八節 即興
それから、何度かそんな日が繰り返された。
皇女は何かを思いつくたび、衝動のままにお芝居を始めるのだった。
今日も、まさにそうだった。
部屋の中央にぽつりと立ち、しばらくの間、何もない空間をじっと見つめている。
「……うん」
納得のいくアイデアが降りてきたらしい。 皇女はパッと振り返った。
「かいちゃーん!」
少し離れたところで待機していた少年が、ゆっくりと顔を上げる。
「ん」
「お芝居しよう!」
かいは皇女をじっと見つめ返す。
「……何の?」
「今から考える!」
皇女はとびきり楽しそうに笑うと、クルリと部屋の中を見回した。
「ここがお城で、こっちが深い森ね!」
何もない空間を、確信に満ちた手つきで指差していく。
「かいちゃんは、かっこいい王子様!」
「……僕が?」
「うん!」
かいはほんの少しだけ思案した。
「……分かった」
皇女の顔がパッと華やぐ。
「私はお姫様ね!」
役柄を決めたその瞬間にはもう、皇女の頭の中では目眩く物語が動き出していた。
何もないはずの壁に、重厚な扉が見える。
透き通る窓が見える。
奥深い森の木々がそびえ立つ。
そしてその暗がりには、恐ろしい何かが潜んでいる――。
皇女はそこに確かに存在するものを見つめるようにして、一瞬で表情を緊迫させた。
「大変!」
かいへと助けを求める視線を向ける。
「魔物がやってきたわ!」
皇女が可憐に指を指す。
「かいちゃん、助けて!」
かいは何もない空間へ静かに視線を滑らせた。
「……どこ」
「そこ!」
かいは静かに立ち上がった。 皇女は少しだけ後ろへと身を引く。
かいは何もない空気を払いのけるように、しなやかに腕を動かしてみせた。
「やったー!」
皇女がパッと顔をほころばせる。
「倒してくれたのね!」
「……終わり?」
「まだまだ!」
皇女は即座に首を横に振った。
「次はね、私がすごい魔法を使うの!」
「……何それ」
「魔法!」
皇女は無邪気に笑った。
「今から考える!」
思いついた閃きを、その場のノリで次々と足していく。
台詞をその場で変える。
動きや展開を塗り替える。
さっきまで深い森だったはずの場所が、いつの間にか未知の空間へと変貌を遂げる。
かいがその即興に自然と合わせる。
皇女もまた、感情のままに舞い動く。
頭の中に描いていた通りに決まれば、心底嬉しい。
イメージと違えば、妥協することなくすぐにやり直す。
「もう一回!」
「……ん」
「今度は、こっちから動いて!」
かいが言われた通りに動く。
「そう、それ!」
皇女は弾んだ笑顔を見せた。
部屋の隅には、メイドのお嬢が優しく見守っている。
少し離れた静寂の中には、護衛の男も控えさせている。
けれど、誰もこの特別な時間に野暮な口を挟みはしない。
皇女がお芝居を始めれば、それはこの屋敷のいつもの温かな日常だった。
皇女は二人の存在を過剰に気にすることもなく、かいとの世界に没頭し続ける。
何度も試行錯誤を重ねるうちに、
最初は影も形もなかった物語が鮮やかに組み上がっていく。
皇女の頭の中にしか存在しなかった幻想が、
かいという存在を通して、ひとつひとつ目の前に立ち現れていく。
その過程がたまらなく愛おしく、楽しかった。
何もない部屋が、壮大な城にも、不気味な森にもなる。
たった一言の台詞から、思いもよらない次の展開が紡ぎ出される。
かいがそこにいてくれるだけで、頭の中のすべてを実際に動かすことができるのだ。
「かいちゃん!」
「ん」
「次はね――」
またひとつ、新しい物語の幕が上がっていく。
そんな愛おしい時間を、皇女は何度も何度も重ねていた。
芝居をしている間、自分は何にでもなれた。
どこへだって自由にいけた。
どんな存在にだって生まれ変われた。
皇女は眩しい笑顔を浮かべた。
「もう一回やろ!」
かいはほんの少しだけ嫌そうな、困ったような顔をしてみせた。
それでも、嫌がることなく静かに立ち上がった。
皇女は、とびきり嬉しそうに笑った―――。




