第65話 式神の術
9月29日、木曜日。体育祭の喧噪も落ち着いた午後。
戌亥訓練場には、一年玄武組の生徒たちが揃っていた。
「本日は『式神の術』の実習を行う。自分の属性に適合する媒介石を受け取り、座学で説明した通り、早速試してみろ」
巌倉先生の声に従い、生徒たちは備品委員から媒介石を手渡される。
水には水晶、火には赤碧玉、土には黄碧玉。
それぞれが自分の固有属性に合った石を握りしめ、次々と式神を呼び出し始めた。
僕、風見宙飛は、翡翠の小片を手にしていた。
風の属性を持つ僕には、この緑の輝きが与えられている。
「あれ? なんでだ……」
しかし、どれだけ意識を研ぎ澄ましても、翡翠から生じる光は形にならない。
「……狼を想像したんだけどな」
傍らでは真神雷哉が、困ったように呟いている。
彼は玉髄から薄黄色の光を生み出し、子犬のような式神を顕現させていた。
周囲を見渡すと、鹿深珪晶の傍らには、硝子細工のように透き通る日本鹿が立っていた。
由密ざくろは、妖しい椿の花を宙に咲かせている。
そして、勿朽流華の手には、艶やかな黒い蛇が纏わりついていた。
「……凄いな」
僕は思わず息を呑む。
黒いシマヘビ。なら、烏蛇と呼ぶべきか。
その式神はしなやかにうねり、勿朽の腕を伝って滑るように動いていた。
「……すんなり出てきた」
烏蛇の鱗を指先で撫でながら、勿朽はぼそりと呟く。
冷淡な横顔に、わずかながら満足そうな笑みが浮かんだ気がした。
「勿朽さん、まるで苦もなく呼び出せるんだね」
「理屈じゃなくて、感覚で掴むだけだよ? ……君こそ、まだ出ないの?」
いつも通りの冷たい視線を受けて、僕は焦りを覚える。
「うん。媒介石にいくら力を注いでも、全然形にならなくて……」
もう一度、翡翠の欠片を強く握り込み、精神を集中させる。
けれど、光は生じるが、形になる寸前でほどけてしまう。
「……風見、あんまり肩肘を張るなよ」
いつの間にか近づいていた傷代苅砥が、渋い顔で腕を組んでいた。
「うん、分かってはいるんだけど……あれ、傷代くんの媒介石は?」
「俺のような影属性の忍びは、まともに媒介石なんて支給されない。だから、こういう授業じゃ最初から呼び出す術もない」
「……そう」
その声音には、苦々しさが滲み、口調からは諦観が伝わってくる。
「……ま、慣れたけどな」
影属性への風当たりが強いという噂は聞いていたが、こうして本人の口から聞くと、やるせない。
(挑戦できるだけ、まだましなのかな……?)
「……風見くんには向いてないのかもね。式神は、自然と呼び出せる人とそうでない人がいるらしいから」
再び口を開いたのは勿朽だった。烏蛇の下顎を撫でながら、淡々と言い放つ。
「そうなの?」
「才能が、露骨に出る術なのかもね。……私の場合は、才能というより呪いかな」
確かに彼女の言う通り、僕は験力の操作が苦手だ。
しかし、ここまで何もできないのは不自然にも思える。
「……やっぱり駄目だ」
僕は歯噛みしながら、翡翠を見下ろした。
どうしようもない無力感が、胸の内側に沈んでいく。
「無理にやらなくていいんじゃない? 時間の無駄かもよ」
そんな僕を尻目に、勿朽は烏蛇を自分の媒介石である水晶へと還した。
「でも、なんで無理なのかが分からなければ、納得はできないよ」
呟いた僕の声は、小さく響いた。
「……」
けれど、その言葉を否定はされなかった。
あるいは、興味もないのかもしれない。
「……僕に何が足りないのかを見つけたいんだ」
僕は翡翠を掌に包んだまま、そっと目を伏せる。
「ふぅん。……じゃあ好きにすれば」
勿朽の声は、どこまでも冷静だった。
その瞳の奥に何が揺れているのかを、僕は知らない。
こうして、僕の初めての式神を呼び出す実習は、不発に終わった。




