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アンリアルロジック  作者: どめし
第三話『モノシズカクエスト』
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scene2 グラッシーエンカウント

 はっきりと名前を呼ばれたのは、駅に入る直前だった。

 各務原さんたちにしては控えめな声。

 ああ、あの子だ。一度しか会ったことのないショートボブが、とても自然に、頭の中に浮かんだ。

 彼女の声なんていまいち覚えてはいなかったけれど、その弱々しさは、なんだか強く印象に残っていた。

 立ち止まって、振り向いて、見当たらなくて、少し見渡して、気のせいだったかと思いかけたとき、もう一度北沢さん、と彼女は言った。

 眼鏡をかけた孤独な同級生が、他の同じ制服たちに紛れることもなく、今まさに通り過ぎたばかりの券売機の前に立っていた。

 駅前の、ともすれば眩しく感じてしまうほどの世界の中で、彼女だけは外側にいるみたいだった。駅前の煌々とした灯りが夕陽もほとんど沈みかけた薄暗い世界をどこかへ押し退けてしまうように、彼女の儚げな姿は、光の中から今にも追い出されてしまいそう。

「ああ、久しぶり。ええっと……」

 つい、思い出すふりをしてしまう。

 すぐに名前を呼ぶのは、なんだか悔しかった。

 私が名前を呼ぶより先に、篠山さんは静かに駆け寄ってきて、息を詰まらせたような声で何かを言った。

 このまえはーー。

 そう言った気がした。

 ごめんなさい。

 小さな口が、続けてそう動いた。

 それは私の願望なのかも知れなくて、でも、私は気にしないでと心にもないことを言った。レンズ越しの上目遣いが安心したような顔をしたので、それで正解だったんだと思うことにする。

「でも、あの日どうしたの? ぜんぜん来ないから心配したよ」

「急に風邪引いて、学校休んじゃって、北沢さんに知らせないとって思ったんだけど、連絡先知らなくて」

 なんだ。そんな理由だったんだ。

 なんでもないふうを装いながら、内心でほっとする。

 悪い子には見えないし、考えてみればそんな理由ぐらいしかなかったような気もする。

 それなのに、なんとなくーー私は、裏切られたように感じていたのだ。

「すぐに謝ろうと思ったんだけど、なかなか、えっと、あのーー」

 見ているこっちが不安になるほど、おろおろと視線を迷わせた後、

「友達と、楽しそうにしてたから、なんだか声かけられなくて……」

 篠山さんは目を伏せた。

 言っていて、情けないんだろうなと思った。

 その気持ちは、分かる。私もそうだから。

 友達といるところに声をかけられないのは、遠慮してしまうからじゃない。輪に入ることができるか、不安なんだ。

 自分がその子にとってどれくらいの存在であるのか、自信がないんだ。

 勇気を出した結果、拒絶されるのが怖いんだ。それを私は、遠慮しているんだということにしていたんだ。

「気にしないで」

 心から。

「私も、そうだから。分かるから」

 夕日も落ちた後の、異世界みたいな駅前の明かりの中で。

 篠山さんはあの日みたいに、薄明かりのような笑顔を見せた。


「変わったんだよね、世界」

 ホームまで一緒に歩く中、ひそひそ声で尋ねられた。

 こちらも声を潜ませてうんと頷く。

 そういえば、篠山さんに深澤先生を紹介されたのが全ての始まりなのである。

 なんとなくーーすごく、昔のことみたい。

「友達できたみたいで、本当、よかった」

「篠山さんも、できたんだよね」

 私みたいに世界が変わったのならば、当然そうなっているはずだ。

 今、俯き加減で歩く横顔はいかにも孤独な少女のものだけど、きっと私の知らないところでは、誰かと仲良くしているのだろう。

 そうであって欲しいと思う。

 篠山さんは何も答えずに、ただ、笑顔を作った。

 喉の奥が、きゅっと締まるような気がした。

 もしかしたら篠山さんの願いは、あの日、私と昼休みを一緒にしたことで終わってしまっているのではないか。下りの電車が近いことを告げるアナウンスの中で、そんな残酷な想像がぞわぞわと蠢きだす。

 なんて悲しいんだろう、この子は。

 私はもう、あの空き教室から飛び出したというのに。

「私、こっちだから」

 すうっと、影が溶けるみたいに、ショートボブの少女は下りの電車を待つ列に混ざっていく。

 まだ少ししか話していないのにーー篠山さんは、それで良いのだろうか。

 私なら、良くない。

「あのさ、篠山さん」

 眼鏡の奥で、黒目がちの奥二重がはっきりと私を見る。

 名前を呼ばれた仔犬みたいな、期待に満ちた警戒心のない……そんな目。

「友達に、ならない?」

 勇気はいらなかった。

 それはきっと、相手が篠山さんだから。

 小柄な少女は空き教室の逆光の中でしたみたいに微笑んで、「ありがとう」と短い髪を揺らした。

 胸の奥が、くすぐったい。

 存在していることすら忘れていた心の隙間に、程よく暖かい何かが満たされていくように感じる。

「北沢さん、あのね」

 篠山さんが楽しそうに声を張ったのは、到着した電車に彼女が乗り込んだときだった。

 疎らな立ち席の乗客に紛れながら、私の抱いていた印象よりもいくらか明るい笑顔で、彼女は篠山さんらしくない、大きな声で私を呼んだのだった。


「世界は、これから、もっと変わるよ」


 楽しそうで、嬉しそうで、意地悪で、馬鹿にするようで、優しい。

 そんな、まるで別人みたいな笑顔がドアの向こうに隠れてしまって、取り残された私は足元に穴が開いたような気分になる。


 なんだったんだろう。


 今の言葉は。

 今起きたことは。

 今までの篠山さんは。


 確かめる術はない。


 だって、また、連絡先を聞いてないんだから。

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