↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
10/18

第10話「終着駅の真実」

第10話 終着駅の真実


――2013年11月18日 午後3時10分

日本国・青森県青森市 青森県警察・臨時捜査本部


 窓の外では、冷たい風が街路樹を揺らしていた。

 11月の青森は、日が傾くにつれて急速に気温が下がる。灰色の空の下、道路を行き交う人々は厚手の上着の襟を立てていた。

 臨時捜査本部の一室では、三上修一警部が机の上に数枚の資料を並べていた。

 その向かいには、十河雪乃、エレノア・アシュフォード、ソフィア・ベネットの3人が座っている。

「田辺車掌の制服から検出された血液は、被害者の高宮俊一のものと一致した」

 三上警部が口を開いた。

「ただし、田辺は事件発覚時に遺体へ近づいている。その際に付着した可能性も否定できん」

 雪乃は頷いた。

「はい。それだけでは犯行を証明できません」

 エレノアは写真を手に取った。

 制服の右袖口。

 そこには、ごく小さな血液の付着が確認されていた。

「……三上警部。この血液は、袖のどの部分に付いていたの?」

「袖口の内側だ」

「内側?」

 エレノアは目を細めた。

「それは少し気になるわね」

 ソフィアが尋ねた。

「どうして?」

「普通に倒れた人を助けようとして触れたなら、袖の外側に血が付くことも多いでしょう?」

「確かに……」

「でも、内側なら、別の動作で付いた可能性もある」

 雪乃は静かに頷いた。

「例えば、手を伸ばした際に袖がめくれた場合ですね」

「ええ。ただし、それだけで刺した時に付いたとは言えないわ」

 三上警部は腕を組んだ。

「鑑識も同じ見解だ。付着位置だけで犯行時のものとは断定できない」

 エレノアは写真を戻した。

「なら、他の証拠と組み合わせる必要があるわね」

 雪乃は手帳を開いた。

「田辺さんの乗務記録について、確認したいことがあります」

「何だ?」

「午前1時から午前3時までの行動です」

 三上警部は資料を差し出した。

「こちらが本人の申告と、他の乗務員の証言をまとめたものだ」

 雪乃は記録を読み始めた。

 午後11時10分、車内巡回。

 午前0時05分、乗務員控室。

 午前1時20分、車内設備の確認。

 午前2時00分、控室へ戻ったと本人は申告。

 午前2時35分、別の乗務員と会話。

 雪乃はペンを止めた。

「……午前2時00分から2時35分まで、第三者による確認がありません」

 三上警部は頷いた。

「そうだ。本人は控室にいたと話している」

 エレノアが尋ねた。

「控室には、誰でも入れるの?」

「乗務員以外は原則立ち入らない」

 雪乃が答えた。

「ただし、そこにいたことを証明する記録はありません」

 ソフィアは手帳を見つめた。

「……じゃあ、その時間に高宮さんの部屋へ行くこともできたんだね」

「可能性としては、あります」

 雪乃は答えた。

 しかし、エレノアは首を振った。

「それだけでは足りないわ。田辺さん以外にも、移動できた人はいたはずよ」

 雪乃は頷いた。

「はい。だからこそ、客室の鍵について詳しく調べる必要があります」

 その時、三上警部の机の電話が鳴った。

 警部は受話器を取った。

「三上だ」

 しばらく話を聞いた後、彼は顔を上げた。

「……分かった。資料を持ってきてくれ」

 電話を切ると、3人を見た。

「鉄道会社から、客室の施錠装置について追加の報告が届いた」

 エレノアの表情が変わった。

「……ようやくね」


――同日 午後3時40分

青森県警察・臨時捜査本部


 机の上に、カシオペアの客室扉を模した模型が置かれた。

 鉄道会社の技術担当者が、警察からの照会に応じて持参したものだった。

「こちらは、事件現場と同じ方式の施錠機構を説明するための模型です」

 担当者はそう言って、扉を閉めた。

「客室の扉は、乗客が室内から施錠できます。また、乗務員は非常時に所定の方法で解錠できます」

 雪乃は頷いた。

「つまり、乗務員であれば、外側から開けることが可能なのですね」

「はい。ただし、通常の運用では厳格に管理されています」

 エレノアは模型を見つめた。

「……質問してもいいかしら?」

「どうぞ」

「外から解錠した後、扉を閉めた場合、必ず施錠された状態に戻るの?」

 担当者は首を振った。

「いいえ。操作の状態によります」

 エレノアは頷いた。

「つまり、扉が施錠されていたというだけでは、最後に中から鍵をかけたとは言えない」

「そのとおりです」

 雪乃は手帳に書き込んだ。

『密室は、外側から成立させられる可能性あり』

 ソフィアが尋ねた。

「でも、それなら乗務員の誰でもできたんじゃない?」

「理論上は、そうね」

 エレノアは答えた。

「だから、鍵を使えた人物を特定する必要があるわ」

 三上警部は資料を開いた。

「非常解錠に関する管理記録は確認した。事件発覚前に使用したという申告はない」

 雪乃は静かに尋ねた。

「記録が残らない方法で操作できる可能性は?」

 技術担当者は少し考えた。

「機構自体には、操作時刻を電子的に記録する機能はありません」

 エレノアは顔を上げた。

「……なるほど」

 雪乃は続けた。

「つまり、管理記録に記載がなくても、実際に使用されていないとは断定できません」

「そうなります」

 担当者は頷いた。

 三上警部は腕を組んだ。

「では、誰が鍵を扱えたのかを調べる必要があるな」

 雪乃は答えた。

「はい。そして、もう1つ確認したいことがあります」

「何だ?」

「事件当夜、高宮さんが誰かを客室へ招き入れていた可能性です」

 エレノアが頷いた。

「そうね。最初から犯人が室内にいたなら、鍵の問題は犯行後に生じたことになるわ」

 ソフィアは小さく呟いた。

「……じゃあ、犯人は高宮さんの知り合いだったのかな」

 雪乃は答えた。

「その可能性があります」

 エレノアは机の上の写真を見つめた。

「でも、まだ決定的な証拠がないわ」

 その時、雪乃が顔を上げた。

「……1つ、気になることがあります」

「何?」

 エレノアが尋ねた。

「田辺車掌は、昨日の事情聴取で、高宮さんが古い駅について何度も尋ねていたと話していました」

「ええ」

「ですが、高宮さんが何を調べていたのかについては、詳しく知らないと答えています」

 雪乃は古い時刻表の写真を取り出した。

「もし田辺さんが、あの駅について何か知っていたとしたら……」

 エレノアは静かに頷いた。

「高宮さんと話す理由があったかもしれない」

 雪乃は答えた。

「はい」

 ソフィアは写真を見つめた。

「……でも、どうしてそんなことを隠すんだろう?」

 エレノアは小さく呟いた。

「それを確かめましょう」


――同日 午後4時30分

青森県警察・事情聴取室


 田辺正彦は、机の向こうに座っていた。

 昨日よりも顔色が悪く、目の下には疲労の色が濃く出ている。

 三上警部が口を開いた。

「田辺さん。もう一度、事件当夜の行動について確認させてください」

「……はい」

 田辺は小さく答えた。

 雪乃は資料を開いた。

「午前2時頃、控室にいたとお話しされましたね」

「はい」

「その間、どなたかと会いましたか?」

「……いいえ」

「では、高宮さんの客室へ行ったことは?」

 田辺は首を振った。

「ありません」

 雪乃は静かに頷いた。

「分かりました」

 エレノアが口を開いた。

「田辺さん。高宮さんから、古い駅について質問されたそうね」

「……はい」

「どんな駅だったの?」

「……よく覚えていません」

 田辺は答えた。

 ソフィアは、その表情を見つめた。

 田辺は駅の話題になると、視線を落とす。

 それまでの質問とは、明らかに反応が違っていた。

「田辺さん」

 ソフィアは優しく声をかけた。

「高宮さんのこと、怖かったんですか?」

 田辺は顔を上げた。

「……怖い?」

「はい。何かを知られるのが怖かったとか」

 田辺はしばらく黙っていた。

「……そんなことはありません」

 ソフィアは頷いた。

「分かりました」

 しかし、彼女はそれ以上追及しなかった。

 雪乃が別の資料を取り出した。

「田辺さん。こちらをご覧ください」

 古い鉄道時刻表の写真だった。

 赤いインクで囲まれた、存在しない駅名。

「この駅に、見覚えはありますか?」

 田辺の表情が変わった。

「……いいえ」

 しかし、その声はわずかに震えていた。

 雪乃は静かに続けた。

「この駅は、現在の正式な路線図には存在しません」

「……そうでしょうね」

 田辺は答えた。

 その瞬間、エレノアが顔を上げた。

「……そうでしょうね?」

 田辺は口を閉じた。

 エレノアは静かに尋ねた。

「知らない駅なら、なぜ存在しないことを当然のように言えるの?」

 田辺は答えなかった。

 雪乃は写真を机に置いた。

「田辺さん。高宮さんは、この駅について何を調べていたのですか?」

 長い沈黙が続いた。

 そして、田辺は小さく呟いた。

「……あの駅は、もう存在しないんです」

 ソフィアが息を呑んだ。

「……存在していたんですか?」

 田辺は顔を伏せた。

「……昔は」

 雪乃は静かに尋ねた。

「いつ頃ですか?」

「……詳しいことは言えません」

 田辺は答えた。

 三上警部が口を開いた。

「田辺さん。あなたは何かを隠しているようだな」

 田辺は黙っていた。

 エレノアは腕を組んだ。

「……なるほど」

 彼女は雪乃を見た。

「もう少し調べる必要がありそうね」

 雪乃は頷いた。

「はい」


――同日 午後5時40分

CLIB日本支部・青森臨時調査室


 調査室へ戻った3人は、事件の時系列を再び整理していた。

 雪乃はホワイトボードに重要な時刻を書き込んだ。

『11月16日 午後10時40分 藤原が客室付近へ』

『11月17日 午前1時20分 田辺が車内設備を確認』

『同日 午前2時00分~2時35分 田辺の行動を第三者が確認できない』

『同日 午前2時17分 懐中時計の表示』

『同日 午前5時40分 遺体発見』

 エレノアは腕を組んだ。

「……やっぱり、時計の時刻に引っ張られすぎている気がするわ」

 雪乃は頷いた。

「はい。死亡推定時刻には幅があります」

 ソフィアが尋ねた。

「じゃあ、午前2時17分に殺されたとは限らないんだよね?」

「そのとおりです」

 雪乃は答えた。

「むしろ、犯人がその時刻を示すように時計を操作した可能性があります」

 エレノアは写真を見つめた。

「でも、なぜその時刻だったのか」

 雪乃は古い時刻表を広げた。

「……それについて、1つ分かったことがあります」

「何?」

 エレノアが尋ねた。

「午前2時17分という数字は、古い時刻表の裏面にも記されていました」

「ええ」

「つまり、犯人が時刻表を見て時計を操作した可能性があります」

 ソフィアは頷いた。

「でも、犯人が時刻表を見たって、どうやって証明するの?」

 雪乃は少し考えた。

「……それが問題です」

 エレノアは静かに言った。

「犯人しか知り得ない情報が必要ね」

 雪乃は頷いた。

「はい」

 その時、ソフィアが小さく呟いた。

「……ねえ」

「何?」

 エレノアが尋ねた。

「田辺さん、さっき駅のことを知ってるみたいだったよね」

「ええ」

「でも、高宮さんがその駅を調べていたことは、最初から知ってたんじゃないかな」

 雪乃は顔を上げた。

「……どういうことですか?」

「だって、田辺さんは『高宮さんが何度も古い駅について尋ねた』って言ってたでしょう?」

「はい」

「でも、何度も聞かれたなら、普通は駅名くらい覚えてると思うんだ」

 エレノアは目を細めた。

「……確かに」

 ソフィアは続けた。

「それなのに、駅名を覚えていないって言ってた。もしかしたら、覚えていないんじゃなくて、言いたくなかったのかもしれない」

 雪乃は静かに頷いた。

「……重要な指摘です」

 エレノアは腕を組んだ。

「でも、それだけでは犯人とは言えないわ」

「うん」

 ソフィアは答えた。

「ただ、田辺さんが嘘をついている理由は知りたいな」

 雪乃は手帳を閉じた。

「……私もです」

 その時、調査室の電話が鳴った。

 雪乃が受話器を取った。

「はい。十河です」

 数秒後、彼女の表情が変わった。

「……分かりました。すぐ伺います」

 受話器を置いた雪乃は、2人を見た。

「三上警部からです」

「何か分かったの?」

 エレノアが尋ねた。

「はい。事件現場から採取された繊維について、鑑定結果が出たそうです」

 ソフィアが顔を上げた。

「繊維?」

「高宮さんの衣服に付着していたものです」

 雪乃は静かに続けた。

「その繊維が、田辺さんの制服と一致する特徴を持っているそうです」

 エレノアは立ち上がった。

「……なるほど」

 雪乃も頷いた。

「これで、田辺さんが高宮さんと接触した可能性が高まりました」

 ソフィアは不安そうに呟いた。

「……やっぱり田辺さんが?」

 エレノアは答えた。

「まだ断定できないわ。でも、真相に近づいているのは確かね」


――同日 午後6時30分

青森県警察・臨時捜査本部


 三上警部は、机の上に鑑定報告書を置いた。

「高宮の衣服から採取された繊維は、田辺の制服と同じ種類のものだった」

 雪乃は頷いた。

「ただし、乗務員の制服に使われる一般的な繊維であれば、他の乗務員のものという可能性もあります」

「そのとおりだ」

 三上警部は答えた。

「だから、これだけでは決定的な証拠にはならん」

 エレノアは報告書を見つめた。

「……でも、他の証拠と組み合わせれば意味が変わるわ」

 雪乃は静かに頷いた。

「はい」

 三上警部が尋ねた。

「君たちは、どう考えている?」

 雪乃は少し考えた。

「……田辺さんが事件に関与している可能性は高いと思います」

「理由は?」

「事件当夜の行動に空白があること。被害者の衣服から制服と同種の繊維が見つかったこと。そして、古い駅について何かを隠していることです」

 三上警部は頷いた。

「なるほど」

 エレノアが続けた。

「ただし、まだ説明できない点があるわ」

「何だ?」

「凶器よ」

 室内に沈黙が落ちた。

 エレノアは続けた。

「犯人が田辺さんなら、凶器をどこへ隠したのか。列車の中で処分するのは簡単ではないはずよ」

 雪乃は頷いた。

「はい。警察が車内を調べていますが、まだ見つかっていません」

 ソフィアが尋ねた。

「窓から捨てた可能性は?」

「走行中の列車の窓は、自由に開けられる構造ではありません」

 雪乃は答えた。

「それに、車外へ捨てたとすれば、別の証拠が必要です」

 エレノアは腕を組んだ。

「……なら、凶器はまだ列車の中にある可能性が高い」

 三上警部は頷いた。

「その可能性は考えている」

 雪乃は少し考えた。

「……乗務員が通常使用する道具の中に、凶器として使えるものはありますか?」

 三上警部は顔を上げた。

「……どういう意味だ?」

「もし犯人が乗務員なら、普段から持ち歩いていても不自然ではない物を使った可能性があります」

 エレノアは目を細めた。

「……なるほど」

 ソフィアが尋ねた。

「例えば?」

 雪乃は答えた。

「工具や、設備の点検に使う器具などです」

 三上警部は腕を組んだ。

「……調べてみよう」

 エレノアは静かに頷いた。

「ええ。ただし、傷の形状と一致するか、鑑定が必要ね」


――2013年11月19日 午前9時00分

青森県警察・臨時捜査本部


 翌朝。

 三上警部は、3人を前にして新しい報告書を広げた。

「凶器が見つかった」

 ソフィアが息を呑んだ。

「……本当ですか?」

「ああ」

 三上警部は頷いた。

「乗務員用の工具保管場所から、細身の金属製工具が発見された」

 雪乃は顔を上げた。

「どのような工具ですか?」

「先端が鋭く加工された特殊な器具だ。通常の点検工具とは形状が異なっていた」

 エレノアは写真を見つめた。

「……血液反応は?」

「検出された。現在、詳しい鑑定を進めている」

 雪乃は静かに頷いた。

「……なるほど」

 三上警部は続けた。

「工具には、拭き取ったような痕跡もあった」

 エレノアは腕を組んだ。

「犯人が隠した可能性があるわね」

「そうだ」

 三上警部は答えた。

「ただし、誰が置いたのかまでは分からん」

 雪乃は写真を見つめた。

「……工具の保管場所へ出入りできる人物は?」

「乗務員だ」

 三上警部は答えた。

「その中でも、田辺は管理を担当していた」

 ソフィアは小さく呟いた。

「……やっぱり」

 エレノアは静かに言った。

「でも、まだ確認すべきことがあるわ」

「何?」

 ソフィアが尋ねた。

「工具の形状が、被害者の傷と一致するかどうか。それから、工具に付着した血液が誰のものか」

 雪乃は頷いた。

「はい。そこが重要です」

 三上警部は腕を組んだ。

「鑑定結果が出れば、さらに絞り込めるだろう」

 エレノアは写真を見つめた。

「……それと、田辺さんが犯人なら、なぜ高宮さんを殺す必要があったのか」

 雪乃は静かに答えた。

「古い駅の秘密に関係しているのかもしれません」

 エレノアは頷いた。

「ええ。でも、それも証拠で確かめる必要があるわ」


――同日 午前11時20分

青森県警察・事情聴取室


 田辺正彦は、再び事情聴取室に座っていた。

 三上警部は、机の上に工具の写真を置いた。

「田辺さん。この工具に見覚えはあるか?」

 田辺は写真を見つめた。

「……点検用の工具です」

「誰が管理していた?」

「……私です」

 三上警部は頷いた。

「工具から血液反応が出ている」

 田辺の表情が変わった。

「……血液?」

「そうだ」

 三上警部は続けた。

「高宮の傷と関係がある可能性がある」

 田辺は黙っていた。

 雪乃が静かに口を開いた。

「田辺さん」

「……はい」

「高宮さんは、古い駅について何を知っていたのですか?」

 田辺は顔を伏せた。

「……分かりません」

 雪乃は時刻表の写真を置いた。

「この駅です」

 田辺の指がわずかに震えた。

 エレノアはその反応を見つめた。

「……あなたは、この駅を知っているのね」

 田辺は答えなかった。

 ソフィアが優しく声をかけた。

「田辺さん。高宮さんは、あなたに何かを話したんじゃないですか?」

 長い沈黙が続いた。

 そして、田辺は小さく呟いた。

「……あの人は、余計なことを調べすぎたんです」

 雪乃は顔を上げた。

「……どういう意味ですか?」

 田辺は震える声で答えた。

「……あの駅は、存在してはいけないんです」

 室内に沈黙が落ちた。

 エレノアは静かに尋ねた。

「なぜ?」

 田辺は答えなかった。

 しかし、三上警部が続けた。

「田辺さん。あなたが事件に関与している可能性を示す証拠が複数ある。今後は、適切な手続きに従って詳しく調べることになる」

 田辺は顔を伏せた。

 しばらくして、小さく呟いた。

「……私は、ただ……」

 その言葉は、最後まで続かなかった。


――同日 午後1時40分

CLIB日本支部・青森臨時調査室


 3人は、机の上に事件資料を並べていた。

 雪乃は静かに口を開いた。

「……事件の全体像が、ようやく見えてきました」

 エレノアは頷いた。

「ええ。ただし、まだ推測と証拠を分けて考える必要があるわ」

 ソフィアは手帳を開いた。

「じゃあ、整理してみよう」

 雪乃はホワイトボードに、事件の流れを書き始めた。

『高宮俊一は、古い鉄道時刻表を調査していた』

『田辺正彦は、その駅について何かを知っていた』

『事件当夜、田辺には行動を確認できない時間があった』

『被害者の衣服から、乗務員制服と同種の繊維が発見された』

『田辺の制服から、被害者の血液が検出された』

『乗務員用工具保管場所から、凶器の可能性がある器具が発見された』

 エレノアは腕を組んだ。

「……これだけなら、田辺さんが犯人である可能性は高い。でも、決定的とは言えない」

 雪乃は頷いた。

「はい」

 ソフィアが尋ねた。

「じゃあ、何が必要なの?」

 エレノアは答えた。

「工具の鑑定結果と、田辺さんが客室に入ったことを示す証拠よ」

 雪乃は静かに頷いた。

「それが揃えば、事件を説明できます」

 その時、調査室の電話が鳴った。

 雪乃が受話器を取った。

「はい。十河です」

 数秒後、彼女の表情が変わった。

「……分かりました」

 受話器を置いた雪乃は、2人を見た。

「……鑑定結果が出ました」

 エレノアが顔を上げた。

「どうだった?」

 雪乃は静かに答えた。

「工具に付着していた血液は、高宮さんのものと一致しました」

 ソフィアが息を呑んだ。

「……じゃあ」

「さらに、工具の形状は、被害者の刺し傷と矛盾しないそうです」

 雪乃は続けた。

「ただし、これだけで犯人が誰かを確定することはできません」

 エレノアは頷いた。

「ええ。でも、凶器である可能性はかなり高まったわ」

 雪乃は手帳を閉じた。

「……三上警部へ報告しましょう」


――同日 午後3時00分

青森県警察・臨時捜査本部


 三上警部は、3人の報告を聞き終えると、静かに頷いた。

「……なるほど」

 雪乃は続けた。

「田辺さんが犯行に関与している可能性は高いと思います。ただし、警察による正式な捜査と鑑定が必要です」

「当然だ」

 三上警部は答えた。

「君たちの調査結果は参考にさせてもらう」

 エレノアは腕を組んだ。

「それと、密室については、乗務員用の解錠手段を使えば成立する可能性があるわ」

「そうだな」

 三上警部は頷いた。

「田辺がそれを使用したかどうか、引き続き調べる」

 ソフィアは少し不安そうに尋ねた。

「……田辺さんは、どうなるんですか?」

 三上警部は答えた。

「証拠を精査し、必要な手続きを進める。今の段階で、結論を急ぐつもりはない」

 雪乃は頷いた。

「それが適切だと思います」

 エレノアは窓の外を見た。

 青森の空には、薄い夕日が差し始めていた。

「……ひとまず、私たちにできることは終わったようね」

 雪乃は静かに答えた。

「はい。残る部分は、警察の捜査に委ねることになります」

 ソフィアは小さく息を吐いた。

「……長かったね」

 エレノアは微笑んだ。

「でも、まだ全部の謎が解けたわけではないわ」

 雪乃は頷いた。

「存在しない駅と、あの紋章ですね」

「ええ」

 エレノアは答えた。

「その謎は、また別の調査が必要になりそうね」


――2013年11月20日 午前10時30分

日本国・東京都台東区 上野駅周辺


 事件の調査を終えたエレノアとソフィアは、東京へ戻っていた。

 CLIB日本支部では、英国本部への帰還手続きが進められている。

 しかし、その日の午前。

 2人の少女は、上野駅の改札口近くに立っていた。

「……ねえ、エレノア」

 ソフィアが小声で言った。

「何?」

「本当に、いいのかな?」

 エレノアは微笑んだ。

「何が?」

「……こっそり観光すること」

 エレノアは肩をすくめた。

「少し街を歩くだけよ」

「でも、佐伯さんには『資料を確認してきます』って言ったよね?」

「資料を確認するのも、街を観察するのも、探偵にとっては大切なことよ」

 ソフィアは苦笑した。

「……それ、絶対に言い訳だよね」

 エレノアは答えなかった。

 ただ、楽しそうに微笑んでいた。

 2人は上野駅を出て、賑やかな街へ歩き始めた。

 道路沿いには商店が並び、行き交う人々の声が響いている。

 ソフィアは目を輝かせた。

「……すごい!」

「何が?」

「お店がいっぱい!」

 エレノアは周囲を見渡した。

「確かに、ロンドンとは雰囲気が違うわね」

 ソフィアは通り沿いの店を指さした。

「ねえ、あれ何?」

「……たい焼き、かしら」

「たい焼き?」

「魚の形をした、日本のお菓子よ」

 ソフィアは驚いた。

「魚のお菓子?」

「中には甘い餡が入っているそうよ」

「……食べてみたい!」

 エレノアは少し考えた。

「……仕方ないわね」

 数分後。

 2人は、温かいたい焼きを手にしていた。

「……おいしい!」

 ソフィアは嬉しそうに声を上げた。

「外が少しカリカリしてて、中が甘い!」

 エレノアも一口食べた。

「……なるほど」

「どう?」

「悪くないわ」

 ソフィアは笑った。

「それ、エレノアが気に入った時の言い方だよね」

「余計なことを言わないの」

 2人は笑いながら歩き続けた。


――同日 午後0時15分

東京都台東区 浅草・雷門前


 大きな赤い提灯が、門の中央に吊るされていた。

 浅草寺の雷門。

 周囲には多くの観光客が集まり、写真を撮っている。

 ソフィアは門を見上げた。

「……大きい!」

 エレノアも足を止めた。

「見事なものね」

 ソフィアは鞄から小さなカメラを取り出した。

「写真撮ろうよ!」

「……仕方ないわね」

 2人は雷門の前に並んだ。

 ソフィアが笑顔を浮かべる。

 エレノアは少し照れくさそうに微笑んだ。

 シャッター音が響いた。

「……撮れた!」

 ソフィアは写真を確認した。

「エレノア、ちゃんと笑ってる!」

「私だって笑うことくらいあるわ」

「事件の時は、いつも難しい顔してるから」

「それは考えているのよ」

 2人は笑いながら仲見世通りへ向かった。

 通りには、和菓子や土産物を売る店が並んでいる。

 ソフィアは興味津々だった。

「……ねえ、これ何?」

「扇子ね」

「こっちは?」

「……お守りかしら」

「じゃあ、これは?」

 エレノアは小さく溜息をついた。

「ソフィア。少しは自分で調べなさい」

「だって、エレノアに聞いた方が早いんだもん」

 エレノアは呆れたように笑った。

 しかし、その表情はどこか楽しそうだった。


――同日 午後2時00分

東京都千代田区 秋葉原


 午後になると、2人は秋葉原へ向かった。

 駅前には電気店やアニメ関連の店が立ち並び、色鮮やかな看板が通りを埋め尽くしている。

 ソフィアは目を輝かせた。

「……ここ、すごい!」

 エレノアは周囲を見渡した。

「電子機器の店が多いのね」

「それだけじゃないよ! 見て、あのお店!」

 ソフィアはアニメグッズの店を指さした。

 店頭には、可愛らしいキャラクターのポスターが並んでいる。

「……ちょっと見ていこうよ!」

 エレノアは腕時計を確認した。

「……あまり時間はないわよ」

「少しだけ!」

「……本当に少しだけよ」

 しかし、店へ入ってから30分後。

 ソフィアは両手に小さな紙袋を持っていた。

「……買いすぎじゃない?」

 エレノアが呆れたように言った。

「だって、可愛いんだもん!」

 ソフィアは笑った。

「エレノアだって、何か買ったでしょ?」

「……私は、資料として必要なものを買っただけよ」

 エレノアの手には、日本製の小さな懐中時計があった。

 ソフィアは目を細めた。

「……資料?」

「ええ」

「ただ気に入っただけじゃないの?」

「……ソフィア」

「はいはい」

 2人は笑いながら店を出た。

 その時だった。

 エレノアの通信端末が、小さく振動した。

 画面には、佐伯美咲の名前が表示されている。

 エレノアは足を止めた。

「……あら」

 ソフィアが尋ねた。

「どうしたの?」

「佐伯さんからよ」

 ソフィアの表情が変わった。

「……えっ」

 エレノアは通信を開いた。

『アシュフォード調査員、ベネット調査員。現在、どちらにいらっしゃいますか?』

 エレノアは少し考えた。

「……東京の市街地を調査中よ」

『市街地の調査、ですか?』

「ええ。日本の都市構造について、興味深い点があったものだから」

 通信の向こうで、しばらく沈黙が続いた。

 そして、佐伯の声が聞こえた。

『……お2人とも、観光されていますね?』

 ソフィアが小さく呟いた。

「……ばれた」

 エレノアは咳払いをした。

「……少しだけよ」

『帰還手続きがありますので、午後4時までには上野連絡室へ戻ってください』

「分かったわ」

『それから……』

「何?」

『日本を楽しんでいただけたようで、何よりです』

 通信が切れた。

 ソフィアは笑い出した。

「……完全にばれてたね!」

 エレノアは小さく溜息をついた。

「……どうやら、佐伯さんには隠し事ができないようね」

 ソフィアは笑顔で答えた。

「でも、楽しかったね!」

 エレノアは少し考えた。

 そして、微笑んだ。

「……ええ。たまには、こういう時間も悪くないわ」


――同日 午後4時25分

日本国・東京都台東区 CLIB東京上野時空連絡駅・日本支部連絡室


 エレノアとソフィアがクロノス急行に乗り込もうとしといた頃、

 連絡室では、1人の少女が机に広げられた事件資料を眺めていた。

「おやおや……これは実に興味深いですね」

 少女は、被害者の懐中時計と客室の施錠装置の写真を見比べた。

「犯人は、どうやら随分と親切な方のようです。わざわざ僕たちに、午前2時17分という時刻を教えてくださっているのですから」

 隣に立つ職員が、不思議そうに尋ねた。

「……何か分かったのですか?」

「ええ。ただ、少々気になることがありまして」

 少女は資料を閉じ、穏やかに微笑んだ。

「1つ、宜しいでしょうか?」

「は、はい」

「この事件、本当に解決したとお考えですか?」

 職員が答えに詰まる。

 少女は窓の向こう、クロノス急行の線路を見つめた。

「……どうやら、英国からのお客様には、もう少し日本に滞在していただく必要がありそうですね」

 その口元には、かすかな微笑みが浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。