第86話 笹舟喩能
「うぅ、辛いなぁ……」
ぼく、真神雷哉は、涙を滲ませながら激辛カレーを食べていた。
幸い、飲み物として牛乳も用意されている。舌が耐えられなくなるたびにそれを流し込み、どうにか食べ進めていた。
(それにしても、本当にぼくらが代表チームに勝てるなんて……)
先ほどまで行われていた模擬戦を思い返す。
勝ったという事実に、未だ現実味がない。
だから素直に喜べないのだと思ったが、理由はそれだけではなかった。
笹舟喩能。
彼女が途中で勝負を放棄したことに、納得できていないのだ。
あの時、ぼくが壊した紙玉は一つだけだった。にもかかわらず、彼女は残り二つを自ら握り潰した。
その光景が、模擬戦を終えた今も意識に引っ掛かっている。
(一人で考えていても埒が明かない。直接訊いてみよう)
ぼくは牛乳を飲み干すと、喩能のもとへ向かった。
「笹舟さん、隣に座ってもいいかな?」
喩能は代表チームが作ったカレーの皿を前に、難しい顔をしていた。
(うわぁ、すごい色だ。何を入れたら、そうなるんだろう?)
「真神くん……好きにすれば?」
喩能はぼくの顔も見ずに答えた。
(勢いで来てしまったけど、何て訊けばいいんだ? 思考を読めるなら、何も言わなくても伝わるのかな)
そんなことを考えながら、ぼくは彼女の隣へ腰を下ろす。
「思考が読めるからって、話さなければ全部伝わるわけじゃないんだよ?」
喩能が眠そうな目をこちらへ向けた。
「模擬戦でのわたしの行動について、真神くんが何か悩んでいるのは分かる。でも、それでわたしに何をしてほしいの?」
「何かしてほしいわけじゃないよ。ただ、理由が知りたいんだ」
ぼくは一度息を吸う。
「どうして笹舟さんは、あんなに簡単に勝負を諦めたの?」
「別に、勝敗の見えている戦いを、長々と続ける意味は薄いと思っただけ。ただの模擬戦で最後まで粘ったところで、わたしが得るものなんてないから」
「でも、だからって……」
「みんなが真神くんみたいに、誰かから認められたいと思っているわけじゃないんだよ?」
その言葉に、ぼくは口を閉ざした。
「人は優れた者を賞賛するけれど、行き過ぎた能力は怖れや妬みを呼ぶ」
喩能は自分の皿へ視線を落とす。
ぼくは、そこでようやく気づいた。
人の思考を読めるということは、自分に向けられた恐怖や嫉妬、嫌悪まで、否応なく受け取ってしまうのか。
「ごめん。笹舟さんの気持ちも考えずに……」
これまでのぼくは、才能のある人をただ羨んでいた。
優れた力さえあれば、自分に自信を持てると思っていた。
けれど、大きすぎる才能が、その持ち主を傷つけることもあるらしい。
「……真神くんは、わたしの能力を知っても身構えないんだね」
「えっ?」
「ほとんどの人は、心を読まれることを恐れて、わたしから離れようとするよ。離れずにいてくれたのは兄様くらい」
そこで喩能は僅かに目を伏せる。
「そんな兄様でさえ、わたしの前では電光石火を使って、思考を読まれないようにしているのに」
(笹舟先輩が電光石火を修得した理由の一つは、彼女のためだったのかもしれない)
「真神くんも電光石火を使えるのに、どうして使わないの?」
「いや、今は敵同士じゃないし……」
「そう……」
喩能が、僅かに口元を緩める。
「君は馬鹿なんだね」
初めて見た、年相応の柔らかな表情だった。
「ちょっと、いきなり酷くない?」
不意に胸が高鳴り、ぼくは慌てて顔を逸らした。彼女に対しては、無駄な行為なのだろうけれど。
その時、旧校舎から出てくる風見宙飛の姿が目に入った。
(風見くんも、笹舟さんと同じなのかな)
四月の授業で、巌倉先生の生み出した岩の鎧竜を、風見は巨大な竜巻で薙ぎ払った。
しかし、その力を今でも完全には制御できていないみたいだ。
彼もまた、自分では扱い切れない才能を抱えているのだろうか。
「あんなのと一緒にしないで」
喩能の声が、急に険しくなった。
「えっ?」
振り向くと、先ほどの微笑が嘘だったかのように、喩能は不機嫌な表情を浮かべていた。
「真神くん。君は良い人みたいだから、忠告しておく」
喩能の目が、遠くにいる風見へ向けられる。
「風見宙飛には、気を付けた方がいいよ」
「それは、どういう意味? 風見くんに何かあるの?」
「わたしには、分からない。あんなものを腹に抱えて、どうして何食わぬ顔で生きていられるのかが」
結局、喩能はそれ以上、風見について何も話してくれなかった。
食事と残りの課題を終えると、補欠チームは解散となった。
玄武寮へ戻る途中、ぼくは隣を歩く風見へ尋ねる。
「風見くんは、笹舟さんと何かあったの? 君の中に、何か変なものを感じたみたいなんだ。気を付けた方がいいって言われた」
風見は少しだけ目を見開いたが、すぐにいつもの気怠げな表情へ戻る。
「笹舟さんとは、話したこともないよ。でも誰だって、汚いものは見たくもないだろうからね」
風見の口元に、自嘲的な笑みが浮かぶ。
それきり、風見は黙り込んでしまった。
ぼくは幼い頃から、優れた才能を欲しがってきた。
けれど、喩能は才能のために人から離れ、風見は自分の才能ごと、自分自身を嫌っているように見えた。
才能とは、持っているだけで人を幸せにするものではないらしい。
それ以上の答えが、一朝一夕で出るとは思えなかった。




