第13話:慈愛の王と闇の盾
執務室の静寂を破り、遅れて駆けつけた護衛兵たちが雪崩れ込んできた。
「ファラオ! お怪我はございませんか!?」
巨漢カメスがバキの腕を極め、がっちりと石造りの床に押さえつける。
その周囲を、護衛兵たちの鋭い槍と刃が取り囲んだ。
万が一にも逃がすまいと、死角のない包囲網が完成する。
倒れていた賢者メレルが整え直した衣の裾を払い、鋭い眼光で捕縛された刺客を見下ろした。
「……身のこなし、そしてその暗殺術。
アモン神殿、あるいは宰相アアイの手先だな? 誰の命を受けてここへ忍び込んだ!」
メレルの詰問に対し、バキはせせら笑うように鼻で笑った。
「ハッ……喋るわけがなかろう。
失敗した刺客に残された道は一つ。
……とっとと首を刎ねろ」
死を恐れぬ眼差しで吐き捨て、固く口を閉ざすバキ。
だが、その様子を静かに見つめていたファラオが、ゆっくりと手をかざして制した。
「ならば、答えなくていい」
ファラオの静かな言葉に、執務室の空気が張り詰めた。
「黒幕など、聞くまでもなく分かっているのだからな」
その場が一瞬でざわついた。
護衛兵たちが顔を見合わせ、メレルも目を見張る。
アモン神殿と老宰相アイの影を、ファラオはすでに完全に見抜いているのだ。
護衛長が一歩前へ出て、固い決意を込めて叩きつけるように言った。
「黒幕が明白であり、ファラオのお命を狙った大逆罪人! であれば……即刻、打ち首に処すべきです!」
「いや」
ファラオは首を横に振った。
「殺さない」
「な……ッ!?」
周囲に動揺と困惑が広がった。我が耳を疑う護衛兵たちをよそに、ファラオは床に伏せるバキの前に歩み寄り、その目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「お前も分かっているはずだ。
この暗殺が失敗した以上、アモン神殿もお前を口封じのために消そうとする。
失敗した刺客に、奴らが帰る場所を残すと思うか?」
バキの身体がピクリと震えた。
「だから、我に仕えよ」
ファラオは、親しみやすくも力強い声で言葉を紡ぐ。
「お前の一族すべてを我が配下に引き入れる。
そして、その力を私利私欲のためではなく、この国と民のために使え」
バキは屈辱と混乱に顔を歪め、歯を食いしばって叫んだ。
「ふざけるな……! 敵の長から慈悲を与えられたとて、俺の心が揺らぐと思うか!
命乞いなどせん、今すぐ俺を殺せッ!」
刺客としてのプライドを必死に保とうとするバキ。
だが、ファラオの眼差しは、微塵もぶれることはなかった。どこまでも温かく、そして深く澄んだ瞳でバキを見つめ返す。
「勘違いするな。お前個人への慈悲ではない」
ファラオの声は、優しく執務室全体に響き渡った。
「お前の一族の子供たちも、女たちも……
このエジプトに生きる者すべてが、我が『民』なのだ。
アモン神殿の手によって、お前の一族が根絶やしにされるような理不尽を、このファラオが絶対に許さん」
「―――っ!?」
バキは息を呑み、言葉を失った。
一族の命。裏社会で生きる自分たちが、常に人質として握られ、利用され捨てられてきた絆。
目の前にいる若きファラオは、自分を殺そうとした刺客の「一族」までをも、自らが守るべき『民』として包み込もうとしている。
(このお方は……なんだ……?)
武力で圧倒されたのではない。
その瞳の奥に宿る、大海のごとき深い慈愛と、人たる者を惹きつけて離さない圧倒的な覇王の威厳。
それに触れた瞬間、バキの心の中にあった暗く冷たい頑なさが、一気に崩れ去っていくのを感じた。
「……くっ……ああ……ッ」
カメスが力を緩めると、バキはそのまま石床に深く額をこすりつけた。
涙がボロボロと床を濡らす。
「ファラオ……偉大なる我が君……! この愚かなる身と一族の命……すべて、あなた様に捧げます……!」
暗黒街の毒牙と呼ばれた男が、完全に屈服し、最大の忠誠を誓った瞬間であった。




