<臆病者のフーガ>
その頃レンダリルはといえば、ギルドホールの帰りに田中商店と連絡を取り、アキバの大まかな情報を確保していた。
つい先日、アキバに統治機構〈円卓会議〉が発足したということ。悪さをする者は消滅したわけではないが、たぶんこれから良くなるだろうといった雰囲気が流れているということ。そういうわけで、いよいよアキバも一致団結して動きだそうといった風潮であるといった話を田中はしてくれた。
《ってわけで、まあ、良い方に向かってるんじゃないかな》
《おおまかには把握した。田中、悪いんだが円卓会議に参加しているギルド一覧などはあるかね?》
《あ、ちょっと待ってな。確かメモしてたから……あった》
田中が〈円卓会議〉に連なるギルドの名前をレンダリルに伝える。ひとつひとつ、彼は名前とギルマスの名前を聞いて記憶を辿っていく。生産系ギルドの最大手である〈ロデリック商会〉〈第8商店街〉〈海洋機構〉には彼も聞き覚えがあった。そもそも彼もクラフターであるからだ。〈グランデール〉と〈RADIOマーケット〉は中小ギルド代表で、決して大所帯ばかりが統治機構に参加しているわけではないと安心させてくれる。
言うまでもなく、〈D.D.D〉や〈ホネスティ〉〈黒剣騎士団〉、〈西風の旅団〉といった戦闘系ギルドの鉄壁の布陣も確認できた。この手の情報収集に余念がないであろう〈シルバーソード〉がいないのは意外だったが、もしかしたらもっと別のことに回っているのかもとレンダリルは推測する。『大所帯ばかりが統治機構に参加しているわけではない』。それは翻って、大所帯が必ず参加したがるという意味でもない。フォーカードがそうであるように、全てのギルドが政治に手を出すとは限らないのだから。
《そうそう、食事もだいぶ改善されたんだ。クレセントバーガーは美味かったなぁ、へへ》
《最新鋭の食事に触れられなかったのは惜しいところだなあ。それで、あと一つのギルドは?》
〈三日月同盟〉の話を聞いた時、レンダリルはちょっとだけクレセントバーガーを食べられなかったことを後悔した。ついこの間、悪徳ギルド〈ハーメルン〉を解体し、かなりの初心者たちが救われたという話を聞いて、正直ほっとしていた。
《〈記録の地平線〉だな》
《そのギルドだけ聞いたことない名前だな……リーダーは?》
《ほら、あの〈腹ぐろ眼鏡〉。シロエだ。〈放蕩者の茶会〉の》
「!」
レンダリルはついこの間、〈放蕩者の茶会〉の話をシオリとしたことを思い出した。彼らの全盛期の噂はレンダリルも知っている。もちろん、無期限休止も。丁度、彼がスキル振りをソロドルから変えて、休止した時の頃の話だ。
他人事だけれど、彼らもこの大地を踏みしめているのだと感じると、なんだか嬉しい気持ちになった。休止してしまうほどの何かがあった彼らの時間が動き出すのは、知らない立場からしても安心するから。なので、「そうか」と穏やかな返答だけ田中に返した。
《とりま、取れた情報はそんなもんだな。後で露店でなんか買ってくれよ?》
《どの道、そちらに行くさ。改めて、情報提供感謝する》
《どういたしましてだ、ドルイド殿》
田中商店との念話を切り上げて、レンダリルは街角に腰を下ろした。そうして、休憩がてら自分の裡へ耳を澄ませた。これは彼がセルデシアに放り込まれた後、しばしばやる行動だった。
(さて。アキバに来て変わるとは期待していなかったが、相変わらず何も『見えん』な)
心に耳を傾ければ、吹雪のうなり声が聞こえてくる。命が死にたえる嵐の音だ。
蓮田 理は、本来、かなり気の弱い人物である。生まれてこの方抱えてきた後ろめたさが、彼を凍えさせている。もちろん、何も罪は犯していない。彼はただの一般人だ。ただ、生きていること自体が間違っているような気がするという漠然とした痛みが、彼の魂を凍傷に追い込んでいる。
無論、嘘偽りなくフォーカードは居心地のいい場所だった。心のベクトルが微塵も動かぬ色恋の話をせずともよく、自分は年長者という外套を着ることができる。それで許される。だからこそ、あの子たちを元の世界に返してやらねばと奮起することもできる。休止前にまじない医になったのも、何かの縁なのだろうと明るく信じられる。それも許される。
でも、本当に伝えなければならないことを、伝えていないのではないか?
(今後のことを考えれば、言わなければならんとは頭では理解しているが、こればかりは……)
レンダリルの心の中で、寒風が止むことはない。
彼にとって一番の問題。それは、記憶がないことだった。これはエルダー・テイルに来る前からだ。
正確に表現するならば、自己の来歴のみが曖昧に曇っている。両親もいるはずだが顔を思い出せない。否、ひょっとしたら何らかの補助を受けた孤児だったかもしれない。そのレベルで認知が異常をきたしている。『正しくなかった学校生活』という不安感情と記憶を抱えて社会に出て、プログラマーになり、システムエンジニアに昇格されたのは覚えている。出身地も、学校名も、好きな食べ物も、愛した読み物も輪郭を失って久しい。ただ、ゴミ一つないからっぽの部屋と職場を行き来し、ストレスフルな生活をフォアグラ用のガチョウのように注がれて生きていた。エルダー・テイルのことだって、ノウアスフィアの開墾実装当日まで忘れていたほどだった。ありていに言えば、彼は死に瀕した社畜だったのだ。
(ああ。このまま死ぬんなら、数年ぶりに、アップロードぐらい……しときたい、かも。あそぶこと、できるか、わからないけど……)
彼がセルデシアに紛れ込んだのは、その日、過労で熱を出して早退して、パッチ実装直前あたりにふと目が覚め、なんとなくエルダー・テイルに手を伸ばした偶然の重なりに他ならない。
――何の生産性もない人間未満がよ。
上司の言葉が不意に蘇る。レンダリルはとっさに苦痛を漏らしそうになった口を片手で覆い、もう片方の手で胸を押さえた。昔は何も感じなかったのに、今は明確に『痛み』を感じる。凍り付いて強ばった魂がきしむ。その心痛は、鈍化した痛覚でも和らがない。
そう、レンダリルと蓮田理の間には奇妙な隔たり、人格の乖離があるのだ。蓮田の時に焼き切れていた感覚が、今になって取り戻されている。中身をこぼして空っぽになりかけていた彼は、今、不自然に十全なのだ。その理由を、レンダリルは密かに探している。
「……」
過る影はある。あのインクの怪物、ナントゥルだ。目が合った時の言い知れぬ感覚を、彼は覚えている。肉体ではない、もっと奥にあるものがざわめく気配――あれに近寄ってはいけないと本能は告げているが、あれがヒントを持っている気がしてならない。かといって、シオリたちを巻き込んでいいのかと彼の中で善性と臆病さがわめいている。いつかは打ち明けねばならないとも。ふみだすゆうきと言い出した彼こそ、そのタイミングを逸している。それは許されない。
そもそも、この外套を羽織り始めたのはいつからだったろう?
思い出そうとすればするほど、記憶に白い霜が張る。駄目だ。無駄だ。いつもと同じ。考えたって堂々巡りだ。律して目の前のことに専念を――レンダリルは身の裡から聞こえる猛吹雪のうなりを、そっと遮断した。彼が自らの深淵を覗く時、いつでもそこに雪が降っていた。
《おーい、レンダリル。終わった?》
彼を思考の雪原から引っ張り上げたのは、ヴィクトールからの念話だった。彼は顔を上げて、念話に応じる。
《うむ。ギルドホールの貸し出しについては調べ終わった。今ちょうど田中商店の店に赴こうと思っていたところだ》
《お。座標分かるんならそっちで合流するか。こっちにはエゴもいる》
《全員そちらにいるのかね?》
《いや、シオリはエリア外にいるみたいだぞ。念話が繋がらない》
《外に? 何かあったんだろうか》
《ヤバい案件なら俺たちに連絡すると思うし、ひとまず田中の店で合流しようぜ》
《あいわかった。すぐ向かおう》
実際にヴィクトールの言う通りだとレンダリルは思った。立ち上がって、自分の状態を確かめる。幸いにして、冒険者の身体は思ったよりもタフだ。貧弱に定評のある法儀族でも、他の冒険者たちと等しく歩いていける。彼は迷いなく、合流に指定された座標へと急いだ。
アキバの街は人混みの割に清浄な空気で、歩けばおのずと爽やかな気持ちになる。ヴィクトールのところに合流する頃には、彼の具合はすっかり良くなった。
「おっ、来た来た! おーい!」
「遅くなった。そちらはどうだね?」
ヴィクトールが手を振るのを見つけて、レンダリルは何気なく呼びかけて歩み寄った。ヴィクトールの側には、田中商店とエゴもいる。ヴィクトールに続いて声を上げたのは田中だった。
「よーす、さっきぶり!」
「うむ、田中も元気そうで何より。露店の方はどうだね?」
「露店キャラだけあって、備蓄はしっかりしてたからなー。おかげさまで商売繁盛だぜ」
右手を挙げて招き猫のポーズを取って、田中がひげを動かしてマズルの根元まで笑ってみせる。実際に彼の露店を見てみれば、〈大災害〉前にメインキャラで収集したであろう、様々なアイテムが並んでいる。
「目玉の外見変更ポーションは売れちまったけど、まだいろいろあるぜ~」
「俺からすると知らないアイテムも結構あるからさ、どうしよっかってエゴと相談してたとこ」
「魔触媒買ってアイテム加工するのどうって話してた」
二人の言葉を聞いて、レンダリルも売り物を覗き込む。露店に並ぶのは便利品のスクロールやポーション、かつてクエストに欠かせなかったアイテムはもちろんのこと、道具そのものに魔法を吹き込む触媒などもあった。
彼が目にしたのは、くすんだ革でできた小柄なポーチだった。機密性に優れ、かさばらない。望まぬ効果にアイテムを巻き込まない、小さな鞄。これは〈防水ポーチ〉だった。
「今後、どこに行くか分からん以上は、防水ポーチが欲しいな」
「安くしとくぜ。大雨の強行軍でも中身をしっかり守ってくれるからさ」
「では、私はポケットマネーでそれを買おう。魔触媒だが、作るアテはあるのかね?」
田中に金貨を渡しながらエゴに訊ねると、彼女はちらとヴィクトールの真新しい装備を見た。
「僕らが非力なのはもう嫌ってほど分かってると思う。全体的なDPSが足りないんだ。となると、ヴィクトールを強化するのが一番早くて安上がりかなって」
「安上がりって」
「まあ、シオリは〈秘宝級〉の太刀を持っているようだし、ヴィクトールを底上げするのが早いな。今の状態でエゴが火力を伸ばすとヘイトがな……」
「やっぱレベルの低さかーっ」
「キツい狩り場なら知ってるよ。三日で同じぐらいにできるけど、やる?」
「ひっ」
さりげなくヴィクトールの特訓が確定したところで、レンダリルは田中からいくばくかの日用品と魔触媒を購入した。魔触媒はアイテムにおまけ効果をつけるために必要なものだ。例えば『脈動の』がついた腕部アイテムは、ハートビートヒーリングなどで使われる再生回復量を増やすことができるといった具合だ。しかし、魔触媒を集める面倒さを考えると、使っている人は少ないといった印象を彼は持っている。便利なアイテムには、相応の代償がつきものなのである。
「これ将来的にスキル再振りもアリ?」
「かもね。ダージュは雑魚散らしにはいいけど、ボスにはあまり効果的じゃないから」
「ぐぐぐ。エンチャとバードでDPS争いすることあるかよぉ……」
「駄目なら僕が前線に出るから」
「させるかよ! 見てろよ!」
エゴの指摘は躊躇がない。が、それは相手に伸びしろと食らいつく意思があるからこそである。レンダリルはそんな微笑ましい年少組の様子を見守りつつ、田中の露店を眺めるのをやめた。「まいどあり」と愛想良く笑う田中が、今は心強い。
二人であれやこれや相談しているのを眺めていたレンダリルは、ふとフレンド一覧を見る。シオリからの念話の気配に気付き、彼はエゴたちに軽く合図をしてから念話を始めた。
《レンダリルぅ……》
《シオリ? 外に行っていたと聞いているんだが、どうしたんだね?》
《疲れた……休めるとこがほしい》
《合流も無理そうかね?》
《いや、それはやる……いまどこ……銀葉の大樹に行くのも面倒……》
命に別状はなさそうだが、何やらげっそりした声を聞いて、レンダリルは首を捻る。休む場所とは言ったが、ギルドホールの賃貸料は案外、馬鹿にならない。シオリを待つ間、レンダリルは三人と住居について相談することにする。知人の露店の側で駄弁る様は、いかにもエルダー・テイルの冒険者スタイルだ。
「部屋別の賃貸料がこうなんだが、これが長いこと続くと火の車になると思ってなあ」
「うーん、そうだね。僕も土地の買い切りがいいな。その方が安上がりだよ」
維持費を見たエゴは、口元に指を当てて悩んだ後、頷いた。
「建造物の修理自体はできるみたいだしな。郊外ならまだ何かあるだろ」
田中もひげをちょいちょいと弄りながら、助言をくれる。安物件に転がり込むというのは、いささか治安が心配である。が、そうも言ってはいられないだろう。ここは森呪遣いレンダリル、ちょっと奮起して安くて良い感じの物件を見つけてくることが年長者としての役割ではなかろうかと、張り切って立ち上がった。
「じゃあ、このかっこいいやつでいいだろ。えい」
「ああーっ!? 私の決意がーっ!?」
ヴィクトールはその未来を行っていた。彼はさくっと安物件に登録してしまったのである。




