<大難小難>
その建造物は森とほぼ接地する郊外にあった。鴉によく似た原生生物がギャアギャアと声を上げ、飛び交っている。フォルム自体は四角いのに側面をブチ抜くねじれた枝が禍々しさを主張して、どうにもダンジョンのような風合いを放っている。
行き交う冒険者たちは何となく「うわっ」といった顔で建造物を見て、森の方へと歩いて行く。悪い意味での名物なのは間違いない。縁起の良さとは無縁の建造物だ。
「これアタリじゃね? ほら、入って確かめてみようぜ!」
しばらく無表情で見上げていた三人は、意外と中はいいかもしれないと思い直してヴィクトールの後ろをついていく。その姿はさながら魔力電池切れの意思なき機構である。元気なのはマイコニドばかりだ。
「ところでシオリ、そのべたべたは一体……」
「妖精にめちゃくちゃ遊ばれた……もう寝たい……」
エゴがシオリを心配そうに見やる。彼女の装備は水透蜜でべたべたになり、柄を握るのさえ億劫さになるレベルだ。彼女はしょんぼりとした様子でうなだれている。心なしかポニーテールの位置も下がっている。
「お? 蛇口は機能するみたいだぞ?」
小走りでヴィクトールが風呂場を覗く。人が住んでいなかった分だけ埃っぽいが、ぼろの蛇口を捻れば水は出た。エゴがするりと風呂場に入り込んで、そのメカニズムを観察する。
「うーん、さすがにお湯は出なさそうだけど、水回りに困らないのは助かるね。シオリ、先に水浴びする?」
「あー……そうしよっかな。さすがにこれじゃ、仕事するのも寝るのも無理……」
どこから買ってきたのか、甲斐甲斐しくエゴがいろいろなものを取り出してシオリの世話を焼き始める。ここは任せても大丈夫だろうと、レンダリルとヴィクトールは二人を置いて家屋の確認を始めた。
入り込んだ木の葉や砂を払ったりしなければならないとはいえ、壁や床の状態自体はそこまで悪くはなさそうだというのが二人の意見だった。カーペットや壁紙が下手に配置されていなかったことが幸いしたらしい。質素な階段の下にはささやかな倉庫がついている。人によっては居心地のいいそこは、何となく休憩所になりそうだった。とはいえ、即決で決めたことを気にして、レンダリルはヴィクトールに問いかける。
「本当にこれで良かったのかね?」
「住めば都って言うじゃん?」
にひひと聞こえてきそうな笑みを見せて、ヴィクトールは二階をうろうろと小走りに歩き回る。「三角の部屋だ!」「かっけー!」と、何かを見つける度リアクションをするので、まるであちこちから彼の声が聞こえてくるようだ。レンダリルは自然と和んで、強ばっていた腕や肩をうーんと天井へ伸ばした。
(いろいろと杞憂、というか……私が勝手に気を張っていただけだろうかな)
まだ状況が完全に把握できていないアキバへ赴く。それでひょっとしたら、初心者狩りや意地の悪い相手に絡まれるかもと警戒していたのだ。確かに、このアキバに悪意はある。それらが全て拭えるとは到底思えない。疑念や不和など、一ヶ月もすれば腹一杯だろう。それでも、冒険者は円卓会議を作り上げて、なけなしの善性を片手に法治を為そうとしているらしい。
レンダリルはそっと窓から身を乗り出して、〈銀葉の大樹〉がある方へ視線を投げかけた。数年に一度、全て銀に染まるというその葉は、今はまだ瑞々しい緑だ。今頃の日本よりも爽やかな風に吹かれて、若い葉が揺れている。
「……確かに、住めば都かもしれんなあ」
笑んだ彼のぽつりとした呟きは、誰にも聞こえないまま、ゆるりと空気に溶けていく。返事がない代わりに、賑やかな声が一階からも二階からも響いていた。
「にゃーん」
和やかな雰囲気に猫の鳴き声が一つ追加されたのを耳にして、レンダリルは身を乗り出したまま玄関の方に頭を向ける。見れば、何やら箱を持った田中ではない猫人族が立っている。ドアをカリカリと引っ掻いて、いかにも猫といった風だ。シオリはまだ水透蜜と格闘しているだろうしと、彼はフットワーク軽く階段を降りて玄関の戸を開く。
「どなたかな?」
「にゃあ」
そこにいるのはやはり猫めいた猫人族であった。手に持っていた箱を差し出している。レンダリルがそれを丁重に受け取ると、彼はくしくしと再び手で顔を洗い始めた。その服の胸元にある天秤のバッヂを、レンダリルはギルドホールで見た事があった。
「あ。さっきの猫!」
「おや、シオリ。知り合いかね?」
水透蜜を洗い流し終わったシオリが、髪の毛を拭きながら現れる。その後ろから、エゴも興味を抱いた様子でついてきている。レンダリルが振り返って問いかけると、シオリはうーんと眉を寄せた。
「なぁーん」
「知り合いっていうか、トラブルに遭ってたのを仲裁したっていうか……」
何やらばつが悪そうにシオリがタオル越しに頭を掻く。エゴも『妖精に遊ばれた』事情を知ると、さすがに不服げな顔で彼女を見上げている。レンダリルは改めて猫人族の名前を見る。そこにはやはり、和解とだけしか書いていない。和解は一貫して、猫で在り続けている。
「『和解』はできたのかね?」
「まあ、一応は。素材なくしちゃった人も、泣きながら何度も頭下げてくれたし」
聞くに、だんでりおという冒険者が和解とぶつかり、水透蜜の瓶を落としてしまったことがきっかけであったらしい。三人で薬草園まで出かけて行って、どうにかこうにか水透蜜を取り戻したというわけだ。
「にゃぁぁん」
和解はそのまま一鳴きすると、たったと玄関からアキバの街中の方へと駆けていく。首を捻るレンダリルだったが、ロールプレイの邪魔をするのも無粋だと、箱の中身を検めてみようと思い直す。
まだテーブルもない我が家のリビング予定地に、シオリたちと車座になる。その頃には二階の探検も終わって、ヴィクトールが階段から降りてくる。
「何? お客さん?」
「客が置いていったものだ。今開けるところだよ」
レンダリルが皆を見回して箱を開ける。すると、たちどころに漂う、香ばしく甘い香りがあった。
「クッキーだ」
エゴが声を上げる。中に入っていたのは粗熱が取れたばかりのできたてクッキーと、手紙が一通。なんだかんだで歩き回った冒険者の空きっ腹を、甘味の蠱惑的な香りが刺激する。レンダリルは関係者であろうシオリに声を掛けてから、ひとまず手紙を取る。
手紙は〈アキバ冒険斡旋所〉から、和解を助けてくれたことへの感謝状だった。
曰く、和解は初心者狩りに遭った被害者であり、今は伝達役として保護されている身の上であったらしい。猫でも意思疎通ができるツールを鋭意作成中とのことで、本人の意向を踏まえて猫として扱ってあげてほしいというメッセージが記されていた。また、〈円卓会議〉の名の下に設立された冒険斡旋所では力量にあった適切な冒険の案内をしているので、是非利用してほしいとのこと。そこまで読み切ってから、初めてレンダリルはクッキーに手を伸ばした。さくさくほろほろの感謝の印は、使った頭に糖分を回してくれそうだった。
「へえ、その辺のこともケアしてくれるんだ」
「おんぶにだっこではいけないだろうけど、助かるね」
「ああ、それでさっきの和解殿は天秤のバッヂを身につけていたわけだな……」
他の冒険者たちより一歩遅れてアキバに入って来たフォーカードとしては、願ってもない話であるのは言うまでもない。レンダリルは和解の胸元のブローチについても理解を示した。なるほど、彼は〈円卓会議〉や〈アキバ冒険斡旋所〉の伝令役の一人、もとい一匹ということなのだと。
「どの道、アキバである程度日銭を稼ぐことはせねばならんだろうし、願ってもない話だな」
「そうだね。じゃ、明日からヴィクトール借りるから」
「明日から!?」
「大丈夫。90レベルなんてすぐだよ。僕もレベル揃えておきたいし」
エゴの特訓に連れて行かれるヴィクトールに心の中で合掌しつつ、レンダリルもここから先の労働先などを考えていた。が、〈料理人〉はおそらく需要があるだろうしと考え始めたところで、シオリに呼びかけられた。
「ダリル」
「何だね?」
「クッキー食べなよ。先のことはともかく」
「……そうだな」
あっという間になくなってしまいそうな焼きたてクッキーをもう一枚手に取って、レンダリルはそれを頬張った。先のことはいつだって不透明で、見えないものだ。それでも、そのことばかり考えるのはやめて、たまには休息を取ろう。口の中に広がる甘味は、そうした心の余裕というものに呼びかけてくれる。
「ん、おいしい」
そう呟いて、レンダリルは建造物の中を吹き抜ける心地良い風に目を閉じた。心の中の吹雪は止みはしないけれど、この温かさがあればもう少し進んでいけると、彼は誰にも言わず思って笑みをこぼした。
◆
(良い人だったなあ~! 俺もちょっととげとげしすぎてたかも……)
その頃、初心者冒険者だんでりおは水透蜜を届けきってから、今日の出来事を振り返っていた。今日助けてくれた武士は、格好いいタンクだった。気だるそうに見えて、戦いになると狼のように飛び掛かっていく。勇猛果敢という言葉がよく似合う女性だった。
思えば、猫人族の方も悪い猫ではなかった。彼は彼で己のするロールプレイの範疇で、対応しようとしてくれていただけだ。そう思えば、だんでりおのささくれた心持ちは、ほんのりと和らいだ。
「やー、たんぽぽくん。配達お疲れ様ぁ」
「あっ、ミントパイセン! お疲れ様っす!」
アジトで休憩し、今日の出来事を思い返していた彼に声が掛かる。彼は顔を上げて、人好きのする人間の青年に笑いかける。
ミントパイセンというのは愛称だ。正しい名前はヒューミントである。彼は一仕事終えた様子でテーブルに上半身を預け、だるさを隠さぬ様子を保ちながら、微笑んで顔だけをだんでりおへ向ける。癖のない短めの茶髪は、ほんのりと土埃の香りを漂わせている。
「どこまで行ってたんすか?」
「ちょっとミナミの方にね」
「えっ、ミナミ? というと、エンタクカイギとは無関係じゃないすか」
「そ。地球に帰るためには、外の情報も欲しいでしょ? 情報もバランスの取れた食生活が肝要ってわけ」
だんでりおも壁際から立ち上がって、テーブルの方へ移動する。椅子に腰掛けてヒューミントを見れば、彼はちゃんと身を起こして相対してくれる。いつも愛想のいいお兄さんだと、だんでりおは思っている。彼が胸から下げたメダルが、細身のチェーンの先で揺れている。非常口のピクトグラムのような模様が記されたそれは、ヒューミントの手作りだ。
これは『同じ志を持ったみんなが持っている』。もちろん、だんでりおもポケットに入れて持ち歩いている。これはだんでりおたちにとって、一種の符丁だ。彼らは小さな秘密結社の一員なのだ。
「でもミナミ戻るのやだな~。潜入にはギルド抜けなきゃダメだし、あっちの協力者は結構キツくてさ。たんぽぽくん、僕の代わりに行かない?」
「アキバでの留守番がいなくなっちゃいますよ、センパイ」
「だよねえ……。君は引き続き、アキバに陣取ってレベルアップついでに様子見してて。情報には耳を傾けて。あくまでもさりげなくね」
「うっす」
どうやら、ミナミでの活動は芳しくないらしい。だんでりおも代われるものなら代わってあげたいとは思うものの、レベルの低さが彼の足かせになっている。レベル90であるヒューミントの代わりはいないのである。少なくとも、今はまだ。
「とりあえず、今日は報告して、水風呂入って寝るよ」
「お疲れさまっす。休んでください」
席を立ち、ひらひらと手を振りながらヒューミントが去って行く。その背中を眺めながら、だんでりおはミナミにいるという結社の一員について想いを馳せていた。ヒューミント曰く、とんでもなく人使いが荒い妖術師らしい。自分たちの大目的――地球に帰ることを第一に考えてくれる分にはいいのだが、いかんせん協調性に欠けると言っていた。
(どんな人なんだろうなあ。ミナミの協力者……)
何も知らないだんでりおは、ポケットから符丁のメダルを取り出して、一人で突っ伏しながら金細工を眺め始める。狙うは全てを出し抜いて地球へ帰還すること。共通ギルドさえ持たぬ無名の自分たち。その名を轟かせるにはあまりに早く、あまりに無力だ。
自分も強くなって、いつかあんな格好いいひとになれるだろうか。人知れず、初心者冒険者はまた別の冒険者に憧れて、夜を超えていく。
幕間はこれで終了になります。次のセッションログを小説にするまで、しばらくお待ちください。




