転生
頭が、割れるように痛かった。
胸の奥を激しく突くような不快な拍動と、喉の奥にこびりつく血と香油の混ざった不快な味。
「……く……っ……」
一真は、ゆっくりと重い瞼を開いた。
視界に飛び込んできたのは、自分が通い慣れた市役所の天井でも、整然とした病院の集中治療室でもなかった。
金碧輝煌な装飾が施された、絢爛豪華でありながら息が詰まるほど重苦しい石造りの天井。
そして、自分の体を覆っているのは、見たこともない上質な白い布と、じゃらじゃらと音を立てる重厚な金属の装飾品だった。
(……なんだ……ここは……?)
胸に手を当てようとするが、腕がまるで鉛のように重い。
ちらりと自分の手元が見えた瞬間、一真は強い違和感を抱いた。
自分の手ではない。
毎日、柔道着や竹刀を握りしめ、タコができ、骨太だった28歳の男の手ではない。
そこに伸ばされていたのは、皮膚が薄く、頼りなく細い、十代半ばの青年の手だった。
(……俺は、確か……市役所の駐車場で……)
思い出すのは、暗闇から飛び出してきた男の狂気と、左胸を貫いた包丁の恐ろしい激痛。
アスファルトの上に溢れ出た、温かい自分の血。
死んだはずだった。
それなのに、なぜ自分は生きているのか。
なぜこんな奇妙なコスプレのような部屋で、見知らぬ体で横たわっているのか。
頭の中で、二つの異なる記憶が激しく交錯し、渦を巻いていた。
日本の公務員としての28年間の記憶。
そして、この体のものである、暗く、重苦しい宮廷の記憶。
ファラオ、ツタンカーメン。
病魔に侵され、王宮の陰謀に怯え、19歳という若さで命を散らそうとしていた悲劇の少年王。
(……夢……なのか……? いや、この痛みも、息苦しさも……あまりにもリアルすぎる……)
混乱する思考を整理する暇すら、与えられなかった。
部屋の隅の影から、気配もなく滑り出してきた人影があったからだ。
顔を布で覆い、手には鈍い光を放つ青銅の短剣を握りしめた男。
「……安心されよ、若きファラオよ。
アモン神のもとへ、すぐにお送りいたす……」
男の口から漏れたのは、聞いたこともない言語だった。
だが、なぜかその意味が、一真の頭の中に直接意味として理解できてしまう。
刺客の瞳に宿る、明確な殺意。
それが、自分を刺したあの男の身勝手な悪意と重なった瞬間、一真の身体が条件反射で動いた。
(……よく分からねえが……殺されそうになってるのだけは……確かだ……っ!)
病魔で動かないはずの体を、気力だけで無理やり跳ね起こす。
突き出された青銅の短剣。
その大雑把な軌道を、前世で身体に染み込ませた剣道の「見切り」で見極める。
病弱な腕力では受け止めきれない。
一真は最小限の動きで身体を捻って刃をかわすと、刺客の手首を掴み取り、自分の膝を支点にして体重をかけて巻き込んだ。
柔道の「支え釣り込み足」。
ドスンッ!
重い衝撃音とともに、刺客は石床に激しく叩きつけられ、肺の空気を吐き出して悶絶した。
「ぐはっ……!? な、なにを……!?」
一真は落ちた短剣を拾い上げると、必死の思いで相手の首元へと突き突きつけた。
息は荒く、肩が激しく上下する。
たった一度の技を繰り出しただけで、全身の関節が悲鳴を上げ、視界がチカチカと明滅していた。
「動く……な……」
声が掠れる。
だが、人を斬った記憶を持つ一真の眼光と、至近距離で突きつけられた刃の迫力に、刺客は恐怖で顔を引きつらせ、そのままがくぐりと気を失った。
「はぁ……はぁ……っ……」
短剣を握りしめたまま、一真は床に崩れ落ちそうになる身体を壁に預けた。
状況が、まったく飲み込めない。
ここはどこなのか。
自分は誰なのか。
なぜ自分が古代エジプトの王などと呼ばれているのか。
混乱と困惑が胸を支配し、ただ荒い呼吸だけが静寂な部屋に響いていた。
その時だった。
重厚な扉が開き、一人の少女が室内に飛び込んできた。
白亜のドレスを纏い、漆黒の髪を細かく編み込んだ美しい少女、アンケセナーメン。
「ファラオ……っ!? 大きな音が……あ……っ!?」
彼女は倒れている刺客と、短剣を握って青ざめた顔で壁に背をもたせかける一真の姿を見て、息を呑んだ。
ガタガタと震え、目から涙を溢れさせる少女。
その姿を見た一真の脳裏に、この体の記憶がかすかに響く。
(この子は……アン……? 俺の……いや、この王の……妻……?)
「大丈夫……か……?」
掠れた声でそう問いかけるのが精一杯だった。
状況も、自分の置かれた立場も、この国で何が起きているのかも、何一つはっきりと理解できてはいない。
ただ一つ分かるのは、この華奢な少女が本気で自分を心配し、怯えているということだけだった。
一真は手にした短剣を床に落とすと、自分自身の震える手を見つめ、深く困惑の溜息をついた。
(……一体、俺の身に何が起きてるんだ……?)
先の見えない巨大な混乱と不透明な運命の中で、一真はただ、荒い息を吐き続けていた。




