第17話:回想・パリの学者と熱砂の誓い
かつて、私は激動のパリで本に埋もれて生きていた。
19世紀フランス。ナポレオンの台頭と没落、革命の嵐が吹き荒れる時代。
塞がれた研究室の窓の外から砲声や市民の叫び声が響く中、私、前世のメレルは、来る日も来る日も羊皮紙や古文書を貪り読んでいた。
専門は古代行政史と、ナポレオン軍の勝敗を分けた「補給・物流理論」。
どのような制度が国家を繁栄させ、どのような補給線の途絶が破滅をもたらすのか。
頭の中には古今東西のあらゆる知恵と歴史のデータが詰め込まれていた。
だが、どれほど知識を深めようと、私はただの「無力な観察者」に過ぎなかった。
時代の奔流に翻弄される政治家たちを冷ややかに眺め、誰かを導く情熱も持たないまま、塞ぎ込んだ書斎の中で静かに息を引き取った、はずだった。
「……ハッ!?」
次に目を覚ました時、私は乾いた風が吹き抜ける石造りの部屋にいた。
手を見れば、老いて干からびかけた自分の皮膚。頭の中には「エジプトの学者メレル」としての記憶と、19世紀パリで培った記憶が交差しながらなだれ込んできた。
(これは……転生、というものなのか……?)
驚愕しながらも、学者としての習性で私はすぐにエジプトの現状を分析した。
そして、絶望した。
国庫を貪り喰うアモン神殿の大神官パネヘシ。
神殿と密約を結び、宮殿を牛耳る老宰相アアイ。
そして、神官たちの嘘の神託と毒によって病床に伏せり、ただ死を待つばかりの傀儡の若きファラオ、ツタンカーメン。
前世で学んだ歴史の法則が、冷酷に告げていた。
『この国は遠からず滅びる』と。
知識はあった。どう内政を立て直し、どう兵糧を管理すれば国が潤うか、頭の中には答えがあった。
だが、私にはそれを実行に移す「権力」も「武力」も、何より「人を動かすカリスマ」が決定的に欠けていた。一学者の進言など、パネヘシやアイの陰謀の前に握りつぶされるのが目に見えていたのだ。
(虚しいものだな……。世界が変わっても、私はただ国が滅びゆく様を特等席で見つめるだけの『観察者』でしかないのか……)
私は諦めていた。腐敗した巨大な権力構造を前に、ただただ無力感に苛まれていた。
――あの日までは。
「メレル! 書類の整理なら俺も手伝うぞ! ほら、この分類なら効率が上がるだろ?」
病床から奇跡の復活を遂げた若きファラオが、親しみやすい笑みを浮かべて私の執務室にやってきた日のことを、私は生涯忘れない。
王であるにもかかわらず、手抜き工事で暴れていた石工カメスの誇りを見抜き、心からの言葉で「守護者」へと変えた姿。
現代の理合(柔道・剣道)を駆使し、襲い来る刺客をたった一人で圧倒してみせた姿。
そして何より、権力を振りかざすのではなく、民の傷みに寄り添い、慈愛をもって人を惹きつける圧倒的な器の広さ。
(ああ……! 奇跡だ……!)
私は暗闇の中で打ち震えた。
知識があっても、人を動かす情熱(王気)がなければ世界は変えられない。
19世紀のパリで、数々の英雄の興亡を本の中で追ってきた私が確信した。目の前にいるお方こそが、私が生涯追い求めてきた『理想の覇王』そのものだったのだ。
「私に足りなかった最後のパーツ……! このお方となら、滅びの運命すらひっくり返せる……!」
私は誓った。
ただの「観察者」だった男の人生は、あの日に終わったのだと。
この命、この頭脳のすべてを賭けて、このお方を真の天下人へと押し上げる『参謀』になると。




