第19話「アモン神殿包囲戦(開戦篇)」
カルナック神殿の巨大な塔門の影は、朝日に照らされ、広大な参道に不気味な黒い斜影を落としていた。
神殿最奥の聖域。豪奢な金箔とラピスラズリで飾られた広間に、怒号が響き渡る。
「あの薄汚い野犬どもめが……! この私を、アモン神殿を裏切ったというのか!!」
黄金の杯を石畳に叩きつけ、大神官パネヘシが顔を血走らせて怒り狂っていた。重厚な神官衣を纏うその太い身体が、怒りと屈辱で激しく打ち震える。
傍らに控える老宰相アイは、苦々しい表情で首を振った。
「失態にございます、パネヘシ様。夜の執務室へ送り込んだバキからの連絡は絶たれ、彼ら一族が潜んでいた旧労働者地区もすでに空……。奴らはファラオに寝返り、我らを売ったと見るほかありません」
「おのれバキ……! 女子供まで生かして手厚く保護してやった恩を忘れ、あの青二才のファラオに尻尾を振るとは!」
パネヘシは咆哮すると、眼前の神殿騎士長たちを睨みつけ、太い腕を振り上げた。
「よいか! もはや容赦はいらん! 神殿に集いし私兵、神殿騎士団、雇い入れた傭兵……一万の全軍に直ちに出撃命令を下せ! 神殿の回廊も、スフィンクス参道も、あらゆる防衛陣地を埋め尽くせ! 反逆者ファラオと裏切り者の暗殺者どもを、数と鉄の波で完膚なきまでに押し潰してしまえ!!」
パネヘシの狂気じみた怒号を受け、神殿軍は総動員体制へと突入した。
カルナック神殿は単なる宗教施設ではない。分厚い外壁、巨大な塔門、そして入り組んだ列柱室を備えた難攻不落の「巨大要塞」である。神殿が蓄えた莫大な財力で集められた一万の兵が、武装を整えて各拠点へと配備されていく。
「全兵員、持ち場につけ! アモン神の威光を見せてやれ!」
パネヘシとアイが塔門の上から参道を見下ろし、総力戦の準備を整えたその時——。
「ほ、報告! 敵軍が……ファラオ軍が参道前に集結! しかもしつこく仕掛けた罠や隠し伏兵が、全て事前に無力化されております!」
駆け込んできた伝令の悲鳴に、アイが目を見開く。
神殿の内部構造も、張り巡らされた裏道も仕掛けも知り尽くしたバキとその一族。彼らの完璧な先行誘導により、ファラオ軍は神殿側の死角を突いて急襲。何一つ損害を受けることなく、参道の目前まで一気に肉薄していたのだ。
そして、整然と陣を敷くファラオ軍の最前線——。
鋼鉄の重甲冑を身に纏い、身の丈を越す巨大な大盾を地面に突き立てたベテラン将軍、ケンアモンが前線に躍り出た。
ケンアモンは深く息を吸い込むと、肺の底から響くような地鳴りのごとき咆哮を上げ、拳を天高く突き上げた。
「ファラオに栄光あれ!! 全軍、敵を穿てえええっ!!!」
大地を震わせるケンアモンの【勝ちどき】。
それが、アモン神殿包囲戦の火蓋を切る合図となった。
「ええい、怯むな! 弓兵、塔門の上から一斉に射ち下ろせ! 寄せ付けるな!」
パネヘシが怒号を上げ、塔門の上にズラリと並んだ神殿の弓兵が一斉に弦を引き絞る。
だが、その瞬間——。
**チュドッ……!!**
空気を切り裂く異様な重圧音が響いた。
直後、塔門の上で指揮を執っていた神殿騎士長の大盾ごと、その胴体が目にも留まらぬ速度で弾き飛んだ。
「な……ッ!?」
塔門の上の弓兵たちが絶句する。
千歩以上も離れたファラオ軍の陣形——ケンアモンが掲げる大盾の、ほんの僅かな隙間。
そこにたたずむ黒髪の美女、旋風の銀弓**セセラ**が、メレルの生み出した魔道力学弓**『ラ・バリスティカ』**を構えていた。
物理補正と魔導回路が弾道を打ち出し、風の抵抗すら置き去りにする超高初速の矢が、神殿側の長距離兵器や指揮官を次々と寸分違わず撃ち抜いていく。
「ひいっ! 門を開けろ! 歩兵隊、打って出て数で押し潰せ!」
パネヘシの悲鳴のような指示で大門が叩き開かれ、重装歩兵と傭兵の集団が一気に溢れ出した。
「数だけが頼りの雑兵どもが……」
前線でケンアモンが不敵に笑う。
その大盾の傍らから、一人の若い男が風のように前に躍り出た。
まだファラオと直接の面識すら持たない青年——**ラノフェル**。
鋭利に研ぎ澄まされた両刃の西洋直剣を手に、しなやかな体躯を躍動させている。押し寄せる数千の神殿軍を前にしても、その表情には不敵な笑みすら浮かんでいた。
「先陣は、俺が貰う」
ラノフェルは低く呟くと、大地を強く蹴り跳んだ。
過酷な街の片隅で、生き残るためだけに独学で磨き上げた圧倒的なスピードと身軽さ。
敵重装歩兵の槍衾を空中高く跳び越え、アクロバティックな宙返りから着地ざま、敵の隙を疾風のごとき一閃で斬り裂いていく。
相手の振り下ろす鈍重な大剣を紙一重の踏み込みでかわし、防具の隙間を軽やかに穿つその戦い方は、まさに重力を無視したかのような野性味あふれる超高速演武。
「な、なんだあの動きは!? 捕まえられん!」
「速すぎる……重装歩兵の陣形では太刀打ちできんぞ!」
アモン神殿軍の前線が、たった一人の青年の描く異次元の閃光によって瞬く間に乱されていく。
圧倒的存在感を解き放つラノフェルと、後方から寸分違わず敵の要を穿つセセラの『ラ・バリスティカ』。そして二人を揺るぎなく支えるケンアモンの絶対防壁。
ファラオ軍の誇る精鋭たちの進撃が、神殿軍一万の波を切り裂き始めた。




