六節 寸劇
皇女は、よく何かを思いついた。
その日も、部屋の中央で唐突に立ち止まっていた。
しばらくの間、何もない空虚な空間をじっと見つめている。
それから、くるりと振り向いて僕を見るのだった。
「かいちゃん」
「ん」
皇女がちょいちょいと手招きをする。
僕は言われるままに近づいた。
「ここ、お城」
何もない床の一角を、誇らしげに指差す。
僕はそちらを見る。
……何もない。
「ここが森」
反対側を指差す。
やっぱり、何もない。
けれど皇女は、それで十分に満足しているようだった。
「かいちゃん、王子様ね」
「……僕?」
「うん!」
僕は少しだけ考えた。
何が何だかよく分からない。
でも、皇女がとても嬉しそうな顔をしているから、静かに頷いた。
「分かった」
皇女がパッと顔をほころばせる。
それから、ひとりで空想の芝居を始めた。
何もない場所に、彼女の目には豪華な扉が見えている。
大きな窓がある。
深い森が広がっている。
僕の目には映らないものを、皇女だけは鮮明に見つめていた。
「大変!」
突然、皇女が切迫した声を上げてこちらを見る。
「魔物が来た!」
指差された方角を、僕はじっと見る。
やっぱり何もない。
「……どこ」
「そこ!」
皇女が必死に指を差し直す。
僕は、もう一度だけその何もない空間を見つめた。
「……いた」
ぽつりとそう口にすると、皇女が弾けたように嬉しそうに笑った。
僕は静かに腕を動かした。
空を切るように、見えない何かを払ってみせる。
「やったー!」
皇女が歓声を上げる。
「倒した!」
「……終わり?」
「まだ!」
間髪入れずに返事が飛んでくる。
僕は皇女の顔を見つめた。
次は何を思いついたのだろうと思う。
皇女の頭の中では、もう次の物語が動き出していた。
「今度は、私が魔法使うの!」
「……どうやって?」
「今考える!」
僕にはやっぱり分からない。
でも、皇女の中には確かな世界が広がっているらしい。
何もないただの部屋が、皇女の言葉ひとつで城になったり、広大な森になったりする。
僕が少し動けば、それに合わせて物語の展開が変わる。
皇女が動けば、僕もそれに合わせて足を踏み出す。
違うと言われれば、素直にやり直す。
「もう一回!」
「ん」
また一からやる。
「そこじゃない」
「……ここ?」
「そう!」
また動きを合わせる。
何度か同じ場面を繰り返しているうちに、
いつの間にか最初とはまったく違う話に変わっていた。
僕は、皇女の頭の中にある壮大な物語のすべてを理解できているわけではない。
それでも。
言われた場所へ歩いていく。
言われた通りの動作をする。
皇女が楽しそうに笑ってくれさえすれば、それでよかった。
しばらくして。
「かいちゃん!」
「ん」
「次はね――」
また新しい何かが始まる。
僕は、皇女の紡ぐ声に静かに耳を傾けていた。
何もない部屋で。
何もない空虚な場所を見つめながら。
けれどそこには、確かにふたりだけの特別な世界が存在していた。
それが一体何というものなのか、僕には分からなかったけれど。
ただ。
皇女が心から楽しそうだった。
だから僕も、当たり前のようにそこにいた―――。




