scene2 激変の裏
なんだか照れ臭いので、校内ではあまり慧真と話すことはない。
クラスの違う彼女にあまりべたべたとくっついて行くのも私のキャラじゃない気がするし、お互いに、クラス内での話し相手が少ないというわけでもないらしい。
だいたい、そんなことをしなくても放課後になれば慧真のほうから一緒に部活へ行こうと毎日誘いに来るわけで、私はそれをいかにもクールという感じで待っているだけで良いのである。
だから、放課後になるこの瞬間は自然と気持ちが浮ついてしまう。若はげの担任がそそくさとホームルームを終えると、私は頬杖をつくみたいにして頬骨の辺りを押さえつけた。表情筋を押さえつけてやれば、にやけ顔になるのを防ぐことができるような気がするからだ。
「神崎さん、カノジョ来てるよ」
後ろの席から、茶化すような声。振り返ると、健康的な小麦色の顔が眠たそうな上目遣いをこちらに向けている。力の抜けたような笑顔の印象的な彼女は、入学式のときから仲良くしている鈴森さん。ふわふわとした物腰の大人しい子だと思っていたこのクラスメートは、最近ではお互いに距離が縮まってきたせいか、私に対してとぼけたような、からかうような言動を見せることが多くなってきていた。
この「カノジョ」というのも鈴森さんなりの冗談で、よく教室まで私のことを迎えに来る慧真のことを指してそう呼んでいるのだ。廊下のほうへ目をやると、気づかれるのを待っていたらしい慧真が太陽みたいな笑顔を咲かせた。
「ああ、本当だ。教えてくれてありがとう」
「あれえ、ツッコミ無いんだ」
「昨日ツッコんだし」
「いつでもツッコミ待ちなんだよアタシは」
軽く失笑しながら、また明日ねと言って席を立つ。気の抜けたような声でまたねえと返す鈴森さんに軽く手を振りながら、内心ではにやけ顔を今の失笑で消化できたことを感謝した。
「じゃあ、行こうか」
廊下に出た私は軽い笑顔を浮かべながら、右側に一人分の余裕ができるように歩き出す。すると慧真がぴょこぴょことそのスペースに収まって、いつもの二人組が完成した。
部活の新入生挨拶の日から慧真とこういう――鈴森さんにカノジョと揶揄されるほどの――関係になるまでには、あまり時間はかからなかった。なにしろ、その次に部室へ向かうときには既に、慧真と私はこうやって並んで歩いていたのだから。
先に近づいてきたのは、なんと慧真のほうだった。今日とほとんど同じような感じで、彼女は教室の前にまでやってきたのである。今後どうやって仲良くなっていこうかと思案していた私にとっては渡りに船どころの騒ぎではなく、あまりの都合の良さに、自分の頬をつねらずにはいられなかった。あの時は確か、頬に掛かった髪を除けるふりをしたんだっけ。
私が席を立ったのと、慧真が大げさに手を振ったのと、果たしてどっちが先だったのかは覚えていないし、その時にだってよく分かっていなかったような気がする。慧真は私と目が合ったから手を振ったのだろうし、私は彼女の姿を見とめた途端、突然のことに舞い上がって思わず立ち上がってしまったのだ。何でもない風な表情を決壊させまいと水面すら揺らさないような静かさで近づいていくと、慧真は完熟の林檎みたいな笑顔で私を見上げながら、よかったあと無邪気に言うのだった。
どうやらあの日、方向音痴な慧真は部室まで同行してくれる相手を探していたようで、その相手として私を選んでくれたらしいのだった。どうしてわざわざ私の所まで来たのかといえば、彼女と同じクラスに演劇部員がおらず、何よりも新入生挨拶のときに、しっかりしていそうな人物として私のことをよく覚えていてくれたというのだ。
それを聞いたとき、私は表情が決壊したので顔を背けた。
それ以来、私たちはいつも一緒に部室へ向かっている。彼女がどれほど方向音痴だとしてもさすがに部室までの行きかたぐらいは覚わっているのだろうに、それでも慧真はいつも私のことを迎えに来る。
「わかちょんさあー、部活、楽しい?」
二階まで降りたところで、慧真が低いトーンでそう切り出した。その声音は、もしかすると他の誰かが聞いてもほんの少しだけ退屈そう、という程度にしか聞こえないのかも知れない。いや、この私にだって、そういう風にしか聞こえなかったのかも知れない。
それなのにその声は、私の胸を激しく、急激に締めつけた。何が起こったのか分からなかった。藪に潜んでいた蛇に鼠が捕らえられてしまったみたいな、突然で絶望的な締めつけだった。
「楽しいよ。慧真見てると飽きないし」
本心だった。本心だったけど、クールで皮肉屋な私はからかうみたいに言った。慧真が私の脚本で主役を演じてくれる日が近づいているように感じるからこそ、彼女と一緒の発声練習は楽しかったし、いつか慧真に使ってもらうための小道具を自分の手で作りたいと思うからこそ、終わりの見えない小道具作りには張り合いがあったのだ。
「慧真は楽しくないの? いつも、すごい笑顔でやってるじゃん」
慧真はちょっとだけ考えるように虚空を見上げた後、楽しいよお、と控えめに笑った。初めて見る表情に、胸が高鳴る。すごくすごく最低だけど、なんだかドラマチックな気がしてしまう。友達の暗い顔は、主人公になりたい私が心のどこかで求めていたもののような気がする。
だけど、だめだ。こんなのだめだ。こんなの苦しいだけだ。
胸が高鳴る。
これはときめきなんかじゃない。不安なだけだ。
「変なこと言うけどさ」
小さな上履きが音もなく立ち止まる。いつも変なこと言ってるじゃん、といつもならそう返すのであろう私は、慧真の三歩先で遅れて立ち止まる。一階に降りたところだった。
「わかちょん、あたしが部活出なかったら楽しくない?」
「何かあったの?」
性急な質問に、崩れかけの笑顔が目を逸らす。
「あのね、あたし今日、部活休もうかなあって。顧問の先生にさ、そう――」
「サボろっか、一緒に」
私らしくない発言。
私は、悪戯っぽく笑ってみせた。すると慧真は目を丸くして、そしていつもみたいな笑顔になって、
胸が高鳴る。
なんだこれなんだこれ。すごいぞ。
こんな漫画みたいな展開、すごいぞ。
「わかちょん真面目なのに、だめだよサボったら」
「何か用事があるわけじゃないんだよね」
慧真が困りながらも小さく頷いたので、何か食べに行こうよとすかさず提案した。
「じゃあさ、ベイバンの新メニューがちょっと気になってるんだけど――」
「良いね。他にも誰か誘ってみる?」
慧真と二人きりでも良かったんだけど、いや、むしろ二人きりの方が良かったんだけど、思わずそう口にした。
二人きりで行くのが照れくさいから、そう言ったんだと思った。
もしくは、珍しく遠慮している慧真の背中を押したくて、そう言ったのかも知れない。
問題を抱えているらしい慧真とたった一人で向き合うのが不安だったからだなんて、そんな理由は、陰気な自分が後から思いついた見当違いなこじつけであるのに違いないのだ。




