四十二節 異変
実家へ帰った旭は、ほとんど無気力な状態に陥っていた。
芝居をすることもなく、日々の営みも最低限をこなすだけ。
唯一、携帯電話で繋がっているあの子とのやり取り。
それだけが、かろうじて続いていた。
しかし、その細い繋がりすらも怪しさを増していく。
初めは、胸の奥から込み上げる小さな違和感と恐怖だった。
なぜそんな感情が湧き上がるのか、旭自身にも分からなかった。
それでも足元から這い上がってくる不気味な恐怖に、
旭は少しずつ狂わされていった。
最初は部屋で一人、泣くだけだった。
それは今まで通りの光景だった。
人知れず枕を涙で濡らすことなど、昔から幾度となくあったことだ。
けれど、涙を流したところで何の解決にもならないことを、旭はまだ知らなかった。
ある日、たまたま妹と顔を合わせた。
妹はいつものように癇癪を起こし、その刃は旭へと向けられる。
容赦なく責め立てられ、悔しくて仕方がなかった。
一人にしてほしかったが、親までが一緒になって追い詰めてくる。
その瞬間、旭の頭の中で何かがプツリと弾け飛んだ。
自分を絶え間なく締め付け、虐げ続けるこの状況が、
突然とてつもなく滑稽に思えたのだ。
「……ははっ!」
俯いていた旭の口から、漏れ出た声。
旭を説教していた両親の視線が、一斉に注がれる。
「旭、何が面白いんだ!」
父親が怒声を上げるが、旭の感情はもう止まらなかった。
「ふふ、あはははははははは!!!」
旭は天を仰ぎ、腹を抱えて爆笑した。
目からは悔しさと恐怖の涙がボロボロと溢れ落ちている。
それなのに、高笑いだけがどうしても止まらない。
「あはははははははははは!」
旭のあまりに凄まじい大爆笑に、両親は気圧され、思わず怯んだ。
長年舞台で培ってきた圧倒的な声量は、
一軒家の壁を震わせ、朗々と響き渡っていた。
両親は恐れをなして距離を置いた。
旭はのけぞるようにして、そのまま自分のベッドへ倒れ込んだ。
それでも、引きつった笑いは止まらない。
「あっはははははははは! はははは!」
呼吸を繰り返すたびに、狂おしい笑い声が溢れ出していく。
自分では一切コントロールできなかった。
意志とは無関係に、身体が勝手に笑い続けているのだ。
「あはははははははははは!!」
慌て果てた母親が救急車を呼ぼうとしたが、
精神的な錯乱症状には対応できないと拒否されてしまった。
両親は、目の前で旭が完全に壊れ、
狂い出していく瞬間を初めて目撃することとなった。
夜深くから空が白み始める明け方まで、旭の体力が尽きるその時まで、
家中に恐ろしい高笑いが響き渡り続けていた―――。




