<鏑矢>
マクスフィンたちの処遇の決定や、体調不良対策のポーションなどを用意するにあたり、不具合修正の決行は翌日となった。イズミの街の神殿へ、シオリたちはフィセットを伴い向かう。
もしかしたら初日、泣きながら来るかもしれなかった場所の奥に、物言わぬ石作りの壁が佇んでいるのをシオリは見た。
「少し下がっていてくれ」
道案内をしていたフィセットが自らの家の紋章がついた指輪を翳す。すると、石作りの壁は自ら意思を持つように移動し、彼女から身を引いて一つの穴を形成した。
「驚いた。意志なき機構か」
「アルヴの恩恵というのは、今もどこかに残っているということさ。こちらへ」
レンダリルがそう呟くと、フィセットは小さく頷いて、ランタンに明かりを灯す。冒険者たちは彼女の後ろをついて、螺旋階段をぐるぐると下り始めた。
階段の一段一段が意外と大きい。フィセット、レンダリル、ヴィクトールに続き、シオリが一度振り返る。エゴはいつもの白いワンピースに着替え直していた。彼女の持つ羽根ペンがほんのりと輝いて、まるで彼女自身が光っているように見えた。
「大丈夫?」
「ん、平気」
一番小柄なエゴが苦労しているのではないかとシオリは心配したが、それは杞憂だった。
それからしばらく、冒険者たちは沈黙してフィセットに追従した。長い長い沈黙に耐えきれなくなったのは、ヴィクトールだった。
「この階段って昔からあるのか?」
「ああ。ずっと昔から、我らアイギール家が管理している」
ヴィクトールがぴょんぴょんと軽やかに段を降りながら訊ねた。フィセットは彼に返事をしながら、階段を降りきって次の扉を開く。
「これはどこに続いているのかね?」
「記録に近いところだ。そこに君たちに不具合を与えた何かが潜り込んでいる」
「……」
レンダリルは黙した。それが彼の思案特有の気配を帯びていたので、シオリは念話で呼びかけることにした。
《ダリル、何か思うところがある?》
《ああ、いや。すまんな。大したことじゃない。〈パルムの深き場所〉がこんな感じだったなと思ってな》
《エッゾに続いてるとこだっけ》
《そう、〈妖精の輪〉もあったし、サンドリヨン以来行ってないがなあ……》
《何だっけ、それ。あー、と……パッチの名前だっけ》
シオリからすれば、それはこの世界に触れる前から存在するものである。とはいえ、多少は知っている。九番目の大型アップデート〈サンドリヨンの遺産〉といえば、死霊が原の攻略が最盛期であった時代である。そのパッチの話は、一つの記憶をシオリから引っ張り出す。
《〈放蕩者の茶会〉が全盛期だった頃か……さすがに私は知らないな》
放蕩者の茶会はプレイヤーの間では有名な集団である。同じギルドに所属しているわけでもない二十七人の個人プレイヤーの集まりで、少人数ながら幾多ものレイド踏破記録を作ったと言われている。
シオリは当時そこにいなかったものの、茶会の存在は知っていた。目立つ集団は、よくも悪くも話題にのぼるものだから。
《どこかにいるのかなあ、茶会の人》
《いるかもしれんぞ。何せ、久々の大型パッチだ。楽しみにしていた者もいただろう》
顔さえも知らぬ彼らにシオリは思いを馳せた。そんな時代の潮流に最前線で晒されてきた人々も、ひょっとしたらどこかでセルデシアの朝日を拝んでいるかもしれないのだ、と。
「着いた。ここだ」
最前列を歩いていたフィセットが足を止める。そこにあるのは、巨大な門だった。
フィセットが指輪を翳すと、重々しい音を立てて入り口が開く。最初に感じた青い光に、シオリは目を細める。それは、いつかレンダリルが語ってくれた、超硬・超密物質地層の輝きだった。
いかなる者も、一粒たりとも持ち帰ることの叶わない、青いきらめきで満たされた世界。そこに、ガラスのようなもので覆われた通路が見える。そしてその透明な通路の上から、さらさらと輝く金の砂が落ちてきて、音もなく底へと流れて行く。
底を覗けば、暗がりに金色が吸い込まれていく。それは、夜に溶け行く天の川のようだった。
この場所こそが、地平より遠く離れた、セルデシアの地の底なのだ。
「……何が潜んでいるか分からない。十分、注意してくれ」
「分かった。マクスフィンたちをよろしく」
無論、大地人のフィセットを連れていくわけにはいかない。シオリは彼女に言い残して、最初に一歩踏み出した。
寒い、暑い。そのどちらでもない、『何もない温度』とでも表現すべき奇妙な感覚が、シオリの肌をぶしつけに撫でた。彼女は通路の奥をひと睨みして、慎重に歩き出す。
さして歩くことなく、異様な存在は、すぐに冒険者の目に留まることとなった。
「何これ……きもちわる……」
「うわっ、何だこりゃ……」
先行していたシオリとヴィクトールが口を揃えて眉をひそめる。
それは、ガラスにへばりついた黒い塊だった。血管のように広がり、脈動し、不安定に膨れたり縮んだりを繰り返している。生理的嫌悪感が、シオリの神経を駆け回った。
「ステータスは見える?」
「いや……見えんな」
エゴとレンダリルが、後列から目を凝らして黒い塊を観察する。二人とも、これがモンスターではないかと疑ったのだ。だが、二人の予測に反して、脈動する塊から、データの類いを検出することはできなかった。
「くんくん」
「ちょ、ちょっと、エゴ!」
不意に、エゴが黒い塊に鼻を近づけてにおいを嗅いだ。あまりに無警戒な対応に、シオリがびっくりして割って入る。一歩引きながらも、エゴは首を左右に傾け、唸る。
「これ、文房具のお店で嗅いだことあるかも……」
「文房具?」
「僕が雨宿りに入った時――」
「いや、それも気になるけどそこじゃなくて」
エゴの身の上話も気になるが、どこから何が起こるか分からない空間である。シオリはその香りについて訊ねてみる。エゴはしばらく唸った後、思い出せないといった様子でレンダリルに視線を向けた。
「これ、嗅いだことない?」
「……、いや。嗅いだことも何も。書庫でしょっちゅう嗅いでいる」
警戒しながらレンダリルも周囲の匂いを確かめる。そうして、彼は小さく頷いた。
「間違いない。『インク』の匂いだ」
「そうだ。うん、インク」
「インク? これが?」
「動いてるぜ……?」
レンダリルの回答にエゴがしきりに頷く。シオリとヴィクトールは警戒しながら、脈動するインク塊を観察する。ガラスと青い地層と比較すれば、これが異物であることは間違いない。
だが、これを撤去する術がシオリたちにはない。
「……この中を進むのか」
シオリは、インク塊が蠢く奥の通路を眺める。インクは奥に行けば行くほどガラス面を覆っている。もっと奥に原因がある。彼女の直感はそう告げていた。
「……ッ、いかん! シオリ!!」
不意に、レンダリルが声を張り上げた。一拍遅れて、シオリはかすかな音を感知する。はっとして彼女はその場から飛び退るが、その腕に何かが掠める。黒い、インク塊でできた針のようなものだと目視する。
「うわっ……!?」
後方からヴィクトールの悲鳴が聞こえる。だが、シオリは彼の悲鳴に振り返ることができなかった。
傷を受けた場所から、じっとりとした疲労感が滲み始めた。それは、サブ職業が領主になってから受けていた倦怠感を、よりひどくしたようなものだった。身体の内側、内臓より奥を触られているような、不快な感触。
「う、ぐ……」
それが全身を駆け巡って、徐々に収まっていく。彼女は大太刀を支えにして、波が収まるまで歯を食いしばる。
身構えること、しばし。それ以上、正体不明の攻撃はやってこなかった。
「ぅ、おえ……」
吐き気にヴィクトールがうずくまっている。レンダリルが様子を見るが、ヴィクトールは手を彼に向けて大丈夫だと告げている。どうやら、レンダリルとエゴは難を逃れたようだった。
「……!」
シオリは、今しがた自分の腕を掠めた針が落ちたあたりを睨んだ。インク塊が大きく膨らみ、そこから徐々に何かのかたちを為そうとしている。
「敵襲!」
間違いなら間違いでもいい。全員に警戒を促すよう叫んで、シオリは大太刀を構え直した。
インクは歪に盛り上がり、やがて一つの輪郭を形成するに至る。影そのものが急に立ち上がったような不穏な気配。それでいて、エルダーテイルをプレイした者なら誰もが見る、『平均的』な上背の『ヒューマン』の姿。それが二つ、行く手を阻むようにうねって、立っている。
「……Bot?」
同じ顔。同じ背丈。同じ挙動。それを見たレンダリルが、ぽつりと呟いたことで、シオリの頭は彼らがなにものかを理解する。
そう、誰でも見た事がある姿だ。なぜなら、これはキャラクリエイトの初期設定だから。
『エルダーテイルで最も多く存在する冒険者』だが、『もっとも多く消息不明となり』、『どこかに放置され続けるもの』。
審判ののち、闇に消えゆくもの。
それは、不正ツールで育まれるBotによく似ていた。




