五節 喪失
ある朝、教室がいつもと違うざわめきに包まれていた。
どうしたんだろうと思いながらドアを開けると、クラスメイトが血相を変えて駆け寄ってきた。
「おい旭! ちょっとこれ見てくれよ!!」
慌ててその子の机の周りに人だかりをかき分けると、そこには、手のひらに収まるほど小さな雀の雛がいた。
「校庭の巣から落ちてたみたいでさ……。すごく弱ってるんだ」
「旭ってインコ飼ってるだろ? なんとかできないか?」
頼りにされる視線の中心で、旭はじっと雀を見つめた。
今にも消え入りそうなほど弱々しく震える小さな生命。
その姿を見た瞬間、旭のなかに強い決意が宿った。
「分かった。できる限りのこと、全部やってみる!」
家に雀を連れて帰った旭は、インコを育てた経験を思い出しながら、必死に、つきっきりでお世話をした。
その甲斐あって、雀は日を追うごとに少しずつ元気を取り戻していった。
クラスのみんなで話し合い、その雀に「スズ」という名前をつけた。
先生の許可をもらい、スズをカゴに入れて毎日一緒に学校へ通った。
授業中も、スズは静かに旭のそばで机の端にいた。
音楽の授業では、みんなの歌声に合わせて楽しそうにさえずった。
家に帰れば、自分の手のひらに乗せて、今日あったことを優しく語りかけた。
旭にとってスズは、ただのペットではなく、かけがえのない「友達」だった。
そんな温かい日々が、ずっとずっと続くのだと信じて疑わなかった――。
けれど、ある日の朝だった。
学校に到着した旭が、いつものようにスズのカゴを覗き込んだ。
「……え?」
指先が凍りついた。
カゴの隅で、スズがぐったりと横たわっていた。
ついさっき、登校する前まではあんなに元気に鳴いていたはずなのに。
「スズ? スズ、起きてよ!」
旭の悲痛な叫び声に、クラスメイトたちが一斉に集まってくる。
「スズが……スズが、変なの!!」
パニックに陥った旭は、カゴを抱えたまま激しく教室を飛び出した。
公衆電話に駆け込み、震える手でテレホンカードを差し込んで家に電話をかけた。
――自分が母に何を話し、どんな声を上げたのか、その時の記憶は全く抜け落ちている。
ただ頭の中は、「助けて」「死なないで」という祈りとも呪いともつかない願いだけで埋め尽くされていた。
けれど、旭の祈りは届かなかった。
スズは、小さな身体のまま、静かに息を引き取ってしまった。
いつも学校で笑顔を絶やさず、毅然とした主人公であり続けた旭の姿は、そこにはなかった。
周りに誰がいようと関係なかった。
涙で視界を真っ暗に染めながら、旭は子供のように声を上げて号泣した。
「落ちた時に、身体のどこかを強く打っていたのかもしれないね」
先生は静かに旭の肩を抱き、慰めるように言った。
「ここまで長く生きられたのも、旭ちゃんが一生懸命育ててくれたおかげだと思うよ」
先生の言葉は優しかった。
優しかったはずなのに、旭の心には、その温もりが一滴も染み込んではこなかった。
(違う。私が何かを間違えたんだ……。私なんかじゃなく、もっとちゃんとした人が育てていたら、スズは死なずに済んだかもしれないのに)
優しさに触れれば触れるほど、果てしない自己嫌悪の刃が、旭の心をズタズタに切り裂いていった。




