええと、今まで話したことなかったのに遊びに行くメンバーに誘ってくれたし」

「慧真に言いなよ、そんなこと」

「ああ――だけど、えっと、ね」

 一瞬怯んだように見えた顔が、またすぐに笑顔に戻る。緊張の色が増したようだった。

「私、ちょっと今日、多分、人見知りしてて。もし勘違いだったら忘れてほしいんだけど、神崎さんがそれを気遣って、いろいろ話振ってくれたように感じたから。だから――」

 ありがとう。そう言って、北沢さんは何度か視線を迷わせた後、俯いた。私のカバンにたった一つ付けられた、小さなキーホルダーを見ているんだと思った。

 笑ってしまう。思わず、短く声が漏れてしまう。この子、こんな子だったんだ。

「なんだ、ばれてたんだ。だけど私も北沢さんが人見知りしてるの気づいてたから。引き分けだね」

「べつに隠してたわけじゃ――」

「本当? 人見知りしてるっていうよりも、ただ澄ましてるだけ、っていうふうに見えてたけど」

「ああ、それ、他の子にも似たようなこと言われた」

 北沢さんの小さな笑い声と私の控えめな笑い声は、割り込んできたアナウンスが喋り終わる頃には静まり返り、電車待ちの列が曖昧になったホームには普段通りの冷たい私と、澄ました北沢さんとが向き合っていた。

 それもなんだか可笑しくて、私は冷徹な私のまま、わざとらしく、お行儀よくお澄ましさんに向かい合う。伏せられ慣れた目に、小さく緊張の色が光ったのが分かる。

「私、電車反対側だから。また明日だね」

 「あぁ、うん」肩透かしを食らったような返事。

「明日からは人見知りしないでね。もう友達だから。ね、柑菜」

 私が笑顔を作ってみせるのと、北沢さんが――柑菜が目を白黒させるのと、どっちが先だったのかは、なんだかよく分からない。

 きっと、同時だったんだろう。

 柑菜を乗せた電車が動き出すと、今度は私の待っていた電車の到着が近いことをアナウンスが告げる。

 早足でホームを出て、駆け足で改札に向かった。

 こうすれば良いという打算が初めからあったのかも知れない。初めから、こうするつもりだったのかも知れない。

 いや、「かも知れない」なんていうのは嘘だ。そういう考えは初めからあったんだ。解散して皆がいなくなった後に慧真を追えば、ちゃんと私のしたい話ができるんじゃないか、という考えは。

 だけどそれは他の皆に対してなんだかずるいような気がするし、そんなずるい私は、慧真の思う私とは違うような気がして――だから、無いものとしていたんだ。


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