三十八節 断絶
劇団の仲間は、旭が入団した頃からの仲良しメンバーだった。
事務員とも仲が良く、顔も広かった。
リーダー的な存在だった。
年齢も入団歴も少し上だったその仲間に対して、
旭はこれまで一度も逆らったことがなかった。
だからこそ、稽古場の空気はピンと張り詰めていた。
しかもその作品は、旭が初めて本公演で採用された大切な舞台だった。
きちんとお客さんを呼び、チケット代をいただく、ずっと夢見ていた舞台。
全体の練習時間は少なかったが、旭の演技は演出家が前のめりで舞台に上がって指導をつけるほど、高く評価されていた。
対してその仲間は、激しいダメ出しや改善点を突きつけられることが多かった。
正直、妬みのようなものもあったのかもしれない。
そこから、周囲の環境が一変した。 いつものようにスタジオの扉を開ける。
「おはようございまーす」
いつもなら当たり前に返ってくる挨拶が、その日は返ってこなかった。
不思議に思って旭が顔を上げると、
メンバーたちの冷ややかな視線が一斉に向けられていた。
旭は困惑した。
親しかった仲間の方を見ると、どこか満足げな表情を浮かべていた。
そこで旭は悟った。
(私が何か問題を起こしたと、吹き込んだに違いない)
顔が広く影響力のあった彼女の言葉は、強い力を持っていた。
それを武器にして、旭を悪者へと仕立て上げたのだと理解した。
アフレコのメンバーも、舞台のメンバーも、
次第に旭と口をきかなくなっていった。
視線すら合わせず、舞台転換に必要な場面でさえ無視される。
そうした仕打ちには、過去にも見覚えがあった。
けれど、あまりにも場所が悪かった。
これまで唯一の救いであり、心の拠り所だった場所で、それが起きていた。
そして旭は、あの日自分が口にした何気ない一言が原因なのだと分かっていた。
だから、自分が耐えさえすればいい。
そう自分に言い聞かせていた。
旭は次第に萎縮していった。
無視されるのが怖い。
ここが居場所でなくなるのが怖い。
けれど、芝居は続けたい。
でも、あの子を部屋に置いたまま、
自分だけが好きなことをしていていいのだろうか。
様々な思いが、旭の頭の中をぐるぐると巡り続けた。
そんな状態が数週間続いた、ある日のこと。
スタジオへ向かわなければならないのに、胃が押し潰されるように気が重かった。
そんな感覚は初めてだった。
稽古時間よりかなり早く近くのショッピングセンターに着いた旭は、
激しい葛藤の中にいた。
行くか、行かないか。
ただそれだけの選択のはずなのに、
巨大な重圧が身にのしかかっているように感じられた。
行きたい――
行きたくない。
演じたい――
怖い。
相反する感情に挟まれ、心が張り裂けそうだった。
稽古開始まで、あと十分。
いつもならすでに稽古場へ入っている時間だった。
けれど、あの冷ややかな視線と空気の中に身を置くことが、
そのわずかな十分間ですら耐え難かった。
自分の居場所で、存在そのものを消される恐怖。
それが、旭の全体を支配していた。
息が荒くなる。
視界が歪んでいく。
膝が細かく震えた。
やっとの思いで近くのベンチに腰を下ろし、深く呼吸を整えようとする。
時計を見る。刻一刻と時間が迫ってくる。
動かなければ……
行かなければ……
けれど、怖い。
芝居に対して初めて抱く恐怖という感情に、旭は強く動揺していた。
お芝居そのものは好きだ。
楽しい。
けれど、あの空間だけが、とてつもなく恐ろしかった。
レッスンの前後に訪れる数分間が、旭にとっては耐えがたい苦痛となっていた。
もう行かなきゃ――
頭ではそう分かっていても、なぜか体が鉛のように重く、動かない。
その瞬間、頭の奥でフッと糸が切れるような感覚が走った。
旭はあらゆる思考を手放し、そのままベンチの上で意識を失った―――。




