<ハイディングエントリー>
快適な気候の弧状列島ヤマトにも、土砂降りの日ぐらいはある。その日のフォーカードの四人は鞄やら外套やらを雨避けに、ひたすら湾岸都市の道を駆け抜けていた。背後からはからころと雨に似つかわしくない乾いた音が追いかけてきていたが、空き家に飛び込んでそれをしのぐ。足音が自分たちを探すように、扉の向こうでさまよっている。
肺から喉のあたりがつっかえたような不快感に、シオリは咳き込んで様子を伺う。追っ手は、もう来ないようだった。
「はあ、はあっ……最悪……! なんで毎回こういうろくでもないの引くんだか……」
誰に言うでもない恨み言を吐いて、シオリはずぶ濡れの身体を壁に預ける。いつもなら太陽の香りを吸った黒髪も、今日はべっしょりと濡れてくっついている。エゴもそうだった。銀の髪を腕や胸元に貼り付けて、慎重に窓から様子を伺っている。ヴィクトールは楽器を心配しているし、レンダリルは体力の消耗を防ぐために身を縮こまらせている。こんな有様でも、誰一人として服を気にする余裕なんてなかった。
それほどまでに、今、この漁村は過酷な状態なのだ。疑う余地もない。間違いなく、この漁村において〈冒険者〉は狩られる側なのだと、シオリは窓の外から見える赤い眼光をねめつけた。逃げ遅れた冒険者が、たかがスケルトンに蹂躙されている。
シオリは、この最悪の引きについて、ひとまず拾い損ねた情報がないか思い返してみることにした。
そもそも、フォーカードがこの漁村に訪れたのも、このところ活発な緑小鬼たちを退治した帰りだった。曇天模様の空から、ひとしずく雨粒が落ちてきたことが、思えばはじまりだったかもしれない。降り始めこそ穏やかだった雨が、一歩進むごとに勢いを増していったことを、シオリは覚えている。
「うわっ、やばい! 降ってきた!」
「ううーっ、勘弁してくれたまえっ!」
みんながみんな荷物やら外套やらを傘代わりにして、大慌てで近くの漁村に転がり込んだ。その頃にはすっかり濡れ鼠になっていた。シオリは肌に張り付く衣服の冷たさと気持ち悪さを、今でもありありと思い出せた。
「お邪魔します……って、何ここ」
シオリたちが辿り着いたのは、漁村の宿屋だった。黒雲たちこめる空模様とはいえ、宿の中は妙にぴりぴりとした空気に満ちていて、お世辞にも居心地がいいとは言えない状態だった。宿の一階にたむろする人々の目は、みんなどこかぎらついて、見る側を不穏にさせる。
「よう、同業者。雨とは災難だったな」
皆が皆、その瞬間を押し黙って待っている。そんな雰囲気の中、シオリたちに声を掛けたのはドワーフの男性だった。シオリはひりついた空気から逃れるべく、彼の側へと歩み寄る。
「どうも。何か催し物でもあるのかい?」
「あれっ、知らずに来たのか? そりゃ、ますますお気の毒だな。見ての通り、テーブルは空いてないから、座るならオレと同席だぜ」
ドワーフの冒険者はシオリたちの不運を聞いて、意外そうに目を開いた。彼は椅子を引いて、シオリが同じ席に座れるようにと気遣ってくれる。
「ううっ、靴下までべったべただ……」
シオリが席につく後ろで、ヴィクトールが靴を脱ぎたそうにかかとを浮かせたり付けたりしている。その横では凍えて青息吐息のレンダリルがいて、男性陣は何とも悲惨な有様だ。
「二人とも着替えてくるかい? 私は平気だからさ」
「うん、着替えてくるね」
シオリに返事をしたのはエゴだった。レンダリルと連れ立って着替えようとしたヴィクトールが、慌てふためいて『彼女』を制止する。
「ちょちょちょ、ちょっと待ったぁっ!」
「何?」
「エゴ。落ち着いて聞いてほしい。君は今、男性じゃない」
あいにくとエルダー・テイルに中性や無性の選択肢はない。見た目的に、エゴはどう足掻いても、華奢な銀髪の美少女なのだ。シオリは何食わぬ顔で着替えてこようとしたエゴに指摘する。そうすると、彼女は失念していた様子ではっと目を丸くして、ほのかに冷えた頬を赤らめ、すぐに「そうだった」と肩を落とした。
「女子と着替えするのは、その、俺も、ちょっと駄目だろって思う!」
「じゃあ、まずダリルかな。早く着替えてきなよ……死んじゃいそう……」
「がんばれ~、法儀族~」
シオリの勧めとヴィクトールの気のない声援に、レンダリルは、くしゅんと返事の代わりにくしゃみをした。エゴを華奢と表現するなら、彼は痩躯だ。いつも身体を温めてくれている厚手のローブや首元のファーは、今はたっぷり含んだ水のついでに彼の体力も吸っている。「そうすゆぅ」と、もう言葉も覚束ない有様で、彼はべちゃべちゃのローブとブーツを引きずって、一足先に着替えに行った。マイコニドはシオリの足元で適当に踊っている。主とは対照的に、こちらはまったく心配なさそうだった。
「突然、雨に降られてね。私は問題ないけど、他の皆がさ」
代わりばんこで着替えをして、フォーカードは席についた。めいめいアキバ産のタオルを手に、席に腰掛けて申し訳程度に残った水を拭き取り始める。戻ってきたレンダリルがエゴの長い髪をタオルで丁寧に拭き始めた頃、冒険者は再び口を開いた。人の良さそうな、快活な笑みがシオリの目に映る。
「やー、仲間はいないし、この空気だろ。心細くてさ、助かったぜ。オレはセンコウ。ここにいる面子と同じ冒険者さ」
「私はシオリ。依頼帰りに通り掛かっただけだよ。で、ここで何があるんだい?」
「ふふふ、聞いて驚くなよ。ここでは『外見変更ポーション』が配布されるのさ」
外見変更ポーションとは、読んで字の如く冒険者の外見を変える薬である。大災害で多数の人間がゲームキャラクターと同じ姿で放り込まれた瞬間、これの存在は人によって喉から手が出るほど欲しいものへと変貌した。
例えば、性自認が女性であった者が、男性の肉体で降り立ってしまったとする。外見変更ポーションを使えば、その狂おしい違和感を解消できるのだ。繊細な者であるなら、微調整で身長の差から来る苦痛なども解消できるだろう。この魔法の薬は、アイデンティティの維持になくてはならないものなのだ。現在、ロデリック商会が外見変更ポーションの廉価版を研究している最中で、販売目前の噂はあるがあくまでも『噂』である。未だ全ての項目を調整できる外見変更ポーションの需要は高い。
というわけで、シオリは冒険者の殺気を理解した。これは自分の尊厳や一攫千金の戦いなのだと。それは、ピリピリして当然だ。
「っていうか、エゴはあれから違和感ないのか?」
「別に……むしろ慣れてきてるかも」
ヴィクトールが首を捻る。このように、性転換しても問題く振る舞うエゴのような人もいるので、一概に必須とは言いがたい。だが、深刻な人間はいくらでもいて、それが救われた方がずっといい。シオリはとりあえず目の前の特例に目をつぶって、センコウの話の続きを聞くことにした。
「この頃、緑小鬼の動きが活発なのは知ってるだろ?」
「そうだね……他の亜人間も、それにあてられてか活性化してるように感じるかな」
「あいつらがどうして活発化したか、説明できる奴はいるか?」
とっさに、シオリはレンダリルを見た。エゴの髪を乾かし終えた彼も、僅かに椅子を寄せて会話に入ってくる。
「心当たりはないな。月の運行で活性化するという話は聞いたことがないし……」
「ずばり。イベントだ」
ぴっと人差し指を立てて、センコウは言った。そこまで話して、やっとシオリに心当たりができた。彼女は手を叩いて、声を上げた。それからカバンの中の地図を見て、再確認する。
「あっ、思い出した。やっぱりそうだ。ここ、去年、サマーフェスタがあったとこだ!」
エルダー・テイルにも季節に関連するイベントはいくつかある。有名なのは冬のスノウフェルだ。地域ごとに様々な催しが行われるこの大々的なイベントは、ほとんどの場合プレイヤーにとっても恩恵があるものだった。例えば、限定のモーションやマウント、大盤振る舞いのアイテム配布などがそれである。そして、それは夏にも行われる。シオリはエリアこそ違うが、別の場所で夏祭りを楽しんでいたのだ。夢中でスイカの皮をかぶったモンスターを追いかけていた記憶が蘇る。ささやかな思い出だ。
「そういえばそうだ。こっちには来てなかったけど、同じような感じかな?」
「やったなあ。レベル上げの合間とかに、サマー・フェスタ限定装備でスイカモンスターを叩いて、景品貰うの」
「あったあった」
エゴが地図を覗き込んで、ふんわりとした優しい微笑みを見せる。センコウもうんうんと頷いている。
「で、サマー・フェスタが行われるだろうって予測を立てた冒険者連中が、この『酔っ払いオオトラ亭』にこぞって集まってるってわけだ」
「ちなみに、開始はどれぐらいかね?」
「去年の今頃、0時更新だったはずだ」
シオリは酒場の壁掛け時計を見た。0時まではもうすぐ。そうすれば、おそらく二階に冒険者がダッシュをかけてサマー・フェスタ装備を身につけ、レイドイベントで出現するであろうモンスターに躍り掛かるだろう。外見変更ポーションを求めるわけでもないシオリは、それならとうーんと伸びをした。雨が止むまで休んで、あとはアキバの拠点に向けて帰ればいいのだと。
だが。そうはいかなかったのである。
0時きっかりになり、冒険者が動こうとしたその時。酔っ払いオオトラ亭の扉が勢いよく開け放たれたのだ。あまりの剣幕に、シオリは湿った髪を毛羽立たせながらドアを見た。シオリだけではない。他のフォーカードの面子や、待ちわびていた冒険者たちも、一斉にそちらに頭を向ける。
「た、大変、だ、スイカが、スイカが攻めてきた……あああっ!!」
そこには一人の冒険者が倒れていた。背後から攻撃を受けた彼のHPゲージが、無情にも0を示す。大神殿への送還が始まっている。光の泡になって消えゆく冒険者を、他の者たちはぎょっとして眺めていた。否、真に見ていたのは、トドメを刺された彼の後ろであったかもしれない。
爛々と光る眼光と、骨の身体。これだけなら、何だスケルトンだと笑ったやもしれない。だが、その頭には干からびたスイカの皮が、兜のように鎮座していた。
「焦るなっ! サマー・フェスタが始まったって証拠だろ、二階に装備が――」
それでもまだ冒険者はびっくりするだけで立ち向かえた。二階に飛び込めばサマー・フェスタの装備は手に入るのだから。実際に、冷静な冒険者はすぐに二階に駆け上がっていった。
けれど、二階の階段から今しがた装備を取りに行った冒険者が転がりながら落ちてきて、目の前で大神殿へ送還された時、生存者たちは今度こそ凍り付いた。二階から、いるはずのないスイカ頭のスケルトンが徒党を組んで駆け下りてきたと知るや否や、そこかしこからパニックに陥った冒険者たちの悲鳴が響き始めた。統率などあったものではない。スケルトンに囲まれ、袋叩きにされた冒険者から死ぬ。シオリたちは、間一髪のところで宿屋から、雨の中に転げ出た。
「逃げろお!! ダメージが通らねえ!!」
「うわああああぁっ! 嫌だぁぁ! スイカになんか殺されたくないぃ!!」
後はもうただの虐殺だった。夏祭りに浮かれていた冒険者は、突如として『狩られる側』になったのだ。




