第87話 喩能と楓
10月10日、月曜日の夕方。
わたし、笹舟喩能は強化合宿を終えて、自室である青龍寮亢宿室に戻って来た。
「あ、おかえり喩能ちゃん」
わたしが部屋に入ると、同室に住まう非常に小柄な少女、羽妙之楓が数学の課題をこなしていた。
「ただいま……」
「だいぶ疲れているね。飲み物でもいる?」
「あの特製飲料なら、いらない」
わたしはベッドに突っ伏す。
昨日、集団戦と昼食を終えた後にも課題は続いた。
旧校舎の掃除や訓練着の洗濯など、ちょっと意味が分からない内容も多かったが。
(いや、本当は分かっているよ。それがわたし達の連携を強化するためだってのは)
連携しようと思えば出来る、わたしの能力ならば、より円滑に。
(だけど……疲れるんだよ)
周囲の環境はわたしの神経をすり減らす。ゆっくり、鑢のようにゆっくりと。
いっそ電磁波感知を無効にしてしまえば、楽になるのだが、そんな制御はわたしには出来ない。
もし出来たとしても、読心無しで人と関われる程に、わたしは人間を信じていないし、信じることなど出来ない。
(だから、これは避けられない、わたしの運命なんだろうね……)
「寝ちゃった? 喩能ちゃん」
そんなことをつらつら考えていると、羽妙之がそう訊いてくる。
「まだ、起きているよ」
「喩能ちゃんが前に書いてくれた楽曲、すごい評判良くてね。来月の文化祭で披露したいと思っているんだけど、いいかな?」
「ご自由にどうぞ」
「ありがとう。それで、喩能ちゃんもベースで参加しない?」
「それは断る」
「だよね、分かった」
羽妙之との距離感は割と心地いい。
彼女はわたしを邪険にしない、だけどわたしが踏み込んでほしくない所には決して近寄らない。
(それが、あの男との経験から来るものだっていうのは非常に不快だけど)
風見宙飛。羽妙之の従兄妹だという少年を、近くで見たのは今回が初めてだ。
けれど、羽妙之が彼と過去に何かがあったことは朧げに推察できた。
風見の内面は異常だ。
鬩ぎ合う二つの大きな力。その一つは羽妙之が抱えているものに似ていて、それぞれはそこまで悪いものではない。だが、二つが混ざり合うことで気持ち悪いくらい不気味なものとなる。
しかし、それを些事に思えてしまうほど問題なのは、その奥から漏れ出る醜悪な程に、まっさらな感情。
わたしはそれに耐えきれず、真神にあんなことを言ってしまった。
誰かに吐き出したかったというのもあるが、真神のことが少し気がかりで。
(気がかり……?)
らしくない。わたしがあんな平凡で普通な少年のことを気にしているというのか?
まあ、わたしを前にしても普通でいられるところが、彼の普通ではないところなのだと思うけれど。
(なんにせよ、疲れたから、少し寝よう)
そんなことを思いながら、わたしは眠りに落ちていった。




