三十七節 摩耗
旭は日常に戻っていた。
けれど、どうしても拭いきれない問いがあった。
「私は、芝居をしてはいけないの……?」
その思いが、頭から離れなかった。
芝居は、好きだ。
生き甲斐であり、唯一の居場所。
それでもあの子を苦しめてまで、やり続ける価値のあるものなのか。
旭は初めて、深く苦悩した。
稽古時間は長い。
けれど楽しかった。
同じ場面を何度も繰り返し、精度を上げていく。
それにも十分なやり甲斐を感じていた。
けれどそれと同時に、
なぜ自分がこれを続けているのか分からなくなる瞬間があった。
仲間は大切な存在であり、自分を受け入れてくれる確かな場所だった。
それでもどこかで、何か悪いことをしているような罪悪感が消えなかった。
日々の生活も苦しかった。
自分が動かなければ、何一つ回らない。
負担が増すにつれ、旭は稽古に時間を費やすこと自体へ、
わずかな疑問を抱き始めていた。
朝から晩まで付き合えるメンバーもいた。
主婦の団員もいたため、その人が来た時間帯に合わせてその場面を当てる。
いなくなれば、他の場面の完成度を高める。
その繰り返しだった。
旭にはセンスがあった。
だからこそ感覚で動けてしまうことが多々あった。
けれど仲間の中には、それだけでは足りない者がいるのも事実だった。
(でも、そこに私まで付き合う必要はあるのかな……?)
今まで湧いたことのない感情が、静かに芽生え始めていた。
自主練という名の自由時間が、旭をじわじわと苛んだ。
作品を完成させたい、上達したいという思いに変わりはない。
けれど、自分がその場にいる必要のない場面が多すぎた。
旭の胸に、次第に苛立ちが募っていく。
また、この場面か……。
また、あの人の稽古か……。
これまで芝居に対して抱いたことのない奇妙な感情に、あの子の言葉が重なる。
「なんであなただけ、好きなことをしているの?」
旭が愛しているのは芝居なのか、それとも自主練なのか。
その境界が曖昧になっていく。
時間が遅くなればなるほど、あの子は一人きりになる。
負担をかけ、機嫌を損ねさせる。 また、外へ出て行ってしまうかもしれない。
そこまで深く考えていたかは定かではないが、
最終的に自分へ返ってくる報いだけは、痛いほど理解していた。
そんな折、仲間が口を開いた。
「明日は午前中から――」
「待って」
珍しく、旭が言葉を遮った。
これまで芝居の場で一度も人と衝突したことのない旭が。
「―――――」
何を言い放ったのかは覚えていない。
親しかった仲間の顔から、スッと笑みが消え去った。
覚えているのは、その光景だけだった。
旭の瞳は、どこまでも冷たく冷え切っていた。
センスのない者に付き合う時間などない――
そう言わんばかりに―――。




