第62話 最後まで
ぼく、真神雷哉は迷っていた。
このまま戦うか。それとも、逃げるか。
傷代の術でなんとか時間は稼げている。けれど、敵の圧力は一向に衰えない。
「やはり、この術はそんなに長くは持続できないようだね」
風切先輩がにやりと笑う。床に落ちていた手裏剣が、かたりと震えた。
夜庭の術が限界に近づいている。
床に広がっていた影が少しずつ薄れ、その分だけ、先輩たちの動きは滑らかさを取り戻していた。
「……くっ」
ぼくは双剣を握りしめた。
けれど、痺れた腕は思うように上がらない。
(こんなところで……終わるのか?)
呼吸が浅い。身体の芯から、力が抜けていく。
風切先輩の手裏剣が鋭い軌道を描く。
煤御先輩の黒鎖が、蛇のようにうねる。
その時、ようやく気づいた。
(違う。ぼくの役目は、ここで立ち向かうことじゃない)
勝てないことは分かっている。
なら、勝てない相手に勝つことを考えるな。
(無様だろうが、最後まで逃げ延びる。それが、ぼくの役目だ!)
ぼくは戦闘ではなく、撤退に意識を切り替えた。
けれど、簡単に逃げられるほど甘くはない。
手裏剣と鎖が迫る中、ぼくは地を蹴って避ける。
避けるだけで精一杯だった。
その先の道筋を考える余裕など、どこにもない。
「おっと、逃げるつもりかい?」
風切先輩が手裏剣群を操り、進路を塞ぐように配置する。
「……っ」
絶望が、視界の端から滲んでくる。
そこへ、煤御先輩の黒鎖が迫った。
鈍い音がした。
だが、その音源はぼくではなかった。
倒れていたはずの鹿深が、ぼくを庇うように黒鎖を受け止めていた。
「真神くん……手前が隙を作る……行け……っ!」
かすれた声。その言葉が、痛む身体を奮い立たせる。
鹿深の指先から、小さな黒玉が転がった。
「暗煙玉っ!」
次の瞬間、闇色の煙が廊下を塗り潰す。
ぼくは走った。振り返らない。
傷代も、鹿深も、置いていく。
どれほど情けなくても、今のぼくにできることは、それしかなかった。
「逃がさないよ」
背後から、風切先輩の声が聞こえる。
煤御先輩の鎖が床を擦る音も、すぐ近くまで迫っていた。
(逃げ切れないのか……)
そう思った時、肌の産毛が逆立った。
「貴様ら、少しばかりやり過ぎではないか?」
低い声とともに、空気が震えた。
玄楡棟の階段から、笹舟先輩が悠然と姿を現す。
「あぁ、笹舟が来る前に決着をつけたかったんだけどね……」
風切先輩が肩をすくめる。
「残念だったな。ここまでだ」
笹舟先輩の周囲に雷が走った。
「ここで笹舟とやり合うのは、割に合わないね」
「……」
次の瞬間、二人の姿は廊下の奥へ消えていた。
「……助かり、ました」
膝をつくぼくの肩に、笹舟先輩は軽く手を置く。
「逃げるのも戦術のうちだ。よくやった」
その言葉で、ようやく息ができた。
十数分後、体育祭の終了を告げる鐘が響き渡る。
ぼくは勝てなかった。誰一人、倒せなかった。
それでも、鐘が鳴るその時まで、大将であり続けることだけはできた。
戦いは、終わった。




