第164話 母親
「ごめんなさい。私、どうかしていました・・・」
落ち着きを取り戻したアフロディーテは口を噤む。
「急に、不安になったんです。ガイア様がどこかへ行ってしまうような・・・ いなくなってしまうような・・・ そんな喪失感に・・・ 自分でも分からない。でも、何故だかとても胸が苦しくなって・・・」
「アッフィー・・・」
アフロディーテは顔を上げる。
「だから、私にも背負わせてください。今まであなたが抱えてきたものを。こんな娘じゃ頼りないかもしれないけど、力になりたいの。対等に見て欲しいの。アースの民として。だから・・・」
口を堅く結ぶアフロディーテの瞳に涙が滲む。
アフロディーテの思いを確かに感じたガイアは涙を拭い立ち上がる。
「本当は、明日の朝連れて行こうと思っていたのだけど・・・ 三人とも、ついてきてくれる? 見せたい場所があるの」
三人は顔を見合わせ、神妙な面持ちで歩き出すガイアの後についていった―――。
目の前にはアース神殿がどっしりと佇んでいる。
気のせいか、改めて見る神殿は荘厳さが増しているが、どことなく寂しげな印象だ。
「アース神殿・・・?」
「こっちよ」
植物の生い茂る王の間。
ガイアはその玉座の裏の壁にそっと手を当てると、植物たちは避けるようにうねり出した。
「こ、これは・・・」
アポロンは唾を飲む。
植物たちが避けたその先は切り出された岩の壁になっており、まるで洞窟の中のように薄暗くしっとりとした空気が漂っていた。
神殿の厳かな雰囲気とはかけ離れた作りだ。
よく見ると、幅の狭い階段がとぐろを巻くように下へ伸びている。
「さあ。ついてきて」
ガイアが先導し階段を降りていく。
四人の足音だけが響き、一段一段下る度に壁の松明がほのかに揺らめいた。
しばらく暗闇の階段を下っていく。
無言のまま歩くガイアからただならぬ気配を感じ取る。
目の前に光が差し始め眩しさに目を細める。
やがて開けた場所に辿り着いた。
四方を見渡しても何もない。
一切視界を遮るものはなく、ただ淡くぼやける世界が彼方まで続いているだけだった。
振り返ると、まるで天まで伸びるように岩の柱が伸びていた。
「先端が見えない・・・ この距離を下ってきたの?」
三人は呆けて岩柱を見上げていた。
「ここはエトナの地下よ。いいえ。アースの地下と言った方がいいかしら」
「アースの、地下・・・?」
アポロンの頬に一筋の汗が伝う。
「そう。時を止めた、アースの歴史が彷徨う場所・・・」
ガイアはおもむろに三人の前に立つ。
ガイアの足元に巨大な緑色の魔法陣が展開される。
すると、ガイアの周りに光の玉がぽつぽつと姿を現れ始めた。
やがて光の玉は数え切れないほどの数となり、夜空に輝く星のように地下世界を埋め尽くしていった。
ガイアの背中から天に伸びる光の糸が現れた。
糸は一つ一つの光の玉と繋がっている。
まるで束ねた風船のように、ゆっくりと浮遊する。
「エーテル・・・」
アシーナの頬に涙が伝う。
「まさか・・・ アースの人々、なの・・・?」
アフロディーテは目を見開いたまま呆然とガイアを見つめる。
「1000年前・・・ 栄華を極めた一つの国がゼウス軍に滅ぼされた。その国の名はアース。アースの民は残らず虐殺された。ただ一人を除いて・・・ それが私」
「目の前に映る光景にただ絶望し彷徨っていたところにゼウスが現れた。当然、ゼウスは私を殺そうとした。でも、できなかった。エーテルとなった民の魂が盾となり、ゼウスの攻撃から私を守ってくれた」
ガイアは羽織っているローブを脱ぎ、背中を見せる。
星を連想させる円形の紋章が淡い緑色に輝いている。
「そして覚醒したの」
「覚醒した私の術『母なる大地』は無数に魔物を生み出す力。大量の魔物達は、ゼウス軍をいともたやすく壊滅に追い込んだ。まるで恨みをぶつけるように、容赦なく。徹底的に」
ガイアは周りに浮かぶ光の玉を手繰り寄せ、そっと手をかざす。
すると、光の玉は徐々に形を変えていき、やがて小さな竜の魔物に変化した。
アフロディーテの表情が不安に変わる。
「まさか・・・ ガイア様の召喚する魔物って・・・」
ガイアは静かに頷く。
「そう。全て、アースの民よ」
「そ、そんな・・・!! で、でも! 遺跡都市エトナには民がいるじゃない!! みんな元気に暮らしているじゃない?!」
ガイアは静かに首を振る。
「あの子達は・・・ あの子達は全て、私の術アースの民の魂が作り出した幻。この世界に生きていない人々なの。町も含めて、ね」
「アッフィーが見た人々から伸びる光の糸は、彼らの魂を繋ぎとめている、私のエーテルで作り出した糸」
アフロディーテは顔を覆い、その場に崩れる。
「ずっと・・・ 一人だったの・・・? 1000年もの間、ずっと一人でアースを守ってきたの・・・? 私、何も知らなかった・・・ それなのに、それなのに私はっ・・・!!」
ガイアはアフロディーテの頭に優しく手を置く。
「それは違うわ。あなたがいた。一人じゃなかったの」
「どういう、こと・・・?」
ガイアは困ったような笑顔を見せる。
「やっぱり、覚えていないわよね」
「ゼウスが撤退した後、光の玉があなたの居場所を教えてくれたの。どうして光の玉があなたのいた場所を知っていたのかは分からない。けれど、幸運にもあなたは私を除いて生き残ったただ一人の女神。この子だけは、何があっても絶対に守り抜いてみせると誓った」
「私に課せられた使命だと思った。そして同時に、とても救われた気がしたの。独りぼっちじゃないんだって。誰かと一緒に居てもいいんだって」
「元気に育っていくあなたに見て欲しかったの。体感してほしかったの。かつて確かに在ったはずの、私の大好きな街並みを。美味しいご飯を。温かい人々のぬくもりを」
ガイアは大粒の涙を流すアフロディーテの頬を優しく拭う。
「あなたのご両親は帰らぬ人となっていた。その真実を告げる事だけは、どうしてもできなかった・・・ だから、せめて私が母親になると決めたの」
「あなたはなかなか心を開いてくれなかった。当たり前よね。私は本当の母親ではないのだもの。あなたは賢い子だから、きっと本能的に理解していたのね」
アフロディーテをそっと包み込む。
「今までずっと、嘘をついていてごめんなさい。騙すようなことをしてごめんなさい。頼める立場ではないのは分かってる。今更お願いする資格がない事は分かってる。だけど、これだけは信じて欲しい」
「あなたは私の可愛い娘。何よりも、誰よりも大切な私の宝物。誰が何と言おうと、それだけは変わらない」
「だから、あなたのお母さんでいさせてください。これからも、ずっと」
アフロディーテはガイアの腕の中で、何度も強く頷き必死に声を押し殺していた。
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