第114話 涼の文化祭其の弍
白楸棟二階の片隅。模擬店も無く人通りの少ない区画に、店の仕事を終えたおれ、折霜涼は訪れていた。
「やあ、待っていたよ」
地図に記された教室に足を踏み入れたおれは、椅子に腰掛けていた朝槻依陽から、声を掛けられる。
「説明して貰うぞ。おれの名前と、おれがこの学園の生徒だってことを知っていた理由、そしてあんたがここに来た理由を」
おれは彼女を強く睨みながらそう言う。
「一つ目の質問は教えられないな、まぁ小生には色々と伝手があるとだけ言っておこうか。二つ目の小生が此処に来た理由はね……折霜くん、君に頼みたいことがあるからだよ」
朝槻はおれの威嚇にもどこ吹く風だ。
「頼み事? それに伝手って、あんた一体何者なんだよ?」
対しておれは、その返答に困惑する。
「小生は筑波大学二年生、人文・文化学群所属の朝槻依陽さ。それに、綾文京介という名義で小説家もやっている」
言って朝槻は鞄から一冊の本を取り出した。
題名は『狂言遣いと蝦蟇の赦』。
「それは、来週発売の狂言シリーズの新刊。……あんたが著者だったのか」
「ほう、知っていたんだ」
「おれの彼女がそのシリーズのファンでね」
「御影紫苑か、君達はだいぶ親密なカップルらしいね」
紫苑との関係まで知られている事に、おれは一層警戒心を強める。
「親密とは言うけど絶賛喧嘩中なんだよな」
だが、それなのにおれは現状に愚痴を言ってしまう。
「へぇ、そうなんだ。小生で良かったら相談に乗るよ?」
「彼女の誕生日をおれが忘れてしまったんだよ」
おれが投げやりにそう言った、その時だった。
閉じていた扉が音を立てて開く。
「……涼くん、その女は誰?」
現れたのは黒髪の少女、御影紫苑だった。
「紫苑!? これは……」
「浮気? いくら私が最近冷たいからって……いや、その女が涼くんを誑かしたんだよね。待ってて、すぐに始末するから」
虚ろな目で紫苑は言いながら近づいて来る。その右手には黒光りするドスが握られている。
(やばい、久々のヤンデレ状態だ。どうする……?)
「やあ、君が紫苑ちゃんだね。小生は綾文京介、君に渡したいものがあるんだ」
おれが状況についていけずに固まっていると、朝槻が言いながら紫苑に近づく。
「綾文、京介……?」
その名前に、今にも朝槻に襲い掛かろうとしていた紫苑の身体が静止する。
「折霜くんから頼まれていた贈り物さ」
言って朝槻は手に持っていた狂言シリーズの新刊を、紫苑に手渡す。
「渡せなかった君の誕生日プレゼントの代わりにね。そうだ、サインも付けてあげよう」
唖然とした表情で本を受け取った紫苑に構わず、朝槻はその本にさらさらと署名を書き入れる
「あ、ありがとうございます……?」
「礼だったら折霜くんに言うんだね。君の機嫌を損ねてしまったことを気に病んで、小生の所まで頭を下げてきたんだから」
「涼くんが……!?」
そう呟いておれを見る紫苑に対して、おれは精一杯自然になるように笑いかける。
「……ああ、遅くなったけどな」
嘘が苦手なおれのことだ、朝槻がまくし立てた真っ赤な嘘を受けて、引きつったような笑みを浮かべているのだろう。
「涼くん、ありがとうっ」
しかし紫苑はそれには気づかなかったようで、感動を隠しきれずおれに抱きついてきた。
彼女の抱擁を受けながら、おれは嬉しさと罪悪感との間で揺れていた。




