<ライカーシャドウ>
倉庫の中にフィセットの姿はなかった。つまり、彼女は未だイズミに帰還していない。
冒険者たちを引っ立てたシオリは、彼らをアイギール邸の一室に押し込んで、暴れないように腕を組んで見張っていた。
「そんな怖い目で見なくてもいいじゃないか」
レンダリルの作ったサンドイッチを食べながら、暗殺者が呆れたように呟く。
「おお、味だぁ……」
「この薄焼き卵の塩加減とケチャップの酸味がシンプルでいい~っ!」
彼らは驚くほど毒気を失って、久方ぶりに味のする料理に舌鼓を打っていた。薄焼き卵とケチャップだけのシンプルなそれは、シオリも味見したが確かに味がした。
(料理人が手料理をすれば、できる。ただし、複雑な手法には縛りが出る――)
シオリは彼が料理していたところを思い返す。これは、ヴィクトールづてに話してもらった情報を、実際にレンダリルが試してみた結果だ。サンドイッチや串焼き、クッキーなどは作れたが、彼は手順の複雑な菓子は作れなかった。馴染みの黒いどろどろになってしまったのだ。
だが、シオリは作れた。二者の差は何かと、互いのステータスを見比べたところ、シオリの方が料理人のレベルが上だったのだ。
料理人が二人いるということは、レベル差による確認ができる。それはまた、冒険者たちにとって今のセルデシアを知るきっかけになった。
「なあ、なんであんたらはNPCに肩入れするんだよ」
武闘家が未だに理解できないといった風で、シオリに問いかけた。シオリは腕組みを解かないまま、彼の方へ頭を向ける。
「それが、私たちの『一週間』だったから」
「んん?」
「あんたたちが満たされない食事の解決方法を探している間に、私たちも大地人について多少知ったってこと」
シオリは素直に一週間の間に見た大地人の生活について語った。死人はリスポーンすることがない。彼らのやりとりは人間のように複雑で、およそAIにできるようなレベルではない。
「それが本物であれ、虚構であれ、答えは同じさ。私たちは、人間のように対処をしなければ、いずれ彼らから排除される」
「じゃあ、私たちが殺した野盗は――」
「『彼らなりに生きてた』ってことだよ。許される生き方ではなかったろうけれどね」
守護騎士が青くなって、仲間たちと顔を見合わせた。シオリはやっと腕組みをほどいて、彼らの側に歩み寄り、しゃがみこむ。
もう、自分たちはポテチ片手に遊びでここにいるわけではないのだ。それは、この守護騎士たちにとっても酷であるとは感じていた。
「誰かが知らない土地で夜明けを見ている頃、私たちも何かを見つけている。それが、食事への希望であったり、大地人の生活だったりするってだけ」
慰めにはならないだろうとは思ったが、シオリはそう言った。冒険者たちはサンドイッチに視線を落とした。彼らだって、決して元は残忍ではないのだと、シオリは口に出さず思う。
「私はシオリ。あんたたちの名前は?」
代わりに、名前を問うた。ウィンドウでプレイヤーネームは見えていても、自己紹介はする。それが、自分たちのしてきた冒険者としてのコミュニケーションの一環だからだ。
「……私はマクスフィンだ」
最初に、守護騎士が名乗った。
「俺はサカマキ。そっちはロティール」
「もごもご」
自分の名を名乗ってから、武闘家はくいと妖術師に親指を向けた。妖術師は小動物のように縮こまって、サンドイッチを頬張りながら会釈をした。
「月夜」
暗殺者はといえば、そっけない返事だけをした。シオリは彼らの名前を覚えた。そして、フレンドリストの誘いをした。だけども、強要はしなかった。
「今、ここの領主様は出かけてる。最終的な判断は彼女に任せるつもりだけど、私たちもあんたたちが殺したり食べたりした分、贖罪ができるように掛け合ってみる」
「……そうか」
「案外、悪くないよ。地に足つけるのもさ」
シオリは初めて、彼らに柔らかく微笑んだ。それは、決して仲間に向けるものと同じではなかったけれど、少なからずショックを受けたマクスフィンたちの心を多少癒やすことはできたようだった。
「おーい、シオリ。交代! あと差し入れ!」
シオリが彼らに沙汰を言い渡したと同時に、ヴィクトールが何かを手にやってきた。ほのかな甘い香りにシオリが彼の持ち物を覗き込むと、そこには一本のパウンドケーキとナイフがあった。
「レンダリルはまだやってるのかい」
「『簡単な菓子』のラインがこれらしいぜ。ほい、シオリの分」
彼は手早くナイフでパウンドケーキを切って、シオリに差し出した。私たちの分はと呼びかけるマクスフィンたちに、ヴィクトールはにやにやと笑って自分の歌を聴いてくれたらと呼びかけた。
不服げなサカマキたちの声に、パウンドケーキを切りながらの、ヴィクトールの元気な反論が飛ぶ。
「変な気は起こさないように」
「今更行く当てもないしねえ……今後のことについて、こっちでも相談してみるさ」
「……助かる。じゃ、私はこれで」
シオリは役目を終えたのでと、最後に頬杖を突いた月夜と言葉を交わし、パウンドケーキを受け取って部屋を出ようとした。
「あんたらも感じてるんだろうけど、ここはゲームじゃない。現実かどうかも私は怪しいと思っている……サブ職業なんて、今までほとんどただの飾りだったじゃないか。ひょっとしたら、他のサブ職業も何か変化してるかもしれない……」
その背中に、マクスフィンの声が掛かる。シオリは視線だけ向けて、続きを促す。
「今も、何か変わってるかもしれないんだ。気を付けてな」
背を向けたまま、シオリは軽く手を挙げた。そして、パウンドケーキをかじりながら、階段を上る。
もちろん、シオリだって忠告は百も承知だった。ここをただのエルダーテイルとして認識していると、とんでもないことになる。野盗を知らず知らず殺してしまったマクスフィンたちのように。
かといって、地球と同じ法則で動く『現実』と思うのも、何か違う気がする。何かがおかしいのだ。
ポニーテールのあたりを気味の悪い感触が走って、シオリは頭を振るった。そうして、いつも自分たちがたむろしている大部屋へ移動した。
「あ……」
そこに、レンダリルがいた。ソファに痩躯を預けて、指を中空で動かしている。集中しているのか、シオリに気付いた様子はない。右に、左に、何かを凝視するその視線がひどく無機質なもののような気がして、彼女は声掛けするのを躊躇った。
「ん? おお、シオリ。彼らの様子はどうだね?」
「あー、まあ。元気だよ。サンドイッチ、おいしいってさ」
そうしているうち、シオリに気付いたレンダリルが身を起こす。マクスフィンたちの様子を聞いた彼は、柔和な様子を取り戻す。
「何か考え事?」
「まあ、多少な。小難しいことを考えていた」
「言えないこと?」
「取るに足らない思考実験さ。聞くかね?」
「聞きたい」
シオリはレンダリルの隣に腰掛けた。明るい緑の瞳を覗き込めば、彼はテーブルに乗った食べさしのパウンドケーキにフォークを刺して、最後の一口を頬張った。
嚥下してから、彼は口を開いた。
「この世界はエルダー・テイルと同一、ないし酷似したものである」
「うん」
「ある程度の現象はスキルに左右される」
「そうだね。戦闘や料理がそうだ」
「では、それら情報を包括する『これ』は何だ?」
レンダリルは中空の何かを、手の甲で軽く叩く素振りをした。それが何か、シオリは考えたが、すぐに思い当たった。
レンダリルは『ステータス画面』を見ているのだ。
シオリは口元に指をやって思案した。そういえば、考えたこともなかった。フレンド登録や所持品の確認、仲間の体力のチェックなど、極めて便利なものだ。だが、それそのものが何であるのかと問われた時、シオリの中に適切な答えはなかった。
「この世界が仮に異世界だとして、我々の世界でゲームとして使われていたUIがそのまま存在する……それは、何故だ?」
「うーん、私たちに世界を把握させやすくするナビだとか?」
「誰が把握させやすくしようとしているのかね?」
「それは……」
極めて冷静に、レンダリルは問いかけてきた。シオリも自らのステータス画面を見て、応答のないGMコールやログアウト画面を睨んだ。
仮に存在するとすれば、それは神か何かだろう。だが、そうでない場合、この世界は何をもってこのシステム画面を残しているのか。
「異世界に迷い込んだ者に与えられたままの、システム画面の意味、か……」
「うむ。その管理者だ何だは私も埒外なので何とも言えんが、確かなことはある」
観念した様子で、レンダリルは残った紅茶をあおってソファに背中を預けた。
「『エルダー・テイルのデータベースは未だ機能している』」
シオリは頷いた。全てのアイテムを識るもの。全ての行動を管理できるもの。戦闘、魔法、調理――世界法則に触れ得るもの。それがゲームシステムだ。
何気なく自分たちが使ってきたものが、一緒に転移してきているということになるのだ。
シオリは「そうか」と呟いた。シオリが感じていた違和感こそ、このゲームシステムという概念だったのだ。
そして、システムに頼らない立ち回りが共存する今も、データベースそのものは機能している――。
「分からないことだらけだ」
「識っていくしかなかろう」
未だ正体の掴めないその巨大な違和感を相手に、シオリもまた、ソファに背中を預けた。触れ合わない距離で、二人は画面を見上げ続ける。それは、プラネタリウム越しに星の海を眺めているような心地にさせた。
自分たちは、ステータス画面を介して、遠く離れてしまった地球を探しているのだと。
その孤独に今は耐えられそうにないと、シオリは目を伏せ、改めてレンダリルの方を見た。
「ああ、そういえば。料理した時にレベル上がった?」
「うむ。随分と上がったぞー! 複雑な料理に手を出すのも、そう遠くないかもしれん」
そうすると、レンダリルはいつもの得意げな笑みを見せて、ステータス画面を指差した。彼の見ているものが見えないので、シオリは苦笑して自分の画面で彼のサブ職業を確かめる。
「……?」
そう、シオリはレンダリルのサブ職業を見て、料理人としての腕前が数値化されたそれを喜ぶつもりでいたのだ。
だが、そこに料理人の文字はなかった。シオリは自分のサブ職業を見た。そこにも、料理人の文字はない。
「何、これ」
じっとりとした不快感が身体を巡る。シオリは慌てて、自分たちのサブ職業を確かめる。
ほぼ同時に違和感に気付いたのか、エゴの部屋の扉が開かれる音がした。ヴィクトールの何だこれという悲鳴が地下から聞こえてくる。
四人のサブ職業欄には『領主』とだけ記されていたのだった。




