↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/98

追憶 一度目の“彼”

暗いです。さっと読んで下さい。

 僕は、この世界が大嫌いだった。




 この世界は僕にとって、悲しみだけしかなかったからだ。


 日常が、痛みと苦しみしかなかった。

 僕を産んだ女は僕の全てが気に入らないようで、常に暴力を振るった。殴って蹴って物を投げて、ヒステリックに喚き叫ぶ。

 時折、父親だという男が家に来て女の暴力に加わり、(わら)いながら僕を罵りいたぶっていった。


 時間を問わず、女はふらりと外に出ていく。僕は外に出ることを許されず、部屋の中に閉じ込められていた。


 だから僕にとって世界とは、この汚く薄暗い小さな部屋だった。



 ある時、知らない大人が二人、家に来た。その大人は“小さな世界”から僕を連れ出し、温かい場所に連れていった。後から女がやって来て、沢山の知らない大人と話をして一人で帰っていった。

 僕はその様子を、温かい場所からただ見ていた。


 知らない大人達は皆優しかったが、僕は何故ここにいるのかよく意味が解らず、ただ呆然とし恐怖を(いだ)いていた。

 僕はその場所で数日を過ごし、また女のところに戻された。


 僕が戻った時、女はいつにも増して機嫌が悪かった。女は、いつも以上に暴力を振るった。


 ――お前のせいで恥をかいた。


 女は暴力を振るいながらそう言った。顔は醜く歪み、およそ人間には見えず、自分とは違う“別のイキモノ”になったんだ、と僕は本気で思った。

 僕には女の言葉は理解できなかったが、女が恐ろしかったので、いつも通り大人しくして終わりを望んだ。

 それから時々知らない大人が来て、あの温かい場所に連れていかれたが、戻る度に女が“別のイキモノ”へと変わり恐ろしくなるので、僕は行きたくはなかった。

 暖かい場所にいる知らない大人達にはそれが分からないらしく、時折僕の前に現れては女を変えていった。



 そんな風に僕の世界(にちじょう)は、暴力で満ちていた。



 僕には、幼い頃の記憶はほとんどない。家からは出られなかったし、いつも目の周りが腫れていて見えづらかったせいだと思う。

 でも、それでも構わなかった。特に今までの僕に意味など無かったし、これからもないだろうと、思っていた。



 痛みも苦しみも悲しみも、いつしか感じなくなっていた……。





 けれど、“彼女”との出会いで全てが変わった。

 白黒だった世界に、暖かい光が差し、色がついた。


 彼女も僕と似ていた。

 彼女の親は、子供に無関心な親だった。生活費を渡す為だけに帰ってくる、そんな親だった。


 彼女は家から閉め出され、公園のベンチで座っていた僕に声をかけ、たどたどしい言葉を聞くと家に連れていった。

 そしてそのまま、彼女の家で夜を明かした。


 今改めて思うといけないことだったのだろうが、女のもとに帰りたくなかった僕は、彼女に甘えてしまった。


 それからは時々、家から閉め出された日は公園に行き、彼女が居たら彼女の家で寄り添って過ごした。


 誰にも知られないように……。




 そうして時が流れ、小中高と学校には通った。

 あの女は相変わらずで、彼女の親も変わらなかった。


 女は成長し身体が大きくなった僕に、まるで自分を誇示するように暴力を振るった。いつからか、女の瞳に“恐怖”が見え隠れして見えていた。

 そのことに僕は気付いてはいたが、既に僕には抵抗する感情や意思など無かった。女のことなど、等の昔にどうでもよくなっていたからだ。




 僕と彼女を取り巻く世界は変わらず、ただ僕達だけが変わった。



 ずっと二人でいた。お互いの存在が必要で、全てだった。それは“依存”と呼ぶものだったのかもしれないけれど、僕達はそれでよかった。


 僕は彼女を愛していた。

 彼女も僕を愛してくれていた。




 ――高校を卒業したらこの地を離れよう。




 そう、約束をした。





 けれど、その約束が果たされることはなかった。



 卒業式を明日に控えた夜、僕は最後の確認の為、彼女の家を訪れた。

 彼女に貰った合鍵を使って、家に入った。





 彼女の家のリビングの中の光景が目に入った瞬間、僕の頭は理解することを拒絶した。







 彼女が床に倒れている。

 彼女はうつ伏せで、腹部を抑えるように倒れていた。そこから大量の赤いナニかが流れ、彼女の制服の白いブラウスと床を濡らしていた。


 彼女のすぐ横には、あの女が立っていた。手と手に握っている包丁は赤く染まっていて、服にも赤が飛び散っている。


 女は僕に気付き、狂気を(はら)んだ瞳で嗤った。




 ――お前だけ幸せになることは許さない。




 その言葉が耳に届くと同時に、身体に軽い衝撃が走った。下を見れば、女が握っていた包丁が、胸に深々と刺さっていた。



 あぁ、刺されたのか、と他人事のように思った。




 女は僕を突き飛ばして、そのままの姿で外に走っていった。


 僕は突き飛ばされて壁にぶつかったが、最後に彼女に触れたくて、ふらつく身体を動かして彼女の(かたわ)らに座り、彼女の顔を覗き込む。


 彼女は、穏やかな顔で微笑んでいた。


 彼女が苦しんでいない事に安心して、彼女の頬を撫でる。彼女の身体にはまだ微かに温もりが残っていて、ただ穏やかに寝ているようにも見えるけれど、そこに生命(いのち)は感じられなかった………。




 涙が頬を伝う。




 僕は彼女に出逢って、失っていた感情を取り戻していった。ただ感情が動くのは、彼女に関してのみだったけれど。


 その中で、“泣くこと”が今までどうしても出来なかった。“悲しみ”はあっても、涙を流すことなんて出来なかった。


 だから僕の代わりに、いつも彼女が涙を流していた。


 不謹慎だけれど、僕はその涙がとても愛しかった。




 僕は今、泣いている。

 涙を流している。

 やっぱり、僕の感情を動かせるのは彼女だけなんだ、と場違いな笑みが口元に浮かんだ。



 彼女の頬を撫で続けて、静かに瞳を閉ざす――












 僕はこの世界が大嫌いだった。


 そして、僕の【唯一】を奪った世界に絶望する。





 これが、僕の一度目の人生だ………。








読んで頂いてありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。