二節 創造
皇女は、よく想像の海で遊んでいた。
何もない空虚な空間を凝視したまま、ぼんやりと佇んでいることがある。
けれど、思考が停止しているわけではない。
むしろその逆だった。
頭の中では、絶え間なく何かが脈打ち、動き続けている。
好きなものを見つける。
かわいいと心が躍る。
かっこいいと胸が高鳴る。
愛おしいと心が満ちる。
そうした感情が芽生えると、そこから先は自然と物語が動き出すのだった。
この衣装を、あの子が纏ったらきっと可憐に映るはず。
こういう飾りが、あの綺麗な髪に似合うかもしれない。
この者とあの者が並び立てば、どのような言葉を交わし合うのだろう。
こんな局面に見舞われたなら。
こんな見知らぬ地に立たされたなら。
このような言葉を紡ぎ出したなら。
ひとつ思い浮かべば、また次の情景が溢れ出す。
そこから派生して、新たな世界が生まれていく。
それを止めようと思ったことなど一度もなかった。
止める理由すら、どこにも見当たらなかったからだ。
純粋に、楽しかった。
「……あ」
突如として、皇女が声を漏らす。
さっきまで何も映していなかった瞳が、一瞬にして眩い輝きを帯びる。
「絶対かわいい」
現実には、まだ何一つ形になっていない。
誰かに見せたわけでも、披露したわけでもない。
ただ皇女の頭の中にのみ存在する、幻影。
けれど、皇女の視界にはもう鮮明に映し出されていた。
細部まであしらわれた服も。
そこに浮かぶ愛くるしい表情も。
しなやかに揺れるその身のこなしも。
「これ、いいかも」
思い描き、微調整を加え、より愛らしく仕立てていく。
異なる要素を付け足してみる。
いや、やはりこちらの方が胸に刺さる。
頭の中であれば、何度だって描き直すことができた。
時には、登場人物たちの会話すら滑らかに始まりだす。
この子なら、きっとこう呟く。
そうしたら相手は、少し戸惑いながらこう返すだろう。
けれど、それだと少しニュアンスがズレてしまう。
こちらの感情表現の方が、ずっと愛おしい。
そんな試行錯誤を没頭して繰り返すうちに、
最初には存在しなかったはずの場面が、鮮やかに立ち現れていく。
皇女にとって、それは何ら特別なことではなかった。
大層な創作をしているつもりもなければ、自らに特別な才能があるとも思っていない。
ただ、好きなものに出会うと、想像の翼を広げたくなる。
想像を巡らせる時間が、たまらなく愛おしい。
ただ、それだけのことに過ぎなかった。
そして時に、頭の中の領域だけでは満たされなくなることがあった。
思い描いた一瞬を、実際この目で確かめたくなるのだ。
愛らしいと思えた服があれば、誰かに纏わせてみたい。
似合うと直感した髪飾りがあれば、その髪に挿してみたい。
胸を打つ台詞が浮かべば、声に乗せて響かせてみたい。
魅力的な役割が芽生えれば、自ら演じてその呼吸を感じてみたい。
想像の産物が、現実の目の前に顕現するその瞬間が大好きだった。
思い描いた通りに再現されれば、誇らしく嬉しい。
想像を超えた輝きを見せてくれれば、胸が跳ねるほどに嬉しい。
「……萌える」
ぽつりと、一人で呟く。
それだけで、胸の奥から幸せが溢れ出してくる。
誰かに評価され、褒めてもらう必要などなかった。
社会の役に立つ必要も、何かの役に立つ必要もなかった。
立派な作品として完成させなければならないという義務感も存在しない。
好きだから、思考を巡らせる。
「萌え」を感じたから、世界をどこまでも広げていく。
見たいと切望したから、形へと昇華させる。
それを、皇女は幾度となく繰り返してきた。
まだ名も付けられていない人物。
まだ世界のどこにも存在しない情景。
まだ誰も目にしたことのない衣装。
まだ誰の口からも発せられていない言葉。
頭の中という無限の領域であれば、何だって存在させることができた。
皇女は知る由もなかった。
自らが紡ぎ出している行為に、どれほど特別な意味が宿っているのかを。
一つの世界を構築しているとも思っていなければ、
尊い「創造」を行っているという自覚もない。
ただ愛おしいものを、愛おしいと感じるままに描き出していただけだった。
「……これ、絶対いい」
また新たに、輝かしい一瞬が思い浮かぶ。
皇女の瞳が、ふたたび爛々と輝きを増す。
その瞬間にはもう、頭の中で新たな物語の幕が静かに上がっていた―――。




