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第7話「鉄道少女と、午前2時17分の密室」

第7話 鉄道少女と午前2時17分の密室


――2013年11月16日 午後3時40分

日本国・東京都台東区 上野駅13番線ホーム


 11月の東京には、冬の気配が近づいていた。

 上野駅の地平ホームには、発車を待つ乗客たちの声が響いている。

 旅行鞄を引く夫婦、カメラを構える鉄道愛好家、そして両親に手を引かれながら列車を見上げる子供たち。

 その視線の先には、銀色の長い車体が横たわっていた。

 寝台特急「カシオペア」。

 上野と札幌を結ぶ、日本を代表する豪華寝台列車である。

 1999年に運行を開始したこの列車には、専用に設計されたE26系客車が使用されていた。銀色の車体には色鮮やかな細い帯が描かれ、ホームの照明を柔らかく反射している。

 編成には食堂車やラウンジカーが連結され、すべての寝台が個室となっていた。

 上野から東北地方を北上し、青函トンネルを抜けて北海道へ。

 翌朝には、東京とは異なる北の大地が待っている。

 そんな特別な旅を楽しみにしている人々の中に、1人の少女が立っていた。

 年齢は16歳。

 肩にかからない程度の黒髪を整え、落ち着いた黒い瞳をしている。濃紺のコートの下には白いブラウスを着ており、首元には赤いリボンが結ばれていた。

 右手には小さな手帳。左手には、折り畳まれた鉄道時刻表。

 彼女の名前は、十河雪乃。

 時空迷宮事件調査室、通称CLIBの日本支部に所属する少女探偵である。

「……なかなか立派な列車ですね」

 雪乃は銀色の車体を見上げ、小さく呟いた。

「雪乃さん。お待たせしました」

 背後から声がした。

 振り返ると、眼鏡をかけた女性が歩いてきた。20代後半ほどの女性で、灰色のコートを着ている。

 CLIB日本支部の連絡担当職員、佐伯美咲だった。

「乗車手続きは済みましたか?」

「はい。問題ありません」

 雪乃は答えた。

「ただ、少し気になることがあります」

「何でしょう?」

「今回の調査対象者です」

 雪乃は手帳を開いた。

 そこには、1人の男性の名前が記されていた。

『高宮俊一 54歳』

『職業:鉄道史研究家』

『乗車列車:寝台特急カシオペア』

 佐伯は頷いた。

「本部から送られてきた資料ですね」

「はい。高宮さんについて、通常の歴史記録と今回の並行世界の記録に不一致が確認されています」

「どのような?」

「2013年11月17日付の記録です」

 雪乃は1枚の紙を取り出した。

 そこには、新聞記事の写しがあった。

『寝台特急カシオペア車内で男性死亡』

『施錠された個室で発見』

 佐伯は眉をひそめた。

「……殺人事件ですか」

「その可能性が高いそうです。ただし、こちらの世界で実際に何が起こるのかは、まだ分かりません」

 CLIBの調査対象には、通常の歴史とは異なる経過をたどった並行世界も含まれている。

 今回の任務は、記録に不一致が確認された世界で、事件の発生状況を調べることだった。

 しかし、未来の情報を利用して犯人を特定することは禁じられている。また、歴史を大きく改変する行為も認められていない。

「何か危険な兆候があれば、可能な範囲で対応します。ただ、記録だけを根拠に誰かを犯人扱いするわけにはいきません」

 雪乃は静かに言った。

「ええ。くれぐれも無理をしないでください」

「分かっています」

 雪乃は時刻表を閉じた。

「それでは、行ってきます」

 佐伯は微笑んだ。

「お気をつけて」

 雪乃は軽く頭を下げ、カシオペアへ乗り込んだ。

 この時、彼女はまだ知らなかった。

 自分がこれから調査する事件が、単なる列車内の殺人事件では終わらないことを。


――同日 午後4時05分

寝台特急「カシオペア」車内


 雪乃は指定された個室へ入った。

 室内には向かい合わせのソファが置かれていた。大きな窓、木目調の内装、小さなテーブル。そして、室内設備を操作するためのスイッチ類。

 夜になるとソファを寝台へ転換する構造になっている。

「……なるほど」

 雪乃は室内を見渡した。

 カシオペアの客室には、通常の寝台車とは異なる特徴がある。

 個室ごとに扉が設けられ、乗客は周囲から独立した空間で過ごすことができる。しかし、それは同時に、室内の様子を外部から確認しにくいことも意味していた。

 雪乃は扉を閉め、施錠装置を確認した。

「……完全な密室というわけではありませんね」

 扉には乗客が利用する施錠機構があり、乗務員側にも非常時の対応手段が用意されている。

 つまり、単純に鍵がかかっていたというだけでは、誰も出入りできなかったことの証明にはならない。

 雪乃は手帳に記録した。

『客室の施錠状態と、実際の出入り可能性は区別する必要あり』

 そして、窓の外を見た。

 ホームでは乗客たちが最後の記念撮影をしている。

 発車まで、あと15分ほど。

 その時、廊下から男性たちの話し声が聞こえてきた。

「……だから、あの資料は公表すべきではないと言っているんです」

「君には関係のないことだ」

 低い声が答えた。

 雪乃は顔を上げた。

 扉の外を、2人の男性が通り過ぎていく。

 1人は灰色のコートを着た中年男性。もう1人は、茶色の上着を着た若い男性だった。

 雪乃は静かに扉を開けた。

 2人は廊下の奥へ歩いていくところだった。

「……後悔することになりますよ」

 若い男性が言った。

 中年男性は振り返らなかった。

「脅しのつもりかね?」

「違います。警告です」

 その言葉を最後に、2人は別々の方向へ歩いていった。

 雪乃はしばらく廊下を見つめた。

「……資料?」

 彼女は手帳を開いた。

 中年男性の顔には見覚えがあった。

 CLIBから渡された調査対象者の写真。

 鉄道史研究家、高宮俊一。

「……早速、気になることができましたね」

 雪乃は小さく呟いた。


――同日 午後4時20分

JR上野駅13番線ホーム


 発車ベルが鳴り響いた。

 ホームでは駅員が安全を確認している。

 やがて、機関車がゆっくりと動き始めた。

 銀色の客車が、静かにホームを離れていく。

 カメラを構えた人々が手を振り、窓際に立つ乗客たちもそれに応える。

 上野駅の構内を抜けると、列車は夕暮れの東京を北へ向かって走り始めた。

 雪乃は窓の外を見つめた。

 次々と後方へ流れていく建物。線路沿いの住宅。遠ざかっていく都会の風景。

「……長い旅になりそうですね」

 彼女は小さく呟いた。

 そして、時刻表を開いた。

 上野、大宮、宇都宮、郡山、福島、仙台、一ノ関、盛岡。

 その先は青森県へ入り、津軽海峡を越えて北海道へ向かう。

 雪乃は運行経路を指でなぞった。

 この列車の旅は、単なる移動ではない。

 夜の東北地方を走り抜け、青函トンネルを通過し、北海道の大地へ至る。

 しかし、彼女が注目していたのは景色ではなかった。

 列車の運行時刻。

 停車駅。

 乗務員の交代。

 そして、乗客が車内を移動できる時間帯。

 鉄道を舞台とした事件では、これらの情報が重要になる。

「……時間は、嘘をつきません」

 雪乃は呟いた。

「ただし、人間は時間について嘘をつくことがあります」

 そう言って、彼女は時刻表を閉じた。


――同日 午後7時25分

寝台特急「カシオペア」食堂車


 列車はすでに東北地方へ入っていた。

 窓の外には、暗い田園風景が広がっている。遠くの住宅から漏れる明かりが、時折、闇の中に浮かび上がった。

 食堂車では夕食の時間を迎えていた。

 白いテーブルクロス。磨き上げられた食器。暖かな照明。そして、ゆっくりと流れていく夜の景色。

 乗客たちは料理を楽しみながら、思い思いに会話を交わしていた。

 雪乃は窓際の席に座っていた。

 目の前には、温かい料理が並んでいる。

 しかし、彼女の視線は別のテーブルへ向けられていた。

 そこには、高宮俊一が座っていた。

 向かい側には、先ほど廊下で口論していた若い男性がいる。

「……もう一度、考え直してください」

 若い男性が言った。

 高宮はナイフとフォークを置いた。

「君は、まだその話をするのか」

「重要なことです」

「私の研究資料だ。どう扱うかは私が決める」

 高宮は冷たく答えた。

 若い男性は唇を噛んだ。

「……あの資料が公表されたら、困る人がいるんです」

「それは、私の知ったことではない」

 高宮は答えた。

 雪乃は何気ない様子で水を一口飲んだ。

 会話の内容をすべて聞き取れたわけではない。しかし、2人の間に深刻な対立があることは明らかだった。

 その時、若い男性が立ち上がった。

「……失礼します」

 彼は頭を下げ、食堂車を出ていった。

 高宮は小さく溜息をついた。

 そして、鞄から1枚の古い紙を取り出した。

 雪乃は目を細めた。

 それは、古い鉄道時刻表のようだった。

 高宮はしばらく紙を見つめた後、再び鞄へ戻した。

「……なるほど」

 雪乃は小さく呟いた。

 その時だった。

「お隣、よろしいですか?」

 女性の声がした。

 雪乃が顔を上げると、30代ほどの女性が立っていた。上品な服装をした、落ち着いた雰囲気の女性だった。

「ええ。どうぞ」

 雪乃は答えた。

 女性は微笑んだ。

「ありがとうございます」

 彼女は席に腰掛けた。

「お1人でご旅行ですか?」

「はい」

「北海道へ?」

「ええ。少し調べ物がありまして」

 雪乃は答えた。

 女性は興味深そうに微笑んだ。

「お若いのに、しっかりしていらっしゃるのね」

「ありがとうございます」

 雪乃は軽く頭を下げた。

「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「私?」

 女性は微笑んだ。

「水城香織と申します」

「十河雪乃です」

「雪乃さん。素敵なお名前ね」

 水城はそう言って、窓の外を見た。

「私、こういう夜行列車が好きなの」

「そうなのですか?」

「ええ。飛行機なら数時間で着いてしまう場所へ、わざわざ一晩かけて向かうでしょう?」

 水城は微笑んだ。

「時間を贅沢に使っているような気がするのよ」

 雪乃は頷いた。

「確かに、そうですね」

 しばらくして、水城が小さく呟いた。

「……でも、今夜は少し落ち着かないわ」

 雪乃は顔を上げた。

「何かあったのですか?」

 水城は少し迷った。

「……知り合いが乗っているの」

「知り合い?」

「ええ」

 彼女は食堂車の奥を見た。

 そこには、高宮俊一が座っていた。

 雪乃は静かに尋ねた。

「高宮さんですか?」

 水城の表情が変わった。

「……ご存じなの?」

「有名な研究者ですから」

 雪乃は答えた。

 水城はしばらく黙っていた。

 そして、小さく呟いた。

「……あの人は、知らなくてもいいことまで調べてしまうのよ」

 雪乃は、その言葉を聞き逃さなかった。


――同日 午後10時40分

寝台特急「カシオペア」車内


 列車は夜の東北地方を北上していた。

 車内の照明は落とされ、廊下には静かな空気が漂っている。

 個室の多くでは、乗客たちがすでに眠りについていた。

 雪乃は自室のテーブルに手帳を広げていた。

 そこには、これまでに確認した人物の名前が並んでいた。

『高宮俊一 54歳 鉄道史研究家』

『水城香織 34歳 高宮の知人』

『若い男性 氏名未確認 高宮と口論』

 雪乃はペンを置いた。

「……少なくとも、2人は高宮さんと何らかの関係がありますね」

 しかし、関係があることと、犯罪に関わっていることは別問題だった。

 雪乃は時計を確認した。

 午後10時42分。

 彼女は立ち上がり、廊下へ出た。

 食堂車の営業はすでに終了している。

 乗客たちの話し声も、ほとんど聞こえなくなっていた。

 窓の外には、真っ暗な東北地方の夜が広がっている。

 その時、廊下の奥で扉が閉まる音がした。

 雪乃は足を止めた。

 1人の男性が、客室から出てくるところだった。

 先ほど高宮と口論していた若い男性である。

 彼は雪乃の姿に気づくと、一瞬だけ立ち止まった。

「……こんばんは」

 雪乃が声をかけた。

「……ああ、こんばんは」

 男性は短く答えた。

 そして、足早に廊下を歩いていった。

 雪乃は、その後ろ姿を見つめた。

「……何かを隠しているのでしょうか」

 しかし、今はまだ判断できない。

 雪乃は自室へ戻った。

 その数時間後。

 カシオペアの車内で、取り返しのつかない事件が発生することになる。


――2013年11月17日 午前2時17分

青森県内・寝台特急「カシオペア」


 列車は深夜の青森県内を走っていた。

 車内は静まり返っている。

 多くの乗客は眠りについており、窓の外には暗い森とわずかな街灯が流れていた。

 その時。

 ある寝台個室の中で、金属が床に落ちるような小さな音が響いた。

 続いて、何かが倒れる音。

 しかし、その音は列車の走行音にかき消された。

 廊下には誰もいない。

 数秒後。

 客室の扉付近で、かすかな物音がした。

 そして、再び静寂が戻った。

 午前2時17分。

 この時刻が、後に事件の重要な手がかりとなる。


――同日 午前5時40分

青森県内・寝台特急「カシオペア」


「……お客様?」

 乗務員の女性が、客室の扉をノックした。

 返事はなかった。

「高宮様。失礼いたします」

 もう一度ノックする。

 しかし、室内からは何の反応もない。

 女性は不安そうに時計を確認した。

 高宮俊一は、早朝に乗務員へ相談したいことがあると伝えていた。しかし、指定された時刻になっても姿を現さなかったため、様子を見に来たのである。

 女性は扉の取っ手を確認した。

 鍵がかかっている。

「……高宮様?」

 返事はない。

 女性は近くにいた別の乗務員を呼んだ。

「どうしました?」

「こちらのお客様が、何度お呼びしても返事をなさらないんです」

 男性乗務員は扉を確認した。

「……分かりました。責任者へ連絡します」

 数分後。

 乗務員たちは所定の手順で客室の扉を開いた。

 そして。

「……っ!」

 女性乗務員が息を呑んだ。

 室内では、1人の男性が床に倒れていた。

 高宮俊一。

 54歳。

 鉄道史研究家。

 彼の胸元には、赤黒い血が広がっていた。

 男性乗務員はすぐに駆け寄った。

「お客様! 聞こえますか!」

 しかし、返事はなかった。

 女性乗務員は震える手で連絡装置を取った。

「……大変です!」

 声が上ずる。

「お客様が……!」

 彼女は一度、息を呑んだ。

「……お客様が、血を流して倒れています!」

 こうして、豪華寝台特急の車内で、殺人事件が発覚した。


――同日 午前6時05分

寝台特急「カシオペア」車内


 事件発覚後、車内には緊張が広がっていた。

 乗務員たちは関係機関への連絡を進め、乗客には必要以上の混乱を招かないよう説明が行われていた。

 雪乃は自室の扉を開けた。

 廊下では、乗務員が慌ただしく行き来している。

「……何かあったのですか?」

 彼女が尋ねた。

 女性乗務員は少し迷った。

「……お客様の1人が、倒れていらっしゃいまして」

 雪乃の表情が変わった。

「どちらのお客様ですか?」

「申し訳ありません。詳しいことは……」

 その時、別の乗務員が声をかけた。

「高宮様の客室について、確認をお願いします」

 雪乃は目を細めた。

「……高宮さん」

 彼女は小さく呟いた。

 予想していた事態が、現実になった。

 しかし、雪乃はすぐに自分を戒めた。

 事前に得た記録は、あくまで調査を始めるきっかけにすぎない。

 事件の真相は、この世界に残された証拠から解明しなければならない。

 雪乃は自室へ戻り、小さな通信端末を取り出した。

 外見は普通の携帯電話に似ている。しかし、それはCLIB専用の時空通信装置だった。

 雪乃は暗号化された通信を開始した。

「……こちら、十河雪乃」

 数秒後、女性の声が聞こえた。

『日本支部です。雪乃さん、状況を報告してください』

「調査対象の高宮俊一氏が、車内で死亡した可能性があります」

『……確認しました』

「事件現場は寝台個室。現時点では、詳しい状況は不明です」

『警察との連携は?』

「これからです。現場の保全を優先していただく必要があります」

『承知しました』

 雪乃は少し考えた。

「……それと、追加の調査員をお願いできますか?」

『追加調査員ですか?』

「はい。今回の事件には、密室の構造を詳しく検証できる人物が必要です」

『候補はいますか?』

「英国本部のエレノア・アシュフォードさんです」

 通信の向こうで、少し沈黙があった。

『……あの少女探偵ですね』

「はい。それから、ソフィア・ベネットさんにも来ていただきたいです」

『理由を伺っても?』

「乗客や乗務員への聞き込みが重要になるからです」

 雪乃は静かに続けた。

「私は日本側の捜査を担当します。2人には、協力調査員として参加していただきたいのです」

『分かりました。英国本部へ要請します』

「お願いします」

 通信が終了した。

 雪乃は端末を閉じた。

 そして、窓の外を見た。

 夜が明け始めていた。

 薄い青色の空。

 雪の気配を感じさせる冷たい景色。

 その中を、カシオペアは走っていた。

「……必ず、真相を明らかにします」

 雪乃は小さく呟いた。


――同日 午前8時30分

青森県内・臨時停車中の寝台特急「カシオペア」


 事件の発覚を受け、列車は関係機関の指示により、青森県内の駅に臨時停車していた。

 ホームには警察官と鉄道関係者が集まっている。

 車内では、乗客への事情聴取が始まろうとしていた。

 雪乃は現地の警察官に身分証明書を提示した。

「……十河雪乃さん?」

 警察官は少し驚いた。

「ずいぶん若いですね」

「はい。ですが、今回の件については、調査協力の許可をいただいています」

 警察官は書類を確認した。

 そこには、CLIB日本支部が用意した公的な協力機関としての身分情報が記されていた。

 CLIBの本来の活動は秘匿されているため、現地では特殊事件に関する調査協力者という扱いになっていた。

「……分かりました。ただし、現場での活動は我々の指示に従ってください」

「もちろんです」

 雪乃は答えた。

 その時、背後から男性の声がした。

「君が、十河雪乃さんかね?」

 振り返ると、50代ほどの男性が立っていた。

 黒いコートを着た、厳格そうな人物だった。

「はい。十河雪乃です」

 雪乃は一礼した。

「私は、青森県警の三上修一警部だ」

 男性は答えた。

「今回の事件について、君たちの組織から連絡を受けている」

「よろしくお願いいたします」

 雪乃は丁寧に頭を下げた。

 三上警部は彼女を見つめた。

「……さて、早速だが。君は、今回の事件をどう考えている?」

 雪乃は少し考えた。

「まだ、判断できません」

 三上警部は眉を上げた。

「……ほう?」

「現場を詳しく確認していませんから。ただ、1つだけ気になることがあります」

「何だね?」

「死亡推定時刻です」

 雪乃は手帳を開いた。

「もし、事件が午前2時頃に発生したのであれば、列車は青森県内を走行していたはずです」

「そうだな」

「しかし、その時間帯の列車の運行状況について、乗務員の証言に食い違いがあるようです」

 三上警部の表情が変わった。

「……どういうことだ?」

「ある乗務員は、列車が一時的に停車していたと話しています」

「停車?」

「はい。ですが、別の乗務員は、そのような停車はなかったと証言しています」

 三上警部は腕を組んだ。

「……運行記録を確認する必要があるな」

「ええ。そして、もう1つ」

「何だ?」

「被害者の部屋に残されていた時計です」

 三上警部は顔を上げた。

「……時計?」

「はい。午前2時17分を指したまま、止まっていたそうです」

 三上警部は少し考えた。

「……死亡時刻を示している可能性があるな」

 しかし、雪乃は首を振った。

「まだ、そうとは限りません」

「なぜだ?」

「時計が止まった時刻と、被害者が死亡した時刻が一致するとは限らないからです」

 三上警部は黙っていた。

 雪乃は続けた。

「それに、もし犯人が時計を意図的に止めたのなら……」

 彼女は時刻表を開いた。

「午前2時17分という時刻には、何か意味があるはずです」

 三上警部はしばらく彼女を見つめた。

 そして、小さく頷いた。

「……なるほど」

 雪乃は静かに答えた。

「まずは、運行記録と現場の状況を照合したいと思います」

「分かった。君の考えを聞かせてもらおう」


――2026年11月27日 午前9時15分

英国・ロンドン セント・キャサリン女学院


「……また事件?」

 ソフィア・ベネットは、驚いた表情でエレノアを見つめた。

 2人は授業の合間、学院の図書室にいた。

 エレノアは机の上に置かれた封筒を開いていた。

 差出人はCLIB英国本部。

 その中には、1枚の依頼書が入っていた。

『CLIB日本支部からの調査協力要請』

『対象事件:寝台特急カシオペア車内殺人事件』

『事件発生日:2013年11月17日』

『現地主任調査員:十河雪乃』

『協力調査員候補:エレノア・アシュフォード、ソフィア・ベネット』

 ソフィアは書類を覗き込んだ。

「……日本?」

「ええ。今回は、2013年の日本で発生した事件らしいわ」

「2013年って……今から13年前だよね?」

「そうね。それほど昔ではないわ」

 ソフィアは少し考えた。

「……でも、寝台特急って何?」

 エレノアは顔を上げた。

「夜の間に長距離を移動する列車よ」

「寝ながら移動するの?」

「そういうこと」

 エレノアは書類をめくった。

「今回の舞台は、上野から札幌へ向かう寝台特急『カシオペア』」

 ソフィアは目を輝かせた。

「……なんだか、素敵な列車だね」

「ええ。豪華な個室、食堂車、そして長い夜の旅」

 ソフィアは嬉しそうに言った。

「ちょっと乗ってみたいかも!」

「ただし、その列車で殺人事件が発生しているわ」

 ソフィアの表情が変わった。

「……そうだった」

 エレノアは書類を見つめた。

「被害者は鉄道史研究家。現場は施錠された個室。凶器は見つかっていない」

「……また密室?」

「ええ」

 エレノアは楽しそうに微笑んだ。

「どうやら、密室事件には縁があるみたいね」

 ソフィアは苦笑した。

「エレノアは嬉しそうだけど……」

「当然でしょう? 解けない謎ほど、探偵の興味を引くものはないわ」

 ソフィアは小さく溜息をついた。

 その時、エレノアは依頼書の下部に目を止めた。

「……十河雪乃」

「誰?」

「今回の主任調査員よ。日本支部に所属する、16歳の少女探偵らしいわ」

「私たちと同い年なんだ!」

「ええ。しかも、鉄道時刻表の分析を得意としているそうよ」

 ソフィアは微笑んだ。

「どんな子なんだろうね」

「さあ。でも、会えば分かるでしょう」

 エレノアは書類を閉じた。

 その時、依頼書の最後に記された一文が、彼女の目に入った。

『なお、本件には通常の歴史記録と一致しない運行記録が存在する』

 エレノアの表情が変わった。

「……なるほど」

 ソフィアが尋ねた。

「どうしたの?」

「今回の事件、単なる密室殺人ではないかもしれないわ」

「……どういうこと?」

「列車の運行記録に、説明できない違いがあるらしいの」

 エレノアは微笑んだ。

「つまり、密室の謎だけでなく、時間の謎も解かなければならない」

 ソフィアは少し不安そうに呟いた。

「……また難しそうな事件だね」

「ええ。でも、だからこそ面白いのよ」


――同日 午後1時30分

英国・ロンドン CLIB本部・国際事件調査部


 エレノアとソフィアは、CLIB本部へ到着していた。

 会議室には、大きな日本地図が表示されていた。

 東京、東北地方、青森、津軽海峡、そして北海道。

 地図の上には、赤い線が引かれていた。

 それは、寝台特急カシオペアの運行経路だった。

「今回の任務について説明します」

 女性職員が口を開いた。

「2013年11月17日、並行世界J-2013の日本で、寝台特急カシオペアの車内殺人事件が発生しました」

 エレノアは頷いた。

「資料は読みました」

「ありがとうございます」

 女性職員は続けた。

「現地では、CLIB日本支部の十河雪乃調査員が捜査を進めています」

 画面に、1人の少女の写真が表示された。

 黒髪、落ち着いた瞳、そして真面目そうな表情。

 ソフィアが呟いた。

「……しっかりしてそうな子だね」

「ええ」

 女性職員は頷いた。

「雪乃調査員は、鉄道に関する知識と捜査指揮能力に優れています」

 エレノアが尋ねた。

「私たちの役割は?」

「日本支部への調査協力です」

 女性職員は答えた。

「今回の事件では、日本支部が捜査の主体となります。お2人には、雪乃調査員の指示のもとで、現場の検証や聞き込みに参加していただきます」

 エレノアは少し考えた。

「……分かったわ」

 ソフィアも頷いた。

「私も大丈夫です」

 女性職員は微笑んだ。

「ありがとうございます」

 そして、画面を切り替えた。

 そこには、事件現場の写真が表示された。

 寝台個室。

 床に倒れた男性。

 そして、机の上に置かれた古い鉄道時刻表。

 エレノアは目を細めた。

「……この時刻表」

「何か気になりますか?」

「ええ。なぜ、被害者は古い時刻表を持っていたのかしら?」

 女性職員は頷いた。

「それについては、まだ分かっていません」

 ソフィアが尋ねた。

「事件が起きたのは、どの辺りなんですか?」

 女性職員は地図を指さした。

「青森県内です」

 エレノアは静かに頷いた。

「……なるほど」

 女性職員は続けた。

「そして、もう1つ重要なことがあります」

「何?」

「事件発生時刻と推定される午前2時17分。この時刻について、列車の運行記録に不一致が確認されています」

 エレノアの瞳が輝いた。

「……不一致?」

「はい。通常の運行記録では、その時刻に列車が停車したという記録はありません」

 ソフィアが尋ねた。

「でも、誰かが停車したって言ってるんですか?」

「ええ。一部の乗務員と乗客が、短時間の停車を証言しています」

 エレノアは腕を組んだ。

「……なるほど」

 そして、小さく微笑んだ。

「面白いわね」

 ソフィアは苦笑した。

「……やっぱりそう言うと思った」

 女性職員は続けた。

「お2人には、事件発生後の2013年11月17日へ向かっていただきます」

 エレノアは頷いた。

「つまり、事件を防ぐのではなく、すでに発生した事件を調査するのね」

「そのとおりです」

 女性職員は答えた。

「滞在期間は原則7日間。重大な歴史改変は禁止。未来の情報だけを根拠に犯人を特定することも認められません」

「承知したわ」

 エレノアは立ち上がった。

 ソフィアも続いた。

「……それじゃあ、行こうか」

「ええ」

 エレノアは微笑んだ。

「今度は、日本の探偵と一緒に謎を解くのね」


――同日 午後2時30分

英国・ロンドン CLIB本部地下時空鉄道ターミナル


 地下ホームに、低い汽笛が響いた。

 深い紺色の車体に金色の装飾を施した列車が、出発を待っていた。

 クロノス急行。

 時空迷宮事件調査室、通称CLIBが運用する時空間移動専用列車である。

 エレノア・アシュフォードは、車両の入口で立ち止まり、懐中時計を取り出した。

「……時間どおりね」

「当たり前じゃない。時間を移動する列車なんだから」

 隣に立つソフィア・ベネットが笑った。

「時間を移動できることと、定刻に発車することは別問題よ」

「はいはい」

 ソフィアは苦笑した。

 2人は客車へ乗り込んだ。

 今回の目的地は、日本。

 ただし、到着するのは2026年の日本ではない。

 2013年11月17日。

 寝台特急カシオペアで殺人事件が発生した、その日の日本だった。

 車内放送が流れる。

『クロノス急行、日本方面連絡便は、まもなく発車いたします』

『目的地は、並行世界J-2013、日本国・東京上野時空連絡駅です』

『到着予定時刻は、現地時間2013年11月17日午前10時30分です』

 ソフィアは座席に腰掛けた。

「……上野って、どんなところなの?」

「東京にある大きな鉄道駅よ。今回の事件が起きたカシオペアも、そこから出発したの」

「へえ……」

 ソフィアは窓の外を見つめた。

「じゃあ、事件の列車が出発した場所に着くんだね」

「そういうこと」

 エレノアは鞄から事件資料を取り出した。

 被害者、高宮俊一。

 54歳。

 鉄道史研究家。

 2013年11月16日に上野駅を出発した寝台特急カシオペアに乗車し、翌17日の早朝、青森県内で死亡しているのが発見された。

 現場は施錠された寝台個室。

 凶器は発見されていない。

 そして、被害者の机には午前2時17分で止まった懐中時計が残されていた。

「……また密室殺人か」

 エレノアは小さく呟いた。

「前の事件も密室だったよね」

「ええ。でも、今回も同じ仕掛けとは限らないわ」

 エレノアは資料を閉じた。

「それに、今回は鉄道が舞台よ。建物の中で起きる事件とは条件が違う」

「どう違うの?」

「犯人が自由に出入りできる場所が限られるの。列車が走っている間、外へ出ることは普通できないでしょう?」

「確かに……」

「だから、乗客と乗務員の行動を正確に調べる必要がある」

 エレノアは微笑んだ。

「そのために、鉄道に詳しい探偵が必要なのよ」

「十河雪乃さんだね」

「ええ」

 その時、列車が静かに動き始めた。

 窓の外の地下ホームが、ゆっくりと後方へ流れていく。

 やがて暗いトンネルへ入ると、景色は一変した。

 青白い光が窓の外を走り抜け、無数の星のような輝きが現れる。

 時間と世界の境界を越える、クロノス急行だけの光景だった。

「……綺麗」

 ソフィアは窓に顔を近づけた。

「何度見ても不思議だね」

「ええ」

 エレノアは答えた。

「ただし、景色に見とれている場合ではないわ」

「分かってるよ」

 ソフィアは笑った。

「日本に着いたら、すぐ捜査なんでしょう?」

「そのとおり」

 エレノアは懐中時計を閉じた。

「さて、日本の少女探偵がどんな人物なのか、楽しみね」


――2013年11月17日 午前10時30分

日本国・東京都台東区 CLIB東京上野時空連絡駅


 クロノス急行は、静かに速度を落とした。

 窓の外には、石造りの地下ホームが広がっていた。

 壁には日本語と英語の案内表示が並び、ホームの中央にはCLIBの紋章が掲げられている。

『まもなく、東京上野時空連絡駅に到着いたします』

『現地年月日は2013年11月17日、午前10時30分です』

 列車が停車した。

 エレノアとソフィアは鞄を持ち、ホームへ降りた。

「……ここが日本なんだ」

 ソフィアは周囲を見渡した。

「正確には、日本支部が管理する時空連絡駅よ」

 エレノアは答えた。

「普通の上野駅とは別の施設ね」

 その時、1人の女性が近づいてきた。

 眼鏡をかけた、20代後半ほどの女性だった。

「アシュフォード調査員、ベネット調査員ですね?」

 女性は英語で尋ねた。

「ええ」

 エレノアが頷く。

「初めまして。CLIB日本支部の佐伯美咲です」

 女性は丁寧に一礼した。

「今回の調査では、私が移動と連絡を担当いたします」

「よろしくお願いします!」

 ソフィアも頭を下げた。

 佐伯は微笑んだ。

「まずは東京支部の連絡室へご案内します。その後、青森へ移動していただく予定です」

 エレノアが尋ねた。

「十河雪乃は、もう青森にいるの?」

「はい。現地の警察と連携し、事件の初動調査を進めています」

「なるほど。では、急ぎましょう」

 佐伯は2人を地下ホームの出口へ案内した。

 長い通路を抜け、エレベーターで地上へ向かう。

 扉が開くと、そこには2013年の東京が広がっていた。

 高層ビル、行き交う自動車、大勢の通行人。

 駅前には、旅行鞄を引いた人々が歩いていた。

「……すごい!」

 ソフィアは目を輝かせた。

「ロンドンとは全然違うね!」

「そうね」

 エレノアは周囲を見渡した。

「でも、観光は事件が終わってからよ」

「分かってるってば」

 ソフィアは苦笑した。

 3人は上野駅近くのCLIB連絡室へ向かった。


――同日 午前11時15分

東京都台東区 CLIB日本支部・上野連絡室


 連絡室には、日本各地の鉄道路線図が掲げられていた。

 机の上には、事件資料と鉄道時刻表が並んでいる。

 佐伯は2人に温かいお茶を出した。

「今回の事件について、日本支部から追加の報告が届いています」

 エレノアは椅子に腰掛けた。

「聞かせて」

 佐伯は資料を開いた。

「被害者は高宮俊一。鉄道史研究家です。遺体は本日午前5時40分頃、カシオペアの寝台個室で発見されました」

 ソフィアが尋ねた。

「犯人は、まだ分かっていないんですか?」

「はい。現地警察は乗客と乗務員への事情聴取を進めていますが、容疑者を特定できていません」

 エレノアは頷いた。

「密室の構造は?」

「客室の扉は施錠されていました。ただし、乗務員による解錠手段が存在するため、完全な密室だったとは断定できません」

「賢明ね」

 エレノアは答えた。

「鍵がかかっていたという事実と、誰も出入りできなかったという推測は区別しないといけないわ」

 佐伯は次の資料を取り出した。

「そして、もう1つ重要なことがあります」

 それは、列車の運行記録だった。

「午前2時17分頃、列車が停車していたという証言があるんです」

 ソフィアが顔を上げた。

「停車?」

「はい。しかし、運行記録には該当する停車が記されていません」

 エレノアは資料を見つめた。

「……なるほど」

 佐伯は続けた。

「雪乃さんは、この食い違いを特に重要視しています」

 エレノアは小さく微笑んだ。

「私も同感よ」

「それから、現地では新しい証言が得られました」

 佐伯は1枚の書類を差し出した。

『午前2時頃、被害者の客室付近で男性を見た』

 ソフィアが呟いた。

「……誰かが部屋の近くにいたんだ」

「ええ」

 エレノアは答えた。

「でも、それだけでは犯人とは言えないわ」

 佐伯は頷いた。

「雪乃さんも、同じ判断です」

 エレノアは資料を閉じた。

「ますます会うのが楽しみになったわ」

 佐伯は微笑んだ。

「では、青森への移動準備を進めましょう」


――同日 午後1時50分

青森県青森市 CLIB日本支部・青森臨時調査室


 青森市内の古い事務所ビル。

 その2階に、CLIB日本支部の臨時調査室が設けられていた。

 室内には、寝台特急カシオペアの編成図と東北地方の鉄道路線図が掲げられている。

 机の上には、乗客名簿、運行記録、現場写真が並んでいた。

 その中央に、1人の少女が座っていた。

 十河雪乃。

 16歳。

 黒髪を肩にかからない程度に整え、落ち着いた黒い瞳を持つ少女だった。

 濃紺の上着に白いブラウス。首元には赤いリボンが結ばれている。

 彼女は鉄道時刻表を開き、何かを書き込んでいた。

「……午前2時17分」

 雪乃は小さく呟いた。

 手元には、列車の運行記録がある。

 しかし、そこに記された内容は、乗客の証言と一致していなかった。

「……おかしいですね」

 雪乃はペンを置いた。

「停車していたという証言があるのに、記録には残っていない……」

 その時、扉がノックされた。

「雪乃さん。英国本部からの協力調査員が到着しました」

 佐伯の声だった。

 雪乃は立ち上がった。

「はい。どうぞ」

 扉が開く。

 そこには、2人の外国人少女が立っていた。

 灰金色の髪と青い瞳を持つ少女。

 そして、優しそうな表情をした少女。

 雪乃は丁寧に一礼した。

「初めまして。CLIB日本支部所属、十河雪乃です」

 エレノアは一歩前へ出た。

「エレノア・アシュフォードよ」

 ソフィアも微笑んだ。

「ソフィア・ベネットです。よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 雪乃は答えた。

 エレノアは室内を見渡した。

 壁には、鉄道の編成図。

 机には時刻表。

 そして、付箋が貼られた捜査資料。

「……ずいぶん調べているのね」

 エレノアが言った。

「はい。事件発覚後、可能な範囲で情報を集めています」

 エレノアは机の上の時刻表を見た。

「あなたが今回の主任調査員ね?」

「はい。お2人には、調査に協力していただきたいと思っています」

「もちろん。そのために来たのだから」

 エレノアは微笑んだ。

 雪乃も小さく笑った。

「ありがとうございます」

 ソフィアは2人を見比べた。

「……なんだか、すぐ仲良くなれそうだね」

 エレノアは肩をすくめた。

「まだ分からないわよ」

 雪乃は少し驚いた。

 しかし、エレノアは続けた。

「でも、あなたの資料の整理方法を見る限り、仕事はしやすそうね」

 雪乃は微笑んだ。

「それは、よかったです」

 佐伯は3人を見渡した。

「それでは、私は本部との連絡を進めます。後はお願いします」

「はい」

 雪乃は頷いた。

 佐伯が部屋を出ると、雪乃は机の上に資料を広げた。

「……では、早速ですが」

 彼女は静かに口を開いた。

「今回の事件について、説明させていただきます」


――同日 午後2時10分

CLIB日本支部・青森臨時調査室


 机の上には、寝台特急カシオペアの編成図が広げられていた。

 雪乃は、事件現場となった客室を指さした。

「被害者は高宮俊一さん。54歳の鉄道史研究家です」

 エレノアは頷いた。

「資料で確認したわ」

「遺体が発見されたのは、今朝5時40分頃です。高宮さんは、施錠された寝台個室の中で死亡していました」

 ソフィアが尋ねた。

「凶器は?」

「まだ見つかっていません」

 雪乃は答えた。

「死亡推定時刻は午前2時前後。ただし、詳しい鑑定結果はまだ出ていません」

 エレノアは静かに頷いた。

「……なるほど」

 雪乃は1枚の写真を取り出した。

 銀色の懐中時計。

 その針は、午前2時17分を指していた。

「この時計が、被害者の机に残されていました」

 エレノアは写真を見つめた。

「……止まっているのね」

「はい。ただし、時計がいつ、どのような理由で止まったのかは分かっていません」

 エレノアは小さく微笑んだ。

「いい判断ね」

 雪乃は少し驚いた。

「……ありがとうございます」

「時計が止まった時刻を、そのまま死亡時刻と考えるのは危険だもの」

 雪乃は頷いた。

「私も同じ考えです」

 ソフィアは2人を見比べた。

「……やっぱり気が合ってるみたい」

 エレノアは微笑んだ。

「そうかもしれないわね」

 雪乃も小さく笑った。

 しかし、すぐに真剣な表情へ戻った。

「それから、もう1つ」

 彼女は鉄道時刻表を広げた。

「今回の事件には、奇妙な点があります」

 エレノアが尋ねた。

「何?」

 雪乃は時刻表の一部分を指さした。

「午前2時17分。この時刻、カシオペアは青森県内を走行していたはずです」

「ええ」

 エレノアは頷いた。

「ですが、乗客の1人が、列車は停車していたと証言しています」

 ソフィアが驚いた。

「停車?」

「はい。しかも、その乗客は、窓の外に駅のホームが見えたと話しているんです」

 エレノアの表情が変わった。

「……駅のホーム?」

「ええ。しかし、当時の運行記録には、そのような停車は記されていません」

 エレノアはしばらく黙っていた。

「……なるほど」

 雪乃は続けた。

「さらに、奇妙なことがあります」

「何?」

 エレノアが尋ねた。

 雪乃は別の写真を取り出した。

 そこには、古い鉄道時刻表の一部分が写っていた。

 赤いインクで、ある駅名が囲まれている。

 しかし、その駅名は現在の路線図には存在していなかった。

 ソフィアは首を傾げた。

「……この駅、どこにあるの?」

 雪乃は静かに答えた。

「それが、分からないんです」

 エレノアは写真を見つめた。

 そして、ゆっくりと微笑んだ。

「……面白いじゃない」

 雪乃は頷いた。

「はい」

 彼女は静かに続けた。

「この事件で一番不思議なのは、密室だけではありません」

 エレノアが尋ねた。

「では、何?」

 雪乃は時刻表を指さした。

「犯人が、存在しないはずの停車時間を利用した可能性があることです」

 室内に沈黙が落ちた。

 ソフィアは不安そうに呟いた。

「……そんなこと、本当にできるの?」

 エレノアは答えなかった。

 ただ、机の上に広げられた時刻表を見つめていた。

 そして、静かに言った。

「……確かめてみましょう」

 雪乃は頷いた。

「はい」

 3人の少女探偵は、互いに顔を見合わせた。

 日本支部の十河雪乃。

 英国本部のエレノア・アシュフォード。

 そして、ソフィア・ベネット。

 異なる国で育ち、異なる方法で事件を調べる3人。しかし、目指すものは同じだった。

 真実を明らかにすること。

 雪乃は時刻表を閉じた。

「それでは、捜査を始めましょう」

 エレノアは微笑んだ。

「ええ」

 ソフィアも頷いた。

「うん!」

 窓の外では、青森の冷たい風が吹いていた。

 寝台特急カシオペア。

 施錠された豪華寝台個室。

 存在しない停車駅。

 そして、午前2時17分に止まった懐中時計。

 そのすべてが、1つの真実へつながっている。

 しかし、少女たちはまだ知らなかった。

 被害者が残した古い時刻表には、列車の運行とは別の、重大な秘密が隠されていることを。

 そして、その秘密が、CLIBという組織の過去にも関係していることを。


――第7話 完

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